1999/09/23(木) 「BS音盤夜話」はなかなか面白かったですね。 でも面白かったですね・・と言ったところでこの文章を読んでくれる人の 中で(何人なのか見当もつきませんが)あの番組を観た人となると・・ 誰もいないかもしれない・・・ というわけでその番組の事を、説明しておきます。 「BS音盤夜話」とは「BS漫画夜話」の姉妹番組として誕生した番組で 毎回、1枚のアルバムをとりあげ、徹底的に討論しようというものです。 <以上NHK的紹介 補足すると1時間番組です> ラインアップは 9/20 ベガーズ・バンケット/ローリング・ストーンズ 9/21 ペット・サウンズ/ビーチ・ボーイズ 9/22 スタンド/スライ&ファミリー・ストーン でした。 司会が萩原健太氏(音楽評論家?やたらギターがうまかったけど)近田春 夫氏とピーター・バラカン氏がレギュラーコメンテーターでそれぞれの回 のゲストが加わるという構成でした。 3枚ともなれ親しんだアルバム(スライはベスト盤で聴いてきたけど 『スタンド』の曲は大部分入っていた)だったのでとても面白かったです。 なかなか渋いラインアップです。まあ、ストーンズはあえてとりあげなく ても・・とも思いますが。 個人的、思い入れは『ペット・サウンズ』に圧倒的にありますが番組的 にはスライの回が一番面白かった気がします。そのポイントは近田春夫氏 の態度の違いですね。『ペット・サウンズ』は「ほとんど聴いたことない」 という状態に対し(そんな奴、呼んでどうするんだ)スライの話になると 一転して熱く語ってました。まあ、あれくらいはっきりしていると見てて 気持いいとも言えなくもないですが・・それにしてもねえ。 でも今まで一人で聴いてきたものが、ああいう形で番組になって感動を 同時体験(といってもこっちは見てるだけですけど)できるのはなかなか 新鮮で良かったです。あとストーンズの「Love in vain」のイントロのギ ターが半拍多いとかスライの「I want to take you higher」の一箇所だ けが3拍子の謎とかそういう話も大好きなので面白かったです。 でもああいう番組にはやっぱり渋谷陽一を出して欲しかった。あの人は テレビで顔は出さないですね。前に「ミュージック・サテライト」をやっ てた時はCGで作った顔で出ていたし。 さて、ここからは全面的に『ペット・サウンズ』のお話です スライもなかなか、ぐっと来るものがありましたがなんと言っても 『ペット・サウンズ』ですね。私には。 とは言っても私が『ペット・サウンズ』のすごさに気付いたのはつい1 年くらい前の事です。 『ペット・サウンズ』を始めて聴いたのは6年くらい前に友達がこれを持 ってうちに遊びに来た時でした。私はそれまでビーチ・ボーイズといえば 「サーフィンUSA」一曲くらいしか知らなくて、なんかしょうもないバンド (すみません私が馬鹿だったのです)としか思っていませんでした。 それでこれを聴いてびっくりしたのです。これがビーチ・ボーイズかと。 デビッド・ボウイで知っていた「GOD ONLY KNOWS」がこんなところに (すみません)あるのにもびっくりしました。 で驚いてすぐさま自分でも買ったんですが愛聴するところまではいきま せんでした。わりと(すみません)いいではないかと時々、取 り出しては聴く程度でした。 ペット・サウンズに、はまるきっかけになったのは去年、村上春樹氏が HPの中でSMAPのアルバム・ジャケットがペット・サウンズのジャケ ットのデザインを(何の必然性もなく)パクっている事を批判しているの を読んで、そう言えばとなにげなくもう一回聴いてみた事でした。 そうしたら何故か突然はまってしまったのです。この1年で何度となく 繰り返し聴きました。今日はとうとうペット・サウンズのボックスセット (そういうものが出ているのです)まで買ってしまいました。ステレオで 聴くと(オリジナルはモノラル)また新鮮です。ボーカルだけのバージョ ンもなかなかきますね。 でも何故突然はまったのか不思議です。更に興味深いのはこれが私にだ け起こったことではないと言う点です。このアルバムにはまる人の多くは それまでは特にいいと思っていなかった、場合によってはなんじゃこりゃ とか思っていたのにある日突然はまるみたいなのです。 番組の中でもそういう意見がたくさんありました。そして、プロのミュ ージシャンまで・・ ちょっと引用が長くなりますが以下は細野晴臣氏のインタビューからです。 出典は「ニュー・ルーディーズ・クラブ Vol.23」 (特集:ビーチ・ボーイズ、素敵じゃないか!) ◆去年、やっと『ペット・サウンズ』を発見した(わけですね?) 細野:再発見ですね、やっぱり。 ◆今、評価されるべきだと思いますか。 細野:されるべきと言うよりも、この時代に他の音楽の質とは違うものを 持った、今でも生きているアルバムとして『ペット・サウンズ』が浮かび 上がってきた印象があるんです。海の底から出てきたような。エマージン グと言うか、再出現してきている。当時認められなかったからこそ、手垢 がついていなくて、汚れないままで。他が沈んでますからね。もちろん僕 の個人的な感想ですけど。 この年になって、やっと『ペット・サウンズ』が好きになったというの は、自分でも呆れるくらいなんですよ(笑)なんでこれが分からなかった のかと、あきれた感じがするんです。当時、そういう人がいっぱいいたか ら、駄目だったんだろうと。でも、今分かるという事は、この時代がこの アルバムを受け入れている事だし、このアルバムがタイムマシンみたいな もので、この時代のために作られていたと思ってもいいわけで。他の、ど んなにいいものも、その時代に消費されて、消費され尽くした音楽が今残 っているだけだと言ってもいいくらいなんですけど、『ペット・サウンズ』 はそういう意味で別格ですよね。 『ペット・サウンズ』が1966年(この1966年というのも私には 驚きですが)に発表された時、商業的には大ゴケしました。たいていの人 が「なんじゃ、こりゃ」と思ったんでしょうね。そしてごく一部の人が熱 狂的に支持したわけです。その一人がポール・マッカートニーでした。 >『ペット・サウンズ』を聴かなければ音楽教育を受けたとは >言えないと思う... >色んな意味で卓越した完全に古典と言える作品だ ◆ポール・マッカートニー >『ペット・サウンズ』なしに『サージェント・ペパーズ』はなかった。 >『サージェント・ペパーズ』は『ペット・サウンズ』に匹敵し得るもの >を作ろうとする試みから生まれたものだ。 ◆ジョージ・マーティン 私が随分、参考にしてきた『ローリングストーン・レコードガイド』 という本があるのですが(1982年発行・・古いですね)ここでも『ペット ・サウンズ』はろくに評価されていません。星3つ(平均的)です。おま けに『サージェント・ペパー』のまねをした様な書かれ方をされてます。 それじゃ逆ですね。評価はともかく事実誤認は良くない。ブライアン・ウ イルソンが影響を受けたのは(アメリカ盤の)『ラバー・ソウル』との事 です。 さて、なぜこんなに急に再評価される様になったのかという問題です。 そんな事はどうでもいいのかもしれませんが、仮説を考えてみたので書か せて下さい。 まず、私は、少なくとも芸術作品については「価値内在説」を支持しま す。価値というのは鑑賞する人の評価で決まるのではなく作品(等)が内 在的に持っているという説です。言わばその価値は発見されるのを待って いるわけです。或いは発見されないまま歴史に消えてしまった価値もある かもしれません。 絵の世界では画家の死後にその絵が評価される事は良くあります。そし て一度評価されればその評価は概ね、定着します。価値が発見されたわけ です。逆に価値もないのに同時代ではもてはやされるという例は・・これ は腐るほどありますね。そういう事の方がずっと多いかもしれません。具 体的に言うとまたひんしゅくを買うので言いませんが。でも歴史の審判と はなかなか、あなどれないもので価値があるものは生き残るし価値がない ものは消えていくわけです。私はクラシック音楽をほとんど聴きませんが 好き嫌いはともかくクラシック音楽に価値のないものはほとんど残ってい ないのではないかと思います(・・と書いているうちに本当にそうかとい う疑いがふつふつと湧き起こってきたけどまあいいや)とりあえずバッハ くらい古いと万全でしょう。 あと100年後、200年後にどんな音楽が残っているのか知ることが できたら面白いでしょうね。人類が滅亡してなければの話ですが。 さて、ブライアン・ウイルソンは(ビーチボーイズと言うよりそう言っ た方がいいでしょう)多分、『ペット・サウンズ』でもって新しい価値を 提示したのでしょう。人々はそんな「価値」をそれまで見たことも聞いた こともなかったから「なんじゃ、こりゃ」という反応をしたわけです。で も分かる人には分かりました。例えばポール・マッカートニーです。そし て彼はその価値をとりこみ自分のものにしてから今度は形を変えて--もっ と分かりやすい形にして--提示したわけです。それが『サージェント・ペ パーズ』でありその後の彼のかかわった作品でした。そうした作品の影響 を受けたミュージシャンがまたその価値を再生産し、その価値はだんだん 世の中に行き渡ることになった。それが十分、行き渡ったのはようやく最 近になっての事で、それがついにおおもとの『ペット・サウンズ』の再評 価の大きな流れにつながったというのが私の仮説です。 『ペット・サウンズ』が提示した価値には色々な要素があり、それがま た複合的にからみあったものだと思うのですがひとつ具体的な例としてブ ライアン・ウイルソンのルート音を無視(?)したベースラインをあげて みましょう。 それまでベースラインというのはコードのルート音(ちょっとマニアッ クな話かもしれませんが、GコードだったらG、ドミソの和音ならドの音 の事です)を中心に作るのが常識だったのですがブライアンはわざとルー ト音をはずす様なベースを弾いたのです。それもちょこっと分からない様 に試してみるというのではなく、思いっきりやっちゃったわけで す。そんなものを始めて聴かされた日にゃ普通の人はやっぱり「なんじゃ、 こりゃ」になっちゃいます。はっきり言って「気持悪い」のですね。 でもポール・マッカートニーはそれを自分の演奏にとり入れて同時代の 人にも「気持悪くない」・・というよりも「格好いい」と思われる形で提 示したわけです。そのへんが売れるか売れないかの差でしょうね。もちろ んポール・マッカートニーにオリジナリティーがないなどと言うつもりは 毛頭、ありませんが。 とにかくその後、ルート音にこだわらないベースラインは広く一般的な ものとなり今、私達が『ペット・サウンズ』のベースを聴いても気持悪く はないわけです(でも、これは人によります。今でも気持悪いと感じる人 もいるでしょう) しかし、この説では「何故ある日、突然はまるのか?」という事をうま く説明できませんね。風船が破裂する様にどこかで臨界点に達すると言う ことなのかもしれませんが、それはそういうものだと放っておいた方がい いのかもしれません。さんざん書いたわりになんですが。 番組の中で『ペット・サウンズ』を聴くと泣いてしまう。という感想が ありました。ポール・マッカートニーもよく泣いたと言っています。私も この番組で「GOD ONLY KNOWS」がかかった時、ふいに目頭が熱くなりまし た。 ブライアン・ウイルソンはドラッグだなんだと問題をたくさん抱えた人 だけど魂の核の様なところは本当に純粋で美しいものを持った人の様な気 がします。それが人を感動さすし「GOD ONLY KNOWS」という曲にはとりわ けそれが強いのではないでしょうか。それももちろん才能があっての事で しょうが。 でもあの番組には、やっぱり山下達郎に出て欲しかったです。それに細 野晴臣なども加えて楽器の演奏による解説をふんだんに取り入れた6時間 くらいの番組にしてもう一回やってもらいたい・・というのがマニアック なファンとしての夢想です。まあ、あの番組が実現したことだけでも十分 驚きだし嬉しいことではあったのですが。