投稿集 その3(#071まで)




(4)家畜のおかれている現状について、等

[#053,#054]
こういった議論をする前提としてまず家畜のおかれている現状を知ること
はとても大切なことだと思います。 
でも実はこれはそう簡単なことではないのです。


テレビで鶏小屋や豚小屋の内部が紹介されたりすることは、まずありませ
んよね。
平和そうに草を食べてる牛が出てくる事はあっても。

元来、テレビなどよりはるかに自由なメディアであるはずの本の世界にお
いても情報は決して多いとは言えません。
私も探してみて始めて気付いたことですが。 



再三、ご紹介しております
『動物の解放』(ピーター・シンガー/技術と人間)は一般書店にあった本
ですが、かなりの大型書店でないとおいていないと思います。ちょっと調べ
てなくて申し訳ないのですが、最近あまり見かけないので絶版になってい
る可能性もあります。
(私の立場としては文庫にでもして欲しいのですがそんな事には絶対なりません)


工業的畜産の実態を書いた
『アニマル・ファクトリー』(ジム・メイソン ピーター・シンガー /現代書館)
は新宿の「模索舎」という書店で買いました。
 既成の流通ルートにのらない、ミニコミや自主出版物の専門書店です。
 <模索舎は新宿区新宿2-4-9 tel 03 (3352) 3557 >


なぜ、こんなに少ないのか? 私は意図的に隠されているのだと思います。
家畜のおかれている実態があきらかにされ、人々の家畜に対する認識が変わ
ることは家畜にかかわる生産者、流通、販売、外食産業等、あまりにも
多くの利害に反することだからです。 




[#055]                           
でもまあ鶏小屋などは見られたことがある方が結構、多いのではないで
しょうか。

>ブロイラーなんかは確かに酷い扱いだけど、彼らが自分を不幸だと
>思って、苦しんでるとは思えないのですが?

酷いとは思うけど苦しんでるとは思えないわけですか? ううむ。 私は
ああいうの見ると本当に暗い気持ちになってしまいますが。 
あれだけつめこまれた上、早く太らすため夜も寝ないように電気をつけら
れてたりするんですから。


日本じゃあまり見なくなったと思いますが、アジアの田舎などに行くと放
し飼いにされて好きなように歩きまわって地面をつついたりしてる鶏を良
くみかけます。

わが身を不幸と思うかどうかはともかくブロイラーとそういう鶏が苦しみ
の点で(あるいは苦しみのなさという点で)違いがないなどとは私には
思えません。


以下、『動物の解放』の内容からいくらか紹介したいと思います。


鶏たちは過密によるストレスのためお互いに相手の羽毛をつっついて時に
は殺して食べてしまう。
(鶏は本来は共食いなどする動物ではない)

毎日5〜10羽のめんどりが監禁性のストレスによって死ぬという5万羽
規模の養鶏場の話も紹介されています。

>これらの鶏は病気で死ぬわけではない。かれらはただ、過密な生活の
>ストレスに耐えることができないだけなのだ。 





[#056,#057,#058]
                                 
家畜に対する仕打ちの中でもとりわけ酷いのが子牛肉をとるための
子牛に対する扱いです。


子牛肉は柔らかくて淡い色のものが高く売れます。グルメがそれを
好むからです。


子牛は元来、遊び好きなのですが野原を走りまわると筋肉がつき肉がかた
くなってしまうために、まだ小さいうちに母親から引き離され、狭い仕切
の中にとじこめられます。
向きをかえる事ができないよう、首は鎖でつながれます。
ここで子牛は13〜15週間飼われます。屠殺場につれていかれるまで
この仕切から出されることはありません。


>明らかに子牛たちは痛々しいほどにいなくなった母親を恋しがるので
>ある。
>彼らはまた、しゃぶりつくものもほしがる。
>しゃぶりつきたいという衝動は、赤ん坊の牛の場合、人間の赤ん坊と
>同じくらい強いのである。
>これらの子牛にはしゃぶりつく乳首はないし、またその代用品も与え
>られない。 
 


草を食べると肉が淡い色ではなくなるため液状のエサのみが与えられます。
水は与えられません。のどが乾いた子牛はより多くのエサを食べて成長が
早まるからです。子牛は常に過食状態になります。


>仕切の中にはわらやその他の敷料はいっさいいれられていない。
>子牛がそれを食べたら肉の淡い色が失われてしまうからである。


その上、子牛たちは死なない程度の最低限の鉄分しか与えられず
意図的に貧血状態におかれます。これも淡い色の肉にするためです。


>淡いピンク色の肉は、実際には貧血の肉なのである。
>このような肉に対する欲求は俗物好みのものといえよう。
>うすい色と味とは関係ないし、肉の栄養価を高めるわけではない。
>むしろ逆に肉の栄養価を下げるのである。


鉄分不足の子牛たちは仕切のなかの鉄製の部分をなめようとするので、
鉄分を補給されるのを防ぐため仕切には木製のものが使われます。
また尿にはわずかな鉄分が含まれているため子牛は自分の尿でぬれた木の
板をなめようとします。子牛をつなぐのはそれが出来ないようにするため
もあります。 


このような状態で育てられた子牛は当然、極めて不健康な状態にあります。
わずか15週程の飼育期間のうちに10%くらいが死ぬことも珍しくない
そうです。
しかし、こうして生産された子牛肉は高級レストランが高く買うので、
採算がとれるとのこと。

 


    
食べる人間はそんなことは知らずに

「いやあ、いい肉ですな。柔らかくて淡いピンクで」

とか言いながら食べちゃうんでしょうね。まあ知ってて食べてる人も
もちろんいるでしょうが。


『ドナドナ』は悲しいうたですが、子牛たちの人生(どうして動物のlife
をあらわす適当な言葉がないんだろう)が短いものであることは唯一の
救いなのかもしれません。
 
   
そんなものが救いと言えるかどうかは疑問ですが。

私はこの子牛の話を読んだ時にもう肉なんか食べるまいと決めました。
    
問題なのは殺すことだけじゃないんです。 









 [#059]
 (どうして牛が苦しんでいると確信してるんだ。具体的に説明してくれという
 意見に対して)


肉用の子牛達についてはよろしいでしょうか?

確かに子牛を除く牛は豚や鶏に比べるとまだ、だいぶ恵まれているのかも
しれません。しかし、牛もだんだん狭いかこいの中で飼われていく傾向に
あるそうです。
実際に目にする機会が多いのは閉じ込められている牛よりも外で草を食べている牛で
しょうけど。


(人間が世話をしないと牛は餓死してしまい今より悲惨なことになるので
 はないかという意見に対して)

この意見はよく分かりません。人間が肉を食べなくなったら食肉用の牛な
ど存在しなくなるのでは。存在しない牛が餓死するのですか?
    
それとも過渡期の心配をしておられるのですか。人間がいっせいに肉を
食べなくなり金にならなくて見放された牛が餓死してしまうことを? 
そんな事にはならないと思うんですが。 






[#064]
 (植物だって生きている、動物は普通、殺してから食べるが植物はサラダのように
 生きたまま食べることも多い..との指摘に対して)


植物に対する私の考えはこれまでも書かせていただいているのですが無理
に一言でいうと「リンゴの心配よりも子牛の心配をする方が先だと思う」
ということです。


「植物は生きたまま食べる」
ううむ、あまりそんなこと考えたこともなかった。 世の中には色んな
意見があるものだと思います。

私はサラダには問題意識を持つこともなく、心安らかにいただいております。

植物の生死ってどのへんで判定するんでしょうね。たしかに生野菜なんか
は細胞レベルでは生きているのでしょうが。


果物なんかも細胞レベルでは生きてるんでしょうが、あれは食べてもらって
種を運んでもらうためにあのように美味しいのですよね。
(牛だってうまいぞという意見もあるでしょうが)
本当は食べたら、ちゃんと種を運ばせて頂かなくてはいけないのかもしれ
ませんが (^_^) 食べることに問題があるとは私は思いません。 





                   
[#065]
 (僕らはこれから世界規模的にどのような動きをすればよいのかという
 質問に対し)

そんな難しいこと私には分かりません (^_^'
    
 <補足>
 私は実はこの時は
「世界規模的なんていう前に、まず自分の考えをちゃんと
 持つ(どのような考えにせよ)のが大切なんじゃないか。どうして
 いきなり世界規模的になんか飛躍するんだよ?」 
 というようなことを言外に言いたかったのですが、だめですね。言外に
 なんか言っちゃ。後に全く通じてなかったことが分かりました。<補足終>


私も7年程前に、肉を食べないことに決めたのはいいのですが、
それからどうすればいいのか分かりませんでした。
前にも書いたことですが自分だけがそうするのではなく社会に働きかける
必要は感じていました。しかし自分の性格としてそういう事が苦手でした。
 
   
とりあえず、友人に手紙を出したり、機会があれば話してみたりしたの
ですが、なかなか理解を得ることは難しかったです。
7年間の間で、基本的に同意してくれた人は2人だけです。まあ、私は
交友関係も狭いし、それほど熱心に働きかけていたわけでもないのですが。 


 [#066,#067]
今まで投稿させてもらった内容で基本的に言いたい事は言えたかなと、
思っているのですが、これだけでも相当な分量ですよね。 
    

人と食事をする機会がある場合は、言う必要があれば(行く店を決める時
など)肉を食べない旨を、はっきり言う事にしているのですが、その理由
についてはそう簡単に説明できないことはお分かりいただけるのではない
かと思います。


おまけに私は話をする事がそれ程、得意ではないのです。まして相手が
初対面だったり、初対面でなくてもまだそれほど親しくない人の場合に
そんな説明を始めたりしたら、これはもうはっきり言って
「ひきまくって」しまいます。

でも困ったことに肉を食べない旨を言う必要があるのはそういうケースが
多いのです。
    
昔はそれでも説明を試みたこともあったのですが、最近はあきらめて理由
については「いや、ちょっと宗教上の戒律で」とか冗談にして(相手が冗談
ととってくれなかったら困るけど)ごまかすことが多いです。 
 

              
そんなわけでインターネットの発達によってこの様な形で自分の意見を
発表し、同時にそれに対する意見をきくことができる機会ができたことは
大変、嬉しく思っています。


やっぱりこれは画期的なメディアなんだなとあらためて思いました。
 (NIFTYなんかでもできるんだろうけど、色々制約が多いという様な話は
 ききます)




[#068,#069]
社会が、(とりあえず日本社会が)このように変化して欲しいという希望
ならあります。

(1)動物の肉を食べる事が問題だと考える人もいることを広く認識して
   もらう。


この希望は極めて穏当なものだと思います。
このトピックに目を通して下さってる方(どのくらいおられるか分かりま
せんが)にはこの目的はすでに達成されているといえるかもしれません。
    

この認識が社会全体に行きわたって、肉を食べない理由をきかれた時にも
「ええと、私は動物の権利関係の理由です」
「ああそう」
くらいで話しが通じたら楽でいいなと思います。


ということで皆様も支持するかどうかはともかくとして、まわりの方に
でも「こんなこと言うてるやつがいた」という話でもして下さったら私と
してはありがたいです。 




                       
(2)肉を食べなくなる人が増えて肉を避ける暮らしがしやすくなる。


こうなるとあまり穏当でもないかな。まあ、仕方ありません。

例えばレストランや、食堂のメニューに肉をつかわない料理が数品は、
必ず、存在するようになるとか。そうしたら人と食事に行くときも困らな
いし。

あとコンビニの弁当なんか肉を使ったものが圧倒的に多いのであれも
何とかして欲しい。それから今の時点ではあきらめてますがカレー粉
なんかには必ず肉エキスが使われてるんですよ。そうでない商品があって
もよいと思う。

なんかずいぶん細かい話になってしまいましたが。 





[#070]
インドは10億近い人口がいますが、国民の85%がヒンドゥー教徒で、
ヒンドゥー教徒は基本的にヴェジタリアンなので国民の過半数は
ヴェジタリアンです。


レストランなどもヴェジタリアン用の方が多いしそれがまた美味しいので
す。(話はそれますが、特に南インドの方のヴェジタリアン料理は本当に
おいしいです 新鮮なスパイスを使っているのも大きな理由だそうですが)
    
そういう社会環境の中では、ヴェジタリアンになるのは日本でヴェジタリアン
になるより、はるかに簡単だと思います。


ヴェジタリアン料理があれだけ美味しいと特になにかをがまんするという
感覚さえなく、喜んでヴェジタリアンになれるのになと思います。


日本がいきなりインドのようになることはないでしょうが、全体が少し
でも肉を食べない方向にシフトして選択の幅が広がればいいなとは思います。 





[#071]
もしも何か変えてみたいとお思いでしたら、フォアグラと子牛は食べない
ようにするとか、割と簡単にできそうなことからやってみたら
(もちろんそうしたいとお考えだったらの話ですが)いかがでしょうか。
人間、なかなか原理や原則や理想だけでも生きられるものではないので。
私もこれだけ家畜反対を主張してるくせにケーキなんか食べてるわけだし。

自分はとりあえずできそうなことを実行する。同時に社会に働きかける。
社会が少しかわることで自分が簡単に出来ることがふえていく。。といった
形で変化していくのが私にとっての理想です。段階論ですね。
    
植物も生物なのだから的な ALL OR NOTHING みたいな考え方にはあまり
賛成できないです。 




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