12年目の議論




あるところで…と言っても要するにmixiなのだが…久しぶりに
まとまった投稿をした。わずか10日ほどで、コメントはMAXの
1000件に到達してしまった。結構、疲れた。

例によって非難合戦がほとんどで、議論自体にあまり見るべき
ものはない気もする。まあそうは言っても、多少の意味はある
かと思うので記録にとどめたいと思う。12年たって、私自身も、
だいぶ変わった気がする。まあ、横柄になっただけと言ってし
まえば、それまでだけど。

【2011年11月22日〜12月1日】



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あまりにも、うるさく言ってくるのがいるので、トピ立てます。 
質問等は礼儀をわきまえてください。守られていない場合はスルー
します。 

*********** 
Wikipedia 「動物の権利」より。 

功利主義と権利論  

動物の権利に関する哲学的根拠としては、基本的に二つの考え方が
ある。ピーター・シンガーに代表される功利主義とトム・レーガン
(Tom Regan)に代表される権利論である。シンガーは一般には現代
における動物の権利運動の創始者にして代表的な論者とみなされて
いるが、彼自身は自己の主張において権利という言葉や考え方を使
っているわけではない。レーガンらの動物の権利論と、シンガーら
の功利主義的アプローチを区別する場合、後者を動物の解放(Animal 
Liberation)論と呼ぶ場合もある。 

シンガーの主張は、最大幸福や平等な配慮という功利主義の原則は
動物に対してもあてはまるというものである。人間ではないという
理由でそうした原則が適用されないという見解は、「種差別」にあ
たるとしてしりぞけられる。ある生き物が配慮の対象になる基準は、
功利主義者のベンサムが、「問題は、理性があるか、話す事ができ
るか、ということではなく、苦痛を感じるということである」と述
べているように、痛みや苦しみを感じる存在(sentient being)であ
るかどうかという点になる。どこまでがそうした配慮の対象となる
かについてシンガーは、『動物の解放』(Animal Liberation)の中で
(食べるものに関して)「ひとつの境界線にすべての人が賛成するわけ
ではないことは認めよう」と言いつつ「もし線引きをするとすれば、
小えびとカキのあいだのどこかで線をひくのが一番妥当であろう」
と述べている。 

レーガンの権利論はカントによる義務論の延長線上にあるもので、
功利主義を含む帰結主義とは哲学上、対立する立場にある。レーガ
ンはカントが唱えた「人格の尊重の義務」という原理を修正し、
「人格」に変わって「生の主体」(subject of life)という概念を打ち
出した。カントがいう「人格」である条件は、道徳行為ができるこ
とであったが、レーガンは道徳行為ができる者(moral agents)と道
徳行為を受ける者(moral patients)を分け、配慮の対象となる条件は
道徳行為ができるかどうかということではないとした。幼児や極端な
精神障害者などは、道徳行為ができる者ではないが、道徳的配慮を受
けるべき存在である。同様に動物についても生の主体であれば道徳的
配慮を受けるべきであり、権利を持つ存在であるということになる。
生の主体となる基準は固有の価値(inherent value)を持つかによって
決まり、レーガンは少なくとも1歳以上の正常な哺乳類であれば条件
を満たすであろうと述べているが、権利論そのものから具体的な判断
を導きだすのは困難であり、その基準は必ずしも明確なものであると
は言えない。 

帰結主義のひとつである功利主義においては、行為の結果が重要視さ
れるのに対し、権利論(義務論)においては結果は問題とならない。
動物実験の例で言うと、権利論においては動物が生の主体と認められ
る限り実験に使用することは(実験の有用性を問題にしないので)一
切、認められない。一方、功利主義では動物がこうむる苦痛の総和と、
人間が受ける恩恵の総和の比較において、動物実験が正当化される場
合がある可能性を否定しない。しかし、現実の動物実験に対しては正
当化される条件を満たす場合は極めてまれであるとし、事実上の全廃
に近い要請をしている。[※1] 肉食を廃止すべきであるという点でも、
はほぼ一致している。動物の権利(解放)論としての功利主義と権利
論は、道徳理論という点では大きく異なるが、目指すものという点だ
けを見れば、大きな違いは見いだせない。 

シンガーをはじめとし、R.M.ヘア、ジョン・ロールズ、ロバート・ノージック、
ジェームズ・レイチェルズ、マーサ・ナスバウム、クリスティン・コースガード、
ロザリンド・ハートハウス、ネル・ノディングズなど、現代の代表的
な倫理学者は理論的方向性は異なるものの、動物が直接の配慮の対象
点では一致している。[※2] 

※1 動物の解放 ピーター・シンガー 
※2 動物からの倫理学入門 伊勢田哲治



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13
(「権利のない動物、或いは権利喪失の状態について哲学的にはどう
い解釈か知りたいです」という質問に対し)

トップにある様に、動物の権利(動物の解放)をめぐる主要な道徳理
論は、功利主義と権利論に分かれます。功利主義者はそもそも「動物
には権利がある」という主張はしていません。「平等な配慮の原則」
を動物に対しても守れ、という主張です。 

あるいは、前トピックで書いた様な、マイナス功利主義(例の菅元総
理の「最小不幸社会」というのもこれです)的側面を強調するなら、 

「減らせる苦痛は減らすべき」 
「全体量としての苦痛を最小にするよう努めるべき」 
ということになるかと思います。 

一方、権利論者。権利を持つかどうかは、そのものが「生の主体者
(subject of life)」たり得るかどうかによるとのことですが、トップの
文を引用すると、 

>レーガンは少なくとも1歳以上の正常な哺乳類であれば条件を満たす
>であろうと 述べているが、権利論そのものから具体的な判断を導き
>だすのは困難であり、 その基準は必ずしも明確なものであるとは言
>えない。 

ということです。 

答えになっていないかもしれませんが、現状はそういうとこです。 

広い意味の動物ということでしたら、単細胞生物にも権利があると主
張する学者はまずいないでしょう。権利論者たちが、境界線問題につ
いて、どう考えてるのか、私の勉強不足のせいかもしれませんが、い
まひとつよく分かりません。私も尋ねてみたいところなのですが。 



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16
(人間にも権利がないことになると揶揄されたと思い、これを書いた
がそれは勘違いだった)

功利主義者からすれば、「権利」というものを想定していないから、
人間にも権利がないという言い方もできるかもしれません。 

奴隷制度が間違っているのも、女性に参政権を認めないのが間違って
いるのも、それが人権を侵害しているからではなく、「平等な配慮の
原則」に反しているから間違っているのだと。 

まあ、現実的には彼らもそこまでかたくなに権利という言葉を否定し
ているわけではないでしょうが、道徳理論としてはそういうこと。 

まあ、「権利」という言葉を使った方が、簡単だから使ってるという
側面はありますね。動物の権利にしたところで。私は今後、功利主義
者になろうかと真剣に検討してますが。



********************
23
(野生動物の権利について)
たとえば、極度の痴呆老人。義務は果たせなくとも権利はありますよね。 
動物も義務はなくても権利はある存在です。 
そのへん、トップの文で触れてますので、ご面倒ですが読んでみて下さい。 

まあ、私も主に家畜に反対しているのであって、必要がある場合に野
生動物を 殺す事に反対しているわけではありませんが。権利はあるが、
権利が制限 される場合があるという解釈でしょうか。環境的見地とか。

25
やはり、ハンターが娯楽のために野生動物を殺すことには反対したいんです。 

その意味で野生動物にも権利があるという原則は崩したくない気がします。

26
まあ、人権っちゅうのは 
『動物の権利 人間の部』 
という感じでしょうか。



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35
ま、xxさんは種差別主義者ということですわ。 

*1 種差別(スピーシシズム) speciesism 
    1973年に心理学者のリチャード・ライダーが作った用語。 
    人間と種が違うことを根拠に人間に対するのと異なった扱いを 
    することを正当化する態度を指す。 
    人種差別 (racism) や性差別 (sexism) といった単語と同 
    じやり方で作られているこの言葉には、種による差別が、人種 
    差別や性差別と同様に無意味で根拠がないものであることを明 
    らかにしようとする意図がある。 
    ピーター・シンガーが『動物の解放』(Animal Liberation) 
    の中でこの言葉を使用したことで、広く知れ渡るようになった。



********************
96
(動物の権利を認められない理由という話)
>83 
>我々が「人間」だからです 
>搾取しなければ成り立たない生物である以上 
>被搾取側の権利を認めるなど 
>自傷行為に等しい 
>これが基本 

まあ、こう言ってもらった方がずっと良い。 

そんなひどい搾取はしてませんみたいなことをいう自称動物福祉論者は 
最悪。

97
自分に気に食わないものを、なんでも宗教と決めつけるのも困ったもの
である。 あくまで論理を追求する姿勢は宗教の対極にあるのではないか。 

まあ、ビーガン食以外はすべて誤りと決めつける人に宗教色を感じない
でもないが。

99
話を戻すが 

>83 
>我々が「人間」だからです 
>搾取しなければ成り立たない生物である以上 
>被搾取側の権利を認めるなど 
>自傷行為に等しい 
>これが基本 


南北戦争前夜。 
奴隷を使って生活していた南部の人間。 
北部から奴隷制度をやめろと言われても到底受け入れられない。 
彼らにはそれは考えられないことだっただろう。 

しかし、実際に奴隷制度はなくなった。 
そうなったからといって、南部の人たちが路頭に迷ったかというと 
そんなこともない。 



********************
104
「権利」というのは便利な言葉なのかもしれない。 

人権にしろ、動物の権利にしろ、「権利」と言ってしまえばそれで
決まりという趣がある様な気がしないでもない。水戸黄門の印籠の
ようなもんで。 

細かい考証をきちんと積み重ねていく、功利主義の方が私は好きか
もしれない。



********************
111
(人間と動物の違いと権利の問題について)
違いがあることが、違う扱いを正当化するわけではありません。 

男性と女性には大きな違いがありますが、だからといって女性に
選挙権がなくてもいいわけではありません。 

人間と動物が違うことで、動物を監禁し殺害し食べることを正当
化できるわけではありません。動物に選挙権を認めないことは正
当化できます。

********************
117
>どうして家畜はゆるされませんか? 

最近、私は功利主義の方にひかれているのでその立場で答えると 

「減らせる苦痛は減らすべき」だからだ。 

家畜が受けている苦痛は質量ともに莫大なものだ。 

我々が肉食や、卵や、牛乳や乳製品を食べること、革製品を使用
することなどをあきらめるだけで、その莫大な苦痛を限りなくゼ
ロに近づけることが可能だ。 

これはものすごく意味のあることだ。



********************
122
(動物の福祉では駄目な理由)
家畜の苦痛は全廃でゼロにできる。 

どんなに動物福祉をすすめようが、動物の苦痛はゼロにはほどと
おい。 

また、資本主義の原理からも、動物の福祉がそこまで進むことも
ありえない。動物の福祉を徹底すれば、コストもそれだけ莫大な
ものとなる。 

100g1万円の肉を誰も買いはしない。



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160
(生産方法に問題がなければ許されるのではないかという意見に対し)

平飼いの卵を買うことは、そうでない卵を買うよりもましな選択
肢であることは、間違いないのですが、平飼いといっても、相当
な密集状態で買われている場合も多いみたいです。卵を産まなく
なったら、殺されてしまうという問題もあります。 

牛についても同様で、乳をだすためには常に妊娠と出産をくりか
えすことを強制され、乳が出なくなると殺されてしまいます。生
まれた雄牛も食肉用にされます。 

たとえば、ポール・マッカートニーの様に大金持ちで自分の農場
を持っている人なら、搾取的でない家畜の飼い方もできるとは思
いますが、一般的には資本主義の原理からしてそれは無理なんじ
ゃないかと思います。



********************
164

>んじゃ経済動物を全廃したあとにも一定数保全されるとして、
>その飼い方はどうなるんでしょう? 広い牧場でのびのび暮ら
>させれば良いじゃない♪って感じにはなりにくい気がするん
>ですが 

うーん、もしですよ。倫理的理由で経済動物全廃となったとし
ます。そこまで動物に配慮した社会が実現してるんだったら、
それこそ「広い牧場でのびのび」も可能なんじゃないかと思い
ます。税金使ってでもなんででも。 

まあ、いっそ絶滅でもいい様な気もしますけどね。 

現在、すごい勢いで進行してる動植物の絶滅を気にかけない人
たちが、なんで今の時点では単なる仮定の話にすぎない、家畜
の絶滅をそこまで気にするのかは変な話だと思います。

183
(「家畜として苦痛を感じてる位なら他の動植物だって色々絶
滅しかかってるんだし、いっそ絶滅しても良い」ということな
のか? という質問に対し) 

そうですね。そういうことになるかもしれません。 

動物の権利論は種というより、個々の動物の存在を重視します
から。それとエコロジー的なものと、どう整合性をつけていく
のかというのは、課題かもしれません。

********************
189
(動物が苦痛を感じていると思うのも単なる人間の主観の問題
ではないのかという意見に対し)

>185 
じゃあ、主観の問題として、苦痛を感じていないとみなしても、
それはそれで正しいということですか? 

デカルトは、動物はただの機械にすぎず、苦痛を感じている様
に見えてもそう見えるだけで気にする事はないと主張しました。 

デカルトの主張に従って行なわれた、次のような実験が「動物
の解放」に紹介されています。 

==================== 
 彼らは完璧な冷淡さで犬に打擲を加え、あたかも犬が苦痛を
感じるかのようにかれらを哀れむ人びとをからかった。彼らは、
動物は時計のようなものだと言った。彼らが打たれたときに発
する叫びは、触れられた小さなバネがたてる雑音にすぎないの
であって、犬のからだ全体は感覚をもたない。 

 彼らは哀れな動物たちの四肢を釘で打ちつけて板に固定し、
生体解剖を行なった。彼らは血液の循環を見たが、それが、そ
の場での大きな話題であった。

********************
197
(植物が苦痛を感じていない様に見えるのも人の主観の問題で
は? に対して)

昔は、犬は痛みを感じてないという無茶を平気で信じていた人
もいたということです。だから、ある程度常識に従って判断す
るということが大事じゃないですか。植物の苦痛にせよ何にせ
よ。 

あと、功利主義的な立場から目指すのは苦痛を「最小」にする
ことですから。家畜の全廃以上に苦痛を減らせる方策があれば、
採用すべきだけど、そんなものはありまえんから。

********************
216
(相手は私が苦手とする粘着気質の人。よって書き方もきつく
なっています)

>苦痛を減らすと言うのは、その生物の生存・種族保全よりも
優先しなきゃならないことでしょうか? またそうだとしたら
その理由はなんですか? 

動物個々の個体にとっての関心事は、自己がどういう扱いを受
けるかであって、自己の種の保全ではない。一体誰がその種の
代表者になれるのだ? 集合的無意識か? 
種の保全はむしろ人間側からの視点。 

・全廃するまでに生まれる苦痛は本当に畜産を続けた場合より
も小さいのですか?経営悪化により余計に環境が悪くなる可能性は? 

当然、小さい。全廃しない限り苦痛はいつまでも続く。 

・現在の畜産は本当に苦痛に満ちているのですか?動物福祉で対
応できる範囲ではないのですか? 

同じ質問には同じ答え方しかできない。 
全廃すれば苦痛はゼロになる。どんなに動物福祉につとめたとこ
ろで、ゼロとは比べものにならない。 


********************
269
(鶏の密集飼いについて、教えてくれる専門家の人がいました。
興味深いので私の発言ではないのですが掲載させてもらいます)

nyatete さん 

>どこまで詰め込んだら、どれくらい死ぬか。 
>どこかに損益分岐点があって、その限界までつめこむんじゃないですか。 

そのちょい手前までですね。 
ミッチリやるとウイルス性疾患とかに弱くなりますので・・ 
鳥は特にストレスを感じると、疾病に罹りやすくなるので(またそれを人
間が診ても解りにくい)ので常にゆとりを・・です。 
目先の金に目が眩むと、上手い具合に大損するようになってます@最近の
鳥の伝染病疾患。



********************
381
(功利主義と言うがそれでは人間の利益を計算に入れていないのではな
いか? との問いに対し書いたのだが、ちょっと論点がずれていた気が
する)

功利主義の計算において動物を排除すべき理由は何もない。 
冒頭に書いた通り。 

>シンガーの主張は、最大幸福や平等な配慮という功利主義の原則は動
物に対してもあてはまるというものである。人間ではないという理由で
そうした原則が適用されないという見解は、「種差別」にあたるとして
しりぞけられる。 

そもそも功利主義の創始者であるベンサムは動物のことを十分、念頭に
おいていた。こういう言葉を残している。 

「感覚を持つ生き物を同じ悲運に追いやる理由として、脚の本数や、皮膚の
毛の密度や、仙骨の末端(尾のあるなし)のどれもが十分な理由とはならな
いと認められる時代が来るであろう。しかし他に何が超えられない一線とな
るのだろうか? 理性的な能力、あるいはもしかして議論をする能力? 
だが成長した馬や犬などの我々がよく知っている動物は、生後一日か一週間、
あるいは一ヶ月の赤ん坊よりもはるかに理性的である。とは言え、もしそう
ではなかったとしても、そのことに何の意味があるだろう? 問題は、理性
があるか、話す事ができるか、ということではなく、苦痛を感じるというこ
とである。なぜ法律はいかなる感覚を持つ生き物をも保護の対象としないの
だろうか? いつの日か人類社会はその庇護のマントを、呼吸をする存在す
べての上にまで広げることになるだろう」 

385
(上記の補足で人間の利益と動物の利益の比較)

かたや食べ物の嗜好 
かたや生涯そのもの 

その交換が正当なものであるはずがない。

392
(功利主義の計算から人間を排除しているのではないか? との問いに対し)

人間を排除なんて言ってない。人間、動物こみで計算すべきということ。 

功利主義はいわゆる「最大多数の最大幸福」というやつで、普通「幸福」
に注目する のだが、マイナス功利主義は「不幸」に注目する。まとめれば、
当然、幸福を増やし、 
不幸を減らすべきということになる。 

しかし、家畜の場合は幸福になれる可能性がない。そういうとまた粘着さ
れそうなので 言い方をかえると、幸福より不幸の部分の方が圧倒的に大き
い。その様な存在をなくす ことで、不幸の量を劇的に減らすことができる。 

これは家畜について言えることで、他の存在についてはその限りではないこ
とは言うまで もない。幸福を増やし、不幸をへらすことに努めればいい。



********************
427
(話が部落差別のことに及んだので)

私には部落差別の意図はありません。もしアニマルライツ側に差別をする
ような人がいたなら、それは本来の動物の権利哲学から逸脱した人です。 

人間の権利と動物の権利は対立するものでは、ありません。人間の権利と
いう概念をより大きく広げたものが動物の権利です。他者への配慮という
考えをつきるめると、動物の権利論に至ります。理想論かもしれませんが、
もし動物から搾取することがなくなっている社会では、戦争だって、なく
なっていることでしょう。 



********************
514
(痛みを感じれば権利があるのか? との問いに。なお、相手は極めて横
柄なものいいをする人なので、私もこういう書き方になっています)

権利ってのは、ややこしい概念だ。そもそもなぜ人間に権利があるのか。 

前の消えたトピにも書いたことだが、権利という考え方は多分、カントの
「人間を道具のように使っちゃいかん」という哲学から来ている。「それ
動物についても同じでねえの」ということで動物の権利。 

義務と権利は一体ではない。極端な痴呆老人などは何の義務も果たせない
が、権利はある。冒頭の文をよく読んでほしい。動物はこうした痴呆老人
と同じで、moral agents ではないが、moral patients ではある。 

で、問題はどの動物までもが権利を持つかという境界線なのだが、これも
冒頭の文にあるように、明確な基準がない。まあ、「痛み」がこの問題に
深く関わってくる問題には違いない。「痛み」を感じるということは、道
徳的配慮に値するであろうということだ。 

問題は、我々がどこまでの動物がどの程度の痛みを感じているのか正確に
は把握できないことだ。魚は? タコは? エビは? 貝は? 

しかし、少なくとも牛や豚や鶏が痛み(単に痛みに限らず、苦痛や不快感
なども含めてだが)を感じるのはほぼ間違いなく、それゆえ、道徳的配慮
に値するということだ。 

でも多分、レーガンの指している、subject of life は、単に痛みを感じる
ものという定義でもなさそうだ。そのへんがややこしい。494でxxさんの
言われた、「痛みを感じ自己認識できる存在」というのが、かなり正確か
もしれない。 

私は権利論よりも功利主義の方に好感を感じるので、主に功利主義的な説
明をしているのは、ご覧の通りだ。この前みたいにこの二つをごっちゃに
して無理矢理統合をはかるような無茶はしないで頂きたい。シンガーは権
利論者ではない。権利については何も語っていない。 

まあそれはともかく、人間と同じく「動物も道具として扱っちゃいかん」
という考え方は結構、重要だと思う。搾取するなっちゅうことですな。



********************
572
(自分を鶏におきかえて、つらいだろうと思ってるのではないか。それは
間違ってるんじゃないか? という問いに対し)

昔、テレビで「カンジ」という名前のボノボ(昔はピグミーチンパンジー
と呼ばれていた)に、言葉を教える話をやっていました。カンジと人間と
の間には、かなり高度なコミュニケーションが成立していました。カンジ
に「どこに行きたい?」と尋ねるとカンジは決まって「森に行きたい」と
答えていました。 

動物と人間との間にここまで高度なコミュニケーションが成立することは、
普通ありませんが、「見てりゃだいたい分かる」ということはあります。
ネコを自由にさせておけば、ネコが(もちろんそれぞれのネコの個性があ
りますが)、なにをしたいのかは大体、分かります。 

日本じゃどうかよく知りませんが、海外の田舎の方では鶏を放し飼いにし
ているのを、よく見かけます。 

そういうのを、ぼーと見ていると、鶏っちゅうのはとにかく、そのへんを
歩き回って地面をつついていたいんだなあということが察せられます。狭
いところに閉じ込められ、ろくに身動きもできず、隣の仲間からはつっつ
かれ、夜もろくに眠らせてもらえず、あしもとは金網なんて状態が快適
じゃないことくらい、自分に置き換えるでもなく分かります。ただ観察し
てりゃいい話です。 

まあ、ヘビや魚が何を考えてるのかは、私にもいまひとつ分かりませんが、
牛や豚や鶏のレベルだったらわかります。 

このコミュの人たちに何をふきこまれたんだか知りませんが、こういう
「閉じられた世界」の怖さは知っておいた方がいいですよ。色んな本を読
んだり、色んな意見にふれることは大事です。


********************
635
家畜をはじめたことが、人類の歴史の転換点になった様に、 
家畜をやめることが、人類の歴史の転換点になることも不可能ではないと
思うのです。 

まあ、ほとんど、IMAGINE の世界ですけど。


********************
703
人口の話が出てるみたいですが、 

>510 でxxさんが 
>これが現在、肉牛で13億頭、ブタで9億頭、乳牛2.3億頭、鶏は肉用と
>卵用を合わせて163.7億羽飼われています。 
と、指摘しています。 

最近、世界の人口が80億に達したと話題になっていました。1971年で
40億だったから、40年で倍になったわけです。これは恐ろしいスピードです。
単純に考えると犠牲になる家畜の数も倍になったでしょう。世界中で肉食の
傾向が強くなっているので、実際には倍以上かもしれません。 

【※80億は70億の間違いでした。35億になったのが1960年代中頃の様です
から、約45年で倍増といったところでしょうか】

いくら、今、食料が足りていると強調したところで、このままじゃ早晩、足
りなくなることは目に見えています。単にアニマルライツの問題としてだけ
ではなく、食糧問題、環境問題としても、大問題です。何度でも掲げますが、
下記の数字の意味は十分に認識される必要があるでしょう。牛肉なんて食糧
をドブに捨てている様なもんです。 

畜産物1kgを生産するために必要な 
穀物等の量(試算) 
牛肉 豚肉 鶏肉 鶏卵 
11 kg 7 kg 4 kg 3 kg



********************
837

>829 xxさん 
>どんなに愛護を謳っても、人類の利益ありきの世の中でしょ、動物が理不尽に 
>感じていたとしても殺戮がなくなるわけではない 

それを肯定したら、ほとんど何でもありになっちゃうでしょうけどね。 

でもアニマルライツ以外にも、ディープエコロジーの様に、その様な考え方を
否定する思想も生まれてきているのが、現代という時代です。 



********************
949
「何で人間が生きてるの? 」というのは、大昔から人類が悩んできた根本的な
疑問と言えるかもしれません。 

哲学の基本的命題とも言えるかもしれませんが、事実や論理を積み重ねれば答
えにたどりつけるという性質の問題でもないので、なかなか「学問」にはなり
にくい気がします。 

科学は色んな仕組みを解明してきました。ついには遺伝子を操作できるところ
まで来てしまいましたが、この学問も「どうなってるか」について答えを出す
だけで「なぜこうなってるか」については全く答えられません。 

その答えを求めて、色んな宗教が発達したと言えるかもしれません。最近では、
その疑問にそのものずばり答えている、スピリチュアリズムがあります。信じ
る人にはそれが答えになるでしょう。 

そういった本に抵抗があるというのでしたら、ちょっと違う角度のものを一冊、
推薦しておきます。絶版ですが…図書館にでもリクエストして下さい。 


グランドファーザー/トム・ブラウン・ジュニア 

ひとことで言うと、人間の存在は自然から搾取するものではなく、ケアテーカー
自然の面倒を見る存在であるべきだということです。 

ネイティブ・アメリカンは狩りもしましたが、常に自然のバランスを壊さない
ことに細心の注意を払っていました。木を1本切るにも、その木を切ってもい
いのか熟慮した上で切っていました。 

彼らがいる間に南北アメリカの自然が破壊されることはありませんでした。
白人たちがやってきて、破壊が始まったのです。オーストラリアも同様です。 



********************
950
前の消えたトピで、答えたことがあるのですが。 

生きている限り、自分の存在がこの世の苦痛を増やしていることは否定しません。 
でも、生き方次第では自分の存在がこの世の苦痛を減らすことにも貢献できるはずです。 

最終的に、自分の存在で増えた苦痛よりも、自分の存在で減った苦痛の方が多く
なればいいな…とそんなことは考えて生きています。 

…といったことを書きました。 


動物を護りたいなら死ぬのがてっとり早いということはありませんね。
そういう主張を持つ人間がみんな死ねば、現状は変わらないかひどく
なる一方です。 

動物愛護運動や動物の権利運動がどれだけ世の中を変えてきたか、あ
んまり馬鹿にしてもらっちゃ困ります。




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