のっけからもりあがりに欠ける話で恐縮だが、トルコに特別心引かれる ものがあるわけではなかった。今回の旅行の主な目的は(目的と言う程の ものでもないが)「ギリシアの島に行ってのんびり本を読む」ことだった。 でも、せっかく少しまとまった休みがとれる(と言うか単に失業してるだ けなのだが)のにギリシアの島でごろごろするだけというのも少しもった いない気がしたのでまだ行った事がないギリシアの隣国、トルコにも行っ てみる事にした。世の中には、特に最近は、トルコのファンも多い様なの で、とにかく行ってどんなもんか見てみたいというのもあった。それに少 なくともイスタンブールとカッパドキアには興味がある。その他には何が あるか良く知らないがまあそれは行ってから考えようという事にした。 トルコの地震は本当に気の毒な事だった。 8月に皆既日食(トルコでも見られる)がある事は旅行に出てから知っ たのだが旅行に出る前に知っていればそれに合わせて日程を調整したかも しれない。そうすればあの地震にもあっていたかもしれない。いずれにせ よつい最近までいた場所があんな事になってしまうと愕然としてしまう。 でも、そう書きながらも自分がどこかでひとごとのように感じているの も否定しきれない。海外にいる時はそんな事はない。どこの国のニュース でももっと身近なものに感じる。天安門事件の時や湾岸戦争の時は海外に いたが今でもあの時の事や、その時の自分の心持ち(うまい言葉が見つか らないが)は、はっきりと覚えている。しかし日本で聞く海外のニュース はすべてどこかひとごとの様に感じられてしまうしその多くはすぐに記憶 の片隅に追いやられる。日本語というフィルターがかかってしまう事も一 因かもしれない。マスコミの報道姿勢も大きな理由だろう。 マスコミだけが悪いわけではない。マスコミは人々が求めるものを提供 しているだけなのかもしれない。最初、東ティモールで何人かが殺された 時はそれなりに大きく報道された。しかし、その後、毎日の様にそれより はるかに多くの人が殺される様になった時にはそれほど大きな報道はされ なくなっていった。人々はこのニュースに「飽きて」関心を示さなくなっ てしまったのかもしれない。ニュースを消費してしまうのだ。 日本にいるとトルコの地震よりもミッチー・サッチー騒動の方が大きな 事件の様に聞こえる。 日本にいると東ティモールがどうなるかよりも羽賀研二と梅宮アンナが どうなるかの方が重要な事の様に聞こえる。 でももちろん、そうした「ニュース」も東ティモールと同様に消費され ていく。 他者の痛みを感じることは人間として本当に大事なことだ。他者の痛み は消費して済ませばいいというものではない。旅行記のはずが説教くさく なって申し訳ないが自戒の意味も含めて書いておきたかった。...............クアラルンプールを出た飛行機はドバイを経由し、6月9日の朝、イス タンブールに着いた。イスタンブールの空港はクアラルンプールと違いか なり庶民的(?)な印象だ。 始めてトルコに行った旅行者をまず悩ませる(まあもちろん中には悩ま ない気楽な人もいるだろうが)のは両替した紙幣のゼロの数の多さだ。恐 るべきインフレのせいだ。1ドルで大体、40万トルコ・リラ(TL)になる。 ただし、私が行った99年6月ごろの話でだ。インフレは着々と進行中で ある(一旦、ギリシアに行き7月にトルコに戻った時にはすでに若干、レ ートは変っていた) 1US$に対するトルコリラのレートは「地球の歩き方」を参照すると・・ 97年 8月 160,000TL 98年 8月 260,000TL 98年12月 300,000TL そして、 99年 6月 400,000TL ・・ということらしい。これじゃトルコリラで貯金をしようなんて人は いなくなるだろうな。 とりあえず空港で$100両替する。ざっと4000万TLである。現在、 発行されているもっとも高額な紙幣が500万TLである。「500万」と か漢字まじりで書いている分にはまだいいが、実際の紙幣には 5000000 とゼロが6個も並んでいる。生まれて始めてこんな ものを渡されたひにゃ目を白黒させてしまう(ちょっと表現が古いな) 世界にはもっとすごい国もあるかもしれないが・・ 「ごひゃくまーん、いっせんまーん、せんごひゃくまーん・・・」と紙幣 を数えてるとなんかもうどうだっていいやと、やけくそ気味になってくる。 でもまあ、やけくそにばかりなってもいられないので、とりあえず円へ の換算方法を考える。1ドルで40万TL、1ドルは大体120円だったか ら(しくしく←99年9月の泣き声)40万TLが120円、10万TLなら 30円に当たるはずだ。だから「万」をとっぱらって3を掛ければいいの だ。500万TLは1500円というとこだ。 それはそれでいいのだが、他にも問題がある。あまりにもゼロの数が多 すぎるためトルコでは通常、ものの値段は下3つのゼロをぬかして言うの だ。300000TLなら「three hundred」だ。別の言い方をするとthree hundred thousandのthousandを省略しているわけだ。この場合は300か らゼロをひとつ取った30に3を掛けて:90円という換算をしなくては ならない。その上、しかし、である・・単位が100万まで行った場合に はちゃんとone million と言うのだ。「one million five hundred」と言 われたらそれは1000500TLの事ではなく1500000TLの事なの だ。ああ、ややこしい。。。ものを売る人が大体、英語を話す(少なくと も数字くらいは言える)のがまだしもの救いではあったが。 硬貨も最初はわけが分からなかった。10BINとか書いてあるのだ。これ はいくらだ? どれくらいの価値があるのだ? BINとはトルコ語の「千」だった。だから10BINなら10000TL 約3円といったところだった。やれやれ。 いくら物価の安いトルコとは言え、下の3桁を使う事は絶対にない。 1000TLでも0.3円程度だ。第一、使おうにもそんな硬貨がない。硬貨 の最小単位は5000TLみたいである。 なんでこんな無駄なゼロをつけているか、なぜデノミをして取ってしま わないのか不思議だが国にそれだけの余力がないのかもしれない。あるい はデノミをしてもどうせまたインフレが進行してもとに戻るだけとあきら めきっているのかもしれない。今後も更なる高額紙幣を発行して対応する のだろうか。 辞書の付録をぱらぱらと見ていたらトルコ・リラに実は補助単位がある らしい事を発見して笑ってしまった。100kurusで1リラにあたるらし い。そんな事言っても1リラで0.0003円、1kurusだと0.000003円である。 ええと、ゼロの数はこれで合ってるのかな。もう10のマイナスX乗とか 言った方がよさそうなミクロな世界である。トルコ人もそんな単位の存在 なんて忘れているのではあるまいか。 トルコでの定番ジョーク(一回聞きゃ十分なのだが何度も聞かされた) に「トルコにくりゃ誰でも百万長者(ミリオネアー)さ」というのがある。 百万TLで約300円だからそりゃそうだ。ミリオネアーどころかビリオネ アーでも10億TLで約30万円だからその辺にごろごろいる筈である。 まあ、しばらくトルコにいるとそれやこれやにも、だいぶ慣れてくる。 でも慣れてもやっぱり常にゼロを1個、間違ってるんじゃないかと気にな る。トルコにいる間、ずっとゼロの数ばかり数えてた気がする。あまりそ んなつまらない事に気を使いたくはないのだが。 南アフリカの人から急に「300万TLは何ドルくらいに当たるのだ?」と 聞かれた時も困った。頭の中で一所懸命、円に換算し、それをまたドルに 換算をして「7ドルくらいだと思う」と答えた。日本人にそんなややこし い事を聞かないで欲しい。 それにしても両替をしたきり話が先に進んでいないですね。