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過去のゲストブック その4

2000年2月26日〜6月24日


みゅう - 00/06/24 16:32:57

コメント:
 ひできさんへ 私は都合が良すぎるなんて思いませんよ。ある海外の動物愛護(保護)団体の方の意見ですが、かれらは鯨捕食禁止を訴えていました。理由は「かわいそうだから」なんです。でも彼らは豚肉を始め、多くの動物の肉を食しています。それは不平等ではないのかと問いただしたところ、「彼ら(豚や牛など)は神が人間に食べ物として与えてくれたものだから」という答えが返ってきたそうです。人によって動物愛護団体によって「動物愛護」という概念が違うのです。日本国憲法にも思想の自由は保障されています。自分が1番良いと思う考え方で生きていくことが大切ではないでしょうか?私自身も無益な殺生をしないように日々心がけているし、怪我をしている動物や困っている動物(私が使う動物は広義の意味です)がいれば助けるし、道で死んでしまっている生き物は自然に帰すようにしています。何が純粋で何が正しい動物愛護なのか実際のところわかりませんよね。決まった「動物愛護」なんてないのですから。人間というのは自分にとって益になる情報のみを集めてしまいがちです。自分にとって不利に、もしくは益にならないものは避ける傾向にあります。それはどの人間に対してもありうるのです。さまざまな意見を邪険せず、受け止めることは自らの考えをより広め、正しい知識として様々な問題を解決する足がかりになることでしょう。ひできさんのような考えを持っている方は私だけではなく、「動物達のレクイエム」だったかな?のレスページにいろいろ載っていると思いますのでそちらのほうも見てみればよいと思います。                                        最後に「肉を食べない」事に関して栄養士の方に聞いてみたところ、肉を食べないことによって免疫力低下による病気回復力の低下、及び二次的病原菌感染の恐れなどがあり、非常に専門的知識を持った上でという条件をつければ可能であるが、リスクが大きく、子供を産む女性には不向きだそうです。魚も食べないという方はさらに栄養のバランス面で偏りが生じ、正常に体が成長または維持することが困難になるそうです。また、医学博士をお持ちである現役国立大学付属病院のドクターは、どれだけその生活を続けてきたかによるが、非常に危険とおっしゃっていました。今度栄養学を専攻されている医学博士がいらっしゃいますので、そちらの方により詳しいお話を聞きにいこうと思っております。何事においても度を越すなということではないでしょうか?

うる - 00/06/24 16:04:03

コメント:
はじめまして!通信制大学の一般教養科目にある「倫理学」で 「動物実験」について日ごろの疑問を書くため、インターネットで はじめて検索しました。 そして、aboaboさんのページをみつけ、こちらに辿り着いた次第です。 私の掲示板でも勝手ながら、こちらのページがとても参考になったと お知らせしました。 勝手に申し訳ありません。m(._.)m  ボディショップに署名したばかりです。 日本ではまだまだ、このような活動が認知されてないのですね。 ぜひとも広げたいものですね。 それでは、次の翻訳をお待ちしております。 がんばってください。

サド - 00/06/23 13:06:25

コメント:
 動物の権利というものに対して、賛同できません 苦痛を感じるから(動物が)殺すなというのも、よくわかりません 私自身は、動物の肉(魚も)をほとんど食べません したがって外食は2年ほど全くしていません

ひでき - 00/06/23 11:55:28

コメント:
みゅうさんへ。 今日の私はちょっとマイナス思考ぎみかも知れません。(天気のせいかなぁ) みゅうさんや私のように「生き物は動物だけでは無い」と主張する人間がいたとしても昨日私が書いた通り、現在世界中で動物愛護活動をしている方々にとっての対象が、あくまでも「動物」という定義の上に成立っているのであれば、これ以上「植物」の話をしても平行線をたどるだけだと思う様になりました。 (植物などにも命があり、感覚を持っていると認めて貰えたとしてもです。) 例えば、車(自動車)が好きで研究を進めているサークルの人に 「車だって電車だって飛行機だって乗り物なのだから車だけ研究するのはおかしい」と言うのと同じ事を言っているような気がしてきました。(例えが変かな?) 初めから対象を限定していることに対して、その枠を広げよ、と唱えるのは 枠の中にいる人達が進んで方針を変えるつもりがない限りは難しいことです。 一方では、色々な主張を持つことは一般的に自由とされていますから、自分(自分達)とは異なる主張は受入れにくいもの事実です。 ですから私は「私にとっての『生き物愛護』」の精神を持っていれば、それで良いのではないかという気持ちに変りつつあります。 すなわち大切なのは生き物の命をいたずらに侵害してはいけないという「精神」を持つことを「私にとっての動物(生き物)愛護」と定義することにしようという事です。(一般常識の範疇から出ていないかも知れませんが) 私は肉も野菜も魚も食べてしまうので、その裏にある「生き物を殺す」という行為に 間接的に関っていることになりますが、それはあくまでも人間を含む生き物が生きていく為に行っている行為だと解釈し、生きていくのに必要がない虐待などはしない。 そういう精神を持った「動物愛護賛成派」がいても良いのではないでしょうか? 「○○愛護を唱えているので○○は食べない」というのは筋の通った立派な行動だと 尊敬しますが、私はそれが愛護に賛同するための絶対条件であるとは思わないからです。 でも、この発言をした時点から、もう私は(肉食をしない)純粋な動物愛護支持者の仲間には入れなくなってしまう訳ですね....へ理屈をこね回す単なる取巻きという立場になってしまう訳です。でも動物愛護には理解を示す...都合が良すぎますかねぇ?

みゅう - 00/06/23 05:43:14

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 ひできさんのコメントを読んで自分が書こうと思っていた事を書き忘れておりました。吉岡さんは現状を人間が後付けしたことをかかれていましたが、確率などは人間が事例から検索し、決定付けたものであって、哲学的に考えると現状=結果であり、結果=現状というのは一致しないものと思われます。現状があってその結果が出るのであって、結果があって現状が出るものではないと思います。99%という数値は、現状から統計的に算出したものであり、実際どういう風に思って彼らが生んでいるのか分かりませんから、それを単に人間が後天的に決定付けたものとは何ら関係が無いのではないでしょうか?  それと自然界に存在する食物連鎖に関する事について私は「ひどい話」とは思っておりません。自分が生きていく上で他の動物を殺さざるを得ないのは、どの動物でも同じだと考えているからです。もし吉岡さんは「ひどい話」と思われてらっしゃるのであれば、自然界で生きてゆく試練を人間の感情だけで測ってらっしゃるのではないでしょうか?彼らの行為は人間が他の動物を食す事と同じであり、生きてゆくのに必要不可欠な行為です。それは我々人間が介入することができないものであると私は考えております。

みゅう - 00/06/22 16:28:41

コメント:
 私自身もひできさんと同様に、植物を用いてベジタリアンを否定しているのではありません。動物の権利というある局所的な部分で肉食に関する問題を解決していくことはより偏った結論を出しかねないと思うのです。よりたくさんの知識を得て、そしてより疑問点や矛盾点を追求していくための一つの手段として私の知識を扱ってほしいのです。私もなぜ植物を対象外とされているのか理由を教えていただきたいです。そしてなぜ動物のみを対象とするのかという理由も科学的、かつ論理的に教えていただきたいと思います。                                   ひできさんへ  自分がいいたいと思っていた事をまさかあんなに分かりやすく書いてくださるとは思ってももませんでした。つくづく自分の文章力の無さを痛感しております。

ひでき - 00/06/22 15:22:18

コメント:
こんにちは。 どうやら「動物愛護」の話に「植物」の事を持出す人間は煙たがられるようですね。 それは、肉食や動物実験などの行為を正当化する(したい)人たちの反論に用いられるツールの一つ、として受止められているからのようです。 確かに「動物」という言葉を使っている以上、その言葉の定義からすれば 初めから「植物」などは思慮の範囲外のことなのでしょう。 なぜなら動物愛護の対象は「痛みや苦痛を感じる感覚を持ち得る生き物」であり、 この感覚を持たない(持つ必要のなかった)植物は論外だからだそうです。 (以上は、HPを色々読んでみた私なりの理解です。) ですから「動物」という範囲の中で活動をされている方々にとっては「植物」のことを 言われるのは単なる動物愛護反対論者からの横槍か「へ理屈」に聞えるのかもしれません。 しかしながら、私は動物愛護を否定するために植物を持出している訳ではありません。 もし私が反対論者であったら、このHPに何度も顔を出したりしないでしょう。 無視するか、せいぜい嫌みの一つを書いて立ち去ります。 私が言いたいのは、動物愛護を訴えていらっしゃる方々に、植物を含む「生き物」の存在も素直に受入れた上で、活動を広めて頂けたらよいのに、ということです。 ここら辺は、みゅうさんがご専門のようですが、現代科学では「植物」にも感覚がある、ということは広く知られつつあります。 中世であればいざ知らず、現代においてもなお、命ある生き物として「植物」を持出すことはいけないことでしょうか。 別に「植物にも権利を与えよ」とか「ベジタリアンは駄目」とか言っている訳ではありません。 「植物」のことを切出してくる(私のような)人が現れても、煙たがらず、理解を示した上で「植物」を対象外とする理由を分かりやすく説明されたらいかがなものか?と思うだけです。 耳に障る書き方かもしれませんが、色々なページを見ても私には植物を持出すことが不適切である理由を分かりやすく説明してくれるものが見つかりませんでした。 FAQの#43,44あたりが翻訳されると、もう少し私の理解も深まるのでしょうか....。 (恐らく、みゅうさんも私と似た考え方をしていらっしゃるものと想像します。) 別件ですが、私が質問させて頂いたペットに対する考え方については、管理人さんのご努力のおかげか、1つ翻訳されていましたね。 全て翻訳された後で、質問があれば登場させて頂きます。

みゅう - 00/06/22 11:52:34

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 吉岡さんへ 人間をはじめ、その他の動物や植物の細胞内にもアポトーシスなどもあれば、人間にも受精する事のできない精子などがあり、すべての命が生まれることなく死んでゆく事は周知の事実です。ただ海中に住んでいる生物は実際に聞かなければ分かりませんが、あなたが自分の子供をたくさん産んで(育てて)それが何かに食べられたら「他の動物の食糧なんだからしょうがない」といって納得できますか?私が親であれば納得できません。たとえ確立で決まっていたとしても、自分が親であれば、その子達がみんな元気に育ってほしいと思うし、何より大切にしたいと思います。その立場になって考えて見てください。私は植物が畑に植えられ育てられるのを観て、動物が工業的に生産されているものと何ら変わらないように思います。自分の体が改良され、DNAまでも組替えられ、機械化された手順で育てられているのは、動物も植物も同じです。あなたの考えには食物連鎖の高位消費者として最も下位に存在する植物に対する感情が動物に対する感情よりも欠落しているように思います。宗教学的に、神から頂いたものをうまく利用して、より生産的に活用しようというものが見え隠れしているように思います。植物も動物も同じ生き物です。ひできさんがおっしゃったように、肉食をやめれば野菜を食べるというのは、簡単に結びついてはいけないことだと思います。もしあなたに植物が苦しんでいる時の信号などが分かればきっと動物のように扱ってくれることと思います。植物も動物も形は違えど、同じ生命であり、同じ地球に生まれてきた生き物です。それらがどうして同じ扱いをされないのでしょう?私は植物や植物の生態に関して研究を続けているうちに、植物も動物も同じものまたはそれ以上なのだと痛感させられます。植物がいなくては地球上で生きてゆける生物はいないですよ。

吉岡英介 - 00/06/21 15:25:02
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みゅうさんへ 生物、特に海中の生物は卵と食料を同時に生んでるんじゃないか、というのは水産学でよく出てくる表現で、状況をどう解釈するかということですから、ほんとうのところはウニとかカニとかタラとかに聞いてみなければわかりません。(本人たちにもわからないでしょうが)卵をたくさん生むのは、切磋琢磨してよい子孫を残すということではなく、単純に確率の問題で、エサになる確率99%とかちゃんと計算されているのです。ひとつ言い足りなかったのは、卵は、卵の親兄弟や同類にとっての食料でもあるということです。たとえばカニの卵や、それがふ化してプランクトンになったものは、ほかの動物たちも食べますが、同時にそれは同じカニのエサにもなるのです。そのプランクトンは将来何になるのかなどということは、いちいち認識せずにどんどん食べちゃうのです。 地球で生存しうる生命体の総量は、太陽エネルギーの量によって決まっています。それを棲み分け食べ分け、つなぎつなぎして生命はバランスを保ち種を保存しています。 蜂の一種はイモ虫のような形をした何かの幼虫に麻酔をかけて、そこに卵を産み付け、卵から孵った蜂の幼虫は「生きていて腐らない」そのイモ虫を食べて成長します。カッコウはほかの鳥の巣に卵を生み、卵から孵ったカッコウのヒナはまわりの「兄弟」たちを殺してたべ、義理の親からエサをもらって成長します。「ひどい話」ですが、動物は互いに食べ合うことがその生態としてインボルブされています。それをそのままそう認識することは、「失礼」というような種類のことではないでしょう。 また、植物と動物は、同じ生命体といっても根本的に異なるところがあります。植物を育て収穫し食べることは、生命を軽んずることととは違うことだと思います。

ひでき - 00/06/21 14:15:23

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私の直感的な書込みに対して、みゅうさんを始め、色々な方にレスを付けていただきありがとうございます。 とりとめのない書込みに「植物」という言葉を使ったばかりに話が大きく(?)なってしまったようで申しわけありません。 そもそも「動物愛護」「動物の権利」ということに関しての書込みの場なので ここに「植物」を始めとする「動物以外」の生き物の話を持込むのは場違いだったのかも知れませんね。 しかしながら「動物」-「動物の権利」-「肉食の否定」というキーワードが存在するならば、理論としては「植物(動物以外の生き物)」-「植物(同左)の権利」-「草食の否定」というキーワードがあっても良いように思いませんか? 私はこのキーワードについて「場違い」かと思われるこのサイトで議論を持掛けるつもりはありませんが、「肉食(動物を殺すこと)は駄目」ということへの対策は「草食」というようにはすぐには結びつかないことだと思っています。 この見方からすると、動物という範疇だけに注目し、さらにその範囲内で 「線引き」を試みる事に意味があるのかどうか、私にはまだ理解が出来ません。 「草食の生き物」が存在し「肉食の生き物」も存在し、更には「(例えば人間のような)雑食の生き物」も存在する。 それは自然なことで、英知を持った人間であってもこの仕組みを変えることは不可能でしょう。 工業的飼育を強要され、食肉となるために殺されていく動物達の事を考えるとかわいそうではありますが、だからと言って私は肉食を止めるつもりはありません。 肉を食べなかったとしても工業的生育を強要された植物や魚介類を食べざるを得ないからです。 私は雑食の生き物として生れてきたのですから、どちらも好き嫌いなく平等に食べるようにしています。 (いつも意識している訳ではありませんが.....) 何だか、また変な方向に話が外れてしまいました。ごめんなさい。

みゅう - 00/06/21 01:49:08

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 吉岡さんへ  「肉食に関して」というより動物の権利を守るために肉食をやめるという事に疑問を抱いています.その疑問が結果的かつ必然的に「肉食」に行き着いただけです。だから一部の動物に関してのみ権利を守るという事に関して、他の動物(狭義)の権利は守る必要がないのかということなのです。動物や植物はもちろんのこと人間でさえもたくさんの命を生み、そのほとんどが大人になることなく死んでいきます。それは食物連鎖という悲しくも完璧なプログラム下で避ける事のできない試練だと考えています。それが悪いといっているわけではなく、ある一面のみを見て結論が果たして出るものでしょうか?たとえば富士山はどこから見ても美しい山です。しかし、ある一面のみを見ているだけではその美しさをすべて知る事はできないし、他から見た景色がどうなっているか分からないでしょう?それと同様にある局所的な部分のみを観るのではなく、様々な角度から物事を見定め、それらからベターな結論をより多く出してゆく必要があるのではないかと思うのです。ちなみに日本の食肉率は世界の中で下から数えるほうが早いです。アメリカやイギリス、ドイツなどが軍を抜いて消費しています。それらをグラフ化すると日本はグラフにならないくらい消費率は少ないですよ。かれらの文化は肉食です。我々日本人がいくら肉を食べているといっても所詮世界ではこんなもんです。だから「いいじゃないか」ということではなく、「肉食」をイエス、ノーの二者択一にするのはどうかと思うのです。私は生物学的な見地、および倫理的見地、宗教学的見地、医学的見地から「肉食」に関する疑問をもっています。吉岡さんは吉岡さんなりの意見から「肉食」に関する疑問をもっていると思います。様々な学問からの見方からよりベターな結論がでればいいなあと思っています。最後に海中以外にも人間や動物体内で生き物は不必要なほど生命を生みます。それはより優れた自分の子孫を残すために行っている事であり、結果的に他の動物の食料になったとしても、彼らは食料になりたくってなっているわけではありません。だから「食料を生む」という言葉は失礼に値すると思います。取り消してください。

吉岡英介 - 00/06/21 01:05:00
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みゅうさんへ   地上の動物のほとんどは、結局のところ植物が太陽エネルギーをデンプンやアミノ酸に固定してくれたものを食べて生きています。つまり植物以外の生命は、ほかの生命体を食べることで生きています。逆に植物は、動物に食べられることを期待して実をつけています。あるいは海中は弱肉強食の世界で、小さな魚は大きな魚に食べられるために生きていると思えるほどです。海中では多くの生物が「不必要なほど」たくさん卵を生みますが、それは一面では食料であり、海中の生物は卵と食料を一緒に生むとも言えるほどです。 ですから、「肉食」の問題を生命一般まで広げては議論が発散しすぎると思います。「肉食」の問題を、海岸で貝をとって食べることと同列に扱うのも、議論の性質が少し違うように思います。私は肉食の問題を、現代の「工業的食肉生産」による肉食は是か非か、という限定的な意味で考えています。 犬歯については、犬歯はもともと牙だったものが退化する途上にあります。これからどんどん鋭く長くなって、人間が肉食獣になるために生えているのではないでしょう。ゴリラは完全に草食で、だから山から出られないのですが、人類は地に満ちて、極北ではアザラシだけで生きることができ、縄文人は貝を大量に食べて貝塚を造りました。これらのことは、人がアミノ酸を植物からだけでは十分にとれなかった状況ではやむを得ないことで、人が「雑食」できたことが人がを栄えた理由です。しかし現代の人類はその呪縛から解放されつつあります。 ドイツ人は肉ばかり食うというのは、多数派としては現時点でもそうでしょう。でも欧米でこそ、知的な人々は「工業生産的な肉食」から離れつつあるようです。過度の肉食が健康に悪いことははっきりしてきましたし、地球規模でこれ以上の食肉生産は不可能ということもあります。21世紀は肉食がすたれる世紀になると思います。だからどうしろということではありませんが、若い人がこれからの人生を○○ハムなど食肉生産業に託すとしたら、それはちょっとねえ、という感じはあります。

みゅう - 00/06/17 16:42:32

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 白血球や腸内細菌などにも命があり、それらすべてが生きています。私がいいたかったのは体の大小、形などによって生きている動物(この動物は広義の動物という意味です)がその大きさや形などによって平等な扱いをされていないという現状があるという事です。ひできさんがかかれたように、植物や微生物たちには人間のような表情をしていません。仮にしていたとしても人間が気付いてないだけかもしれないと思います。それらがその表情を示さないからといってそういった表情をする動物(狭義の動物の意味です)だけに権利を与えるのは変だと思うのです。                                                         吉岡さんへ                                  人間は基本的に草食とおっしゃっていましたが、日本人は基本的に草食を主体として生きてきました。しかし、ヨーロッパなどでは現在も肉中心でほとんど野菜は食べないそうです(ドイツにいる方がおっしゃっていました)。だから腸が日本人より約2mくらい短いのです。しかし日本人でよく観てほしいのは「犬歯」です。あれは肉を噛み切ったりするナイフの役割をしています。日本人もずっと草食だけを食べてきたのではありません。鳥だけは食べていたらしいのです。それだけではやはり動物性たんぱく質が足りないのでそれをとるためにイノシシを鳥の一種として食していたようです。    昔から日本人のほとんどは仏教に属しており、自然のありとあらゆるものには神が宿るという考えで今日まできています。今でも神社の境内に樹が祭られたりしているのが良い例だと思います。反対に海外ではキリスト教がもっとも信仰されています。そこでは、人間はすべての自然は神様から与えてくれたもの。と考えれているようです。(私は宗教学の専門家ではありませんがそう教授はおっしゃっていました)だから神様から与えられたものをいかにうまく利用するかという考えが根本にあるらしいです。基本的に人間の考えは、自分は意識していなくてもその国で信仰されている宗教に左右されると思うのです。その宗教での教えをベースにしているからだと思います。民族や宗教が違えば考え方も違ってくると思います。たしかに肉を食べずに生きている人はいますが、果たしてデマでしょうか?医学的観点から見ていえるでしょうか?これについてはちょっと調べて見たいと思います。なにごとにおいても食べすぎはよくないし、反対に食べなさすぎも健康に対しよくないです。度を越えるなという問題ではないのでしょうか?日本人の体は肉を食べ過ぎると消化器官が長いので吸収率がよく、欧米人よりも効率的に吸収してしまうのです。それによって成人病などが日本人は多いのです。しかし、1億3千万人の胃袋を狩猟でまかなうのははっきり言って不可能です。国土の70%という森林被覆率を誇る日本ですが、一人あたりの土地面積はアメリカの20分の1くらいだったと思います。どこでそのようにするんでしょう?海外から輸入すればいいんでしょうか?現実問題では非常に難しいのではないかと思います。最近の日本の研究では森林内に牛を放牧させ、下層植生を食べさせ、自由に放飼いにした牛肉が評価を受けています。皆さんが思っている以上に農業は変わってきていると思います。

吉岡英介 - 00/06/17 12:55:18
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コメント:
ヤフーの掲示板やここでの発言を全部読んだわけではありませんので、重複している意見かも知れませんが、、、 肉を食べないことは、「動物愛護」という視点より、人間はそもそも肉食動物か草食動物かというベーシックな観点から考えられるべき問題だろうと思います。 私は、人間は基本的に「草食動物」だと思います。それは歯の構造や消化器系の構造からそう言えると思います。まったく肉を食べなくてもちゃんと生きている人々がいるのですから、必須の動物タンパクがあるというのはおそらく畜産業界や酪農業界のデマだろうと思います。人間が狩猟採集生活から脱却できたのは農耕ができるようになったからです。農業を基礎とした現代文明社会では、「嗜好品」という以外には肉を食べる理由はほとんどないと言えるでしょう。肉は、ある程度は食べてもいい思いますが、多く食べると、肉のカスが大腸で腐敗して健康上のさまざまな問題が起きてきます。ある程度というのは、「肉を食べるために育ててはいけない」というあたりが、健康的にも倫理(宗教)的にも世界の食糧事情的にも、ほどよいルール(畜産業界は全滅ですが)だろうと思います。 多くの宗教が肉食をいましめているのは、そこに人間の知恵があるのだと思います。私はビールと豆腐、枝豆、それと少量の天然の魚があれば、たいてい満足です。有名な本ですが、ピ−ター・コックス著「ぼくが肉を食べないわけ」(築地書館)が参考になります。 私は、戦後の肉食過剰がアトピーの一因となっていることを「アトピー解決篇」という本に書きました。HPで全文公開しています。www.yoffice.net です。ごらんください。

nyatete - 00/06/17 10:54:58

コメント:

>匿名様
 感謝するのは良いことだと思うのですが、それがなにかのエクスキューズの様に
使われるとすれば私には納得できないのです。あなたは、そういう意味合いで書か
れたわけではないでしょうし、生命を消費し続ける社会に問題があるというのは、
本当にそのとおりだと思いますが。。

>ひでき様
 はじめまして。
 FAQのペットの部分も近いうちにアップできると思います。すみません。
結論だけ言うとあのFAQでは、ペットそのものは否定していません。もちろん、
きちんと接してやるならという条件つきですし、野生動物をペット化することに
は反対していますが。
 私もだいたい同じ様な考えですが、基本的にはペットにしていい動物なんて犬
とネコぐらいなんじゃないかと思っています。犬をつないで飼うのには反対です。
かと言って室内で閉じこめて飼うことにも賛成できませんから、郊外でかなり土
地ある家じゃないと・・となりますが。なにを食べさせるのか(犬はネコは本当
の肉食動物ですから)とか、避妊手術の是非とか他にも色々、問題がありそうで
す。難しいですね。

>みゅう様
 すべての命が平等だとすると、最後は人間の命も細菌の命も平等だというとこ
ろまで行ってしまうのでしょうか? 人間の中にも無数の細菌がいるし、白血球
は主人がどう思ってようが、せっせと細菌を殺したりしているわけですが。
 線引きというのはたしかに難しい問題ですが、現状が線引きをしていないわけ
ではなく、人間と動物の間に線をひいています。それは平等などと言えるもので
はないし、もう少しましな線引きがあってしかるべきだろうというのが私の考え
です。


みゅう - 00/06/15 08:39:52

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 動物管理法で1年以内の懲役、または100万円以下の罰金でした。1桁抜けてました。ごめんなさい。

みゅう - 00/06/14 13:09:06

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 ひできさんへ  そうですね。ペットが幸せであるとは限らない事だと思います。飼い主は動物が好きで飼っているけれど、犬猫がストレスを感じて飼い主をかんでしまったり、人間で言えば精神障害になっているという事例を目にします。どういう状況にいてどんな環境で育ったのか犬猫それぞれですが、すべてが幸せであるという事は分かりませんよね。ペットショップなんかで犬や猫が売られていて、商品と同じ扱いをされているのが信じられません。確かに法律上、動物は他の物と同じに扱われています。ガラス割っても動物殺しても同じ「器物破損」なんです。命あるものとそうでないものを同等に扱うのは不当であると思います。しかし、最近少し条例?かな?が変わって愛玩動物を殺した場合、懲役1年未満、または10万円以下の罰金というのがかせられるそうです。以前より良くなったものの、やはり甘いといえば甘いですよね。馬術をしていた頃、先生から聞いた話ですが、馬が人を振り落として逃げた時、蹄洗場(馬を厩舎に入れる前に連れて行くところ)まで走っていきました。馬はそこに行ったら自分の馬房に帰れると思っているそうです。自分がそこから逃げても生きていく事ができないという事を分かっているんです。一度人間の世界に入れてしまった動物は自然に(この自然の定義は難しいですが)返す事が非常に難しいのです。まして長い年月を経て人間世界にどっぷり使っている犬や猫を自然に返す事はほぼ不可能といってよいでしょう。そういった動物たちの本当の幸せとは何でしょうか?すごく難しいですね。犬猫ももちろんですが、多くの海外から輸入されてくる動物やワシントン条約にのっている動物を平気で買う人たちがいますが、そういったことに関して一般の人たちがもっと勉強すべきであり、活動すべきであると思うのです。なかなか答えが簡単に出てくれないですね。

匿名 - 00/06/14 03:52:52
電子メールアドレス:非公開

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初めまして。 日本人は食事の前に「いただきます。」と手お合わせます。何を「いただく」のでしょうか。 「いただく」のに何故手を合わせるのでしょうか。 人間という生命体を他の生命体と、切り離し著しく特別扱いする事は本当に正しいのでしょうか。 一つの生命は何十何百の生命を「いただき」成り立っているのではないでしょうか。 「いただく」事が問題ではなく、「いただく」事に感謝できず、大量の「生命」の無駄遣いを続ける大量消費社会にこそ問題があるように、私などは愚考いたしますが。 誤字脱字、匿名、メールアドレス非公開、ご容赦下さい。

わたしは私 - 00/06/13 19:04:34

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植物=動物という新たな視点が出てきたことに驚きながら考えさせられます。 私が動物の権利について考えるときでさえ、人間=動物とまでなっていないのは明らかです。 確かに植物も同じ生命だし、生態系の中でその恵みがあらゆるものをもたらしているから私達はいます。 水だって、空気だって、太陽だって、風だって、土だってまだまだ他にも忘れてはいけないものがあると思います。 話の規模が広くなり過ぎてしまいましたが、植物も動物も人間も自然も同じ所にあるものだから、お互いについて考えることは大切ですね。

ひでき - 00/06/13 18:55:33

コメント:
はじめまして。 実は、全く別なことを調べるつもりで探しているうちに こちらのHPにたどり着いた者です。 ですが、色々読ませて頂いている内に ちょっと書込みしてみようかな?と思い立ちました。 普段、動物愛護とかベジタリアンとかは言葉としては耳にしていましたが 深く考えてみたことも無かったし、偶然?とは言え、こういうHPを 覗く機会を持てたことに新鮮な気持がしました。 そんな私の書込みですから、自分の考えがまとまっている訳でもないし 理解も十分ではありませんが、HPを見ている間だけでもいいから ちょっと考えてみようかな、と思った次第です。 普段、真剣に考えたことは無いとは言え、動物を苦しめることは良くない、という 漠然とした気持はありましたので、読んでいってまず初めに思ったのは 「ペットはどうなの?」ということでした。 「動物の権利 FAQ」のコーナーでは、この部分がまだ翻訳されていないようですし、 動物愛護におけるペット達の立場、というものがどう捉えられているのかが私には 分りません。(もっと色々と深く読んでいけば、どういう理解がされているのかが 読取れるのかもしれませんが。) ただ、私の浅い理解の中で感じていることは、殺す殺さないに関らず、ペットだってそれなりの苦痛はあるだろう、ということです。 ペットを飼っている人は動物が好きだから飼っている訳で、まさか殺そうなどとは 思わないにせよ、人間という生物学的に異なる生物に飼われているペット達は 苦痛を感じる事はないのだろうか?ということです。 人間と同じ部屋の中で暮したり、鎖でつながれたり、かごに入れられたり、という 彼/彼女たちの「生き方」は本当の彼/彼女たちのものでは無いように思えるのです。 最近ではペットになるべく「創られた」動物もいるそうですが、人間がそこまでして 良いものなのか、「食べられる為に飼われている小牛やブロイラーとどこが違うんだろうか」と感じました。 ですから、私は私の考え方に従い、ペットを飼いたいと思った時もありますが 飼わないようにしています。 子供の頃は飼ってましたが、自分の意志ではなく物心ついたときには既に犬がいたという環境でした。 でも、その犬もやがて歳をとり、死んでいきました。 その頃は「死」という現実が良く理解できず、亡骸も私が学校に行っている間に 親がこっそりと裏山に埋めてしまったので、やがて忘れてしまいましたが 今となって思えば、「果して、あの犬は私と私の家族に飼われて苦痛を感じた事はなかったのだろうか?」と言う気持が改めて湧いてきました。 「苦痛」というのは人間だけが感じ、理解できる感覚なのかも知れません。 でも人間は、この感覚を動物の立場で想像することが出来ます。 だから、「苦しいだろうな」と相手(動物)の立場になって思うわけです。 苦しさは目だとか仕草に現れるから、同じように目や手足を持った動物にも 苦しさが現れるのではないかと思い「かわいそう」だと感じるのだと思います。 植物や虫ならば良い、というか罪悪感が薄い、と思っている人がいるならば その理由は、相手が「苦痛」を表現しているかどうか(人間に似た表情や表現を しているように見えるかどうか)から来ているのではないだろうか、と 思います。 残念ながら、私が飼っていた犬がそんな表情を見せた時があったのかどうかは 今となっては記憶がありません。 次に思ったのは、「牛や犬猫だけなの?」という思いです。 色々読んで行く内に「植物だって虫だって細菌だって生き物」という議論が あり、「優先順序」とか「出来るところから」などのコメントもあったので 頭の中では、論理としては理解できましたが、先の私の考え方で行けば 植物や魚や虫は、人間と同じような表情が出ないだけだから、(言い方は 悪いですが)「二の次」になっているだけのような気がします。 日本に昔からある「盆栽」など、痛々しいと感じるのは変な事でしょうか? ディズニー映画などを見ると、草花だってちゃんと擬人化されています。 花は顔になり、葉は手足になり、茎は胴体として書かれ、表情豊かに 歌ったり踊ったりしています。 つまり、人間は動物だけでは無く植物にも人間と同じ感覚が備わっているかの ごとく想像し、動きを与えています。 そこまで出来るということは、自ら動いたり声を出したりしない植物だって 苦痛を感じていると想像しても良いはずだと思う訳です。 美しさのあまり、思わず摘み取られ、あるいは切取られて花瓶に入れられた 花であっても、その変らぬ表情を見せている花は苦痛を訴えているかも 知れません。 予備知識もあまりなく、いわば思い付きに近い内容で長々と書込みさせて 頂きましたことお詫び致します。 私はベジタリアンにはなれませんが、動物愛護の精神は理解できるので これからも時々覗かせて頂きます。 お邪魔致しました。 私は別にこのHPに登場されている方々に文句を言っているわけではありません。 ただペットはどういう立場になると考えられているのかを個人的に知りたいだけです。 ですから、本来ならこんな書込みはするべきではないのかも知れませんが、 知る術(すべ)だけでも教えて頂ければ幸いです。

わたなべ - 00/06/13 13:04:27

コメント:
みゅうさんへ 失礼しました。2つ書いたらつながっちゃったみたいです。
1つめ。
www.enviroweb.org/java/indexJ.html
(Javaという、動物実験にはんたいしている団体のホームページ)


 2つめ。
home.interlink.or.jp/~aboabo/index.html
(主催者の方についてははよくわからないのですが、かなり詳しくいろいろ載っています) です。

*************
(リンクをはっておきました〜nyatete)

みゅう - 00/06/12 18:25:23

コメント:
 渡辺 晶子さんへ  ホームページに行こうとしたらいけませんでした。もしかしてアドレスが違っているかもしれません。確認お願いします。自分が言いたいことをすべて伝える事は難しい事です。私は自分が言いたいことの10分の1もちゃんといえていません。植物のように言葉以外で会話ができたら・・・。と思います。  nyateteさんへ  HPの植物のところも見ましたが、私が植物に特別な感情を持っているのか、皆さんが植物に対して動物ほど思い入れが無いのか分かりませんが、肉を食べ無いから植物を変わりに食べるというのが私には理解できません。私の心の中では命の重さは動物=植物ですので。動物も植物も不当な扱いを受けてはいけないのです。動物の不当な扱いを正当化しているのではなく、こういう現状を分かってほしいという意味です。

みゅう - 00/06/12 17:43:10

コメント:
 渡辺 晶子さんへ  微妙なタイミングでメールがはいってしまったようですね。それは良しとして、私は動物実験については素人です。現実にどういったことがどのように行われているのか分かっていません。ただ自分の身近では今お世話になっている医学部の教授の研究で実際に動物実験が行なわれているんです。マウスを用いた実験で(内容は深く書く事はできません。すいません。先生にご迷惑がかかるからです)もちろんひどい事が行われているのは分かっています。それ以外にも病気治療のため多くのマウスたちが犠牲になってます。しかし、病気で困っている人間を救うべくして研究を行っているという事が分かっているんです。しかもそれに代わる別の研究方法は今はないようです。残念なが ら・・・。もちろんこういったこと以外に不当な動物実験がなされていることが現実問題起こっていてもおかしくありません。学部生時代、動物実験をよくされる先生がいてそこの学生から電話をもらって近くにいる猫や犬を探して実験材料にされないようにみんなでかくまった事もありました。確かに、不当な動物実験をするのはおかしいし、世間の人が知ればより多くの動物たちが助かる事でしょう。そうするにはいかに不用な動物実験が無駄であるかを確実に調査する必要があるようです。署名運動や広報運動(?)ももちろん大切ですが科学的見地から訴えていく事も必要ではないでしょうか?  私は自分が人間であるという事に恥じていました。でも今の現状をどうにかすることができるのも人間だけだと確信しています。分かっていただきたいのは、動物や植物、そして人間のことを考えながら、すべてが生きる権利を、育てる義務を持ち、かつより良い関係を見出す方法を考えている一研究者(というには頼りない)がいるという事なんです。

渡辺晶子 - 00/06/12 13:08:30

コメント:
なんか、下のコメントみゅうさんが送るのと入れ違いで送ってしまったみたいです。 今自分が書いた文章読みなおしてみたら、ちょっと論点違うかもって思いました。 ずれていたらごめんなさい。自分の意見を誤解のないように言うのって、難しいですね、ほんとに。

渡辺晶子 - 00/06/12 12:58:48

コメント:
みゅうさんへ みゅうさんは動物実験の実態をご存じでしょうか。 そしてそれが医学のためだけでなく、化粧品の新開発のためにも行われていることも。 私も最近知ったのですが、化粧品の新開発のために実験としてはマウス、モルモット、ウサギが使われるそうです。ウサギの実験はドレイズテストとよばれ、ウサギたちは眼を手足でこすらないように、頭だけがでる拘束器に入れられ、まぶたをクリップなどで固定されたまま、72時間も放置されます、あまりの痛さから大暴れし、首の骨を折って死んでしまうウサギもいるそうです。どちらにしても実験後すべてのウサギは殺処分されます。そのほかにもいくつかの実験が行われていますが、どれも残酷な上にデータに差があるため信頼性がないそうです。また代替法というヒトの皮膚培養細胞などでの実験も盛んに開発されており、これは動物実験に比べ科学的にも信頼が高く研究にかかるコストも削減できるそうです。欧米ではすでに動物実験への批判が高まり、化粧品会社はこれを廃止して代替法の研究を進めているそうです。 しかし日本ではいまだに大手化粧品会社はじめ、たくさんのメーカーが動物実験を行っています。(たとえば資生堂、カネボウ、コーセーなどなど) 今すぐにでも廃止できるものをなぜ廃止しないのか、どうしても私は納得できません。 日本人はどうも、見たくないものにはふたをする、また自分には関係ないという意識が強いように私には感じられます。(もちろん私も日本生まれ、日本育ちの生粋の日本人ですけど。) 医学のための動物実験にかんしても、私が調べたところによるとかなりひどい状況で無用な実験が行われているようです。 ちょっと話がずれてしまうかもしれませんが、人間は今まで自然の生態系を平気で壊してきました。私はそのことに人間の1人としてすごく恥ずかしいし、責任を感じます。 自分が生きている間に少しでも良い方に変わる手助けができればと思うし、それは私の義務だとも思います。 うまく説明できていないし、まだまだ言いたいことはたくさんあるのですが、お昼休みが終わってしまうのでこの辺にします。 実験に関してはこちらのホームページに載ってますので、参考にしてください。 www.enviroweb.org/java/indexJ.html home.interlink.or.jp/~aboabo/myhp08.htm

みゅう - 00/06/12 12:55:13

コメント:
 そうですね。もしみんながベジタリアンになれば現状の犠牲に比べ、多くの命を救うことができると思います。ただ、現実問題として成長期の重要な時期にきていることどもや、妊婦さんこれから子供を産む可能性のある女性や同様に男性、など野菜だけではとることはできない栄養源をやはりとらなくてはならないと思います。栄養剤で取ればいいと思われるかもしれませんが、人間というのは良くできているもので、自然に作られた物質以外は体に入れても吸収されず、体外へ放出されてしまいます。昆虫なんかでも産卵するためにオスを食したり、危険を顧みず人間の血を吸ったりして栄養を無理に補おうとしていることから、いかに栄養を取ることが重要であるかは理解できると思います。  動物実験の件ですが、人によって考え方や大切なものが違うということは周知の事実です。もし、動物実験によって医療が進歩し、我が子や両親などが助かるのであれば、病気で苦しんでいる人を助けるために、その親族は全力を尽くして助けようとするでしょう。そういう人がいる限り医療機関は実験を辞めないでしょう。すべての人があなたのように五体満足で健康であれば、その必要はないと言い切れるでしょうが、自分の大切な人がそうなった時のことを考えてください。  また、私の祖父の実家は牛を飼っています(肉牛です)子供のころよく遊びに行くたびに牛の顔が違うのを不思議に思いながら、今思えば殺されにいったからなんでしょう。でも、そこにかわいそうだからやめてくれとはいえません。その家族、従業員の生活する糧だからです。もし私に莫大なお金があって別の仕事を与えることができるのであれば、やめてくれといって別の仕事を与えてやることができるでしょう。かといって私は何も動物の命について活動していないわけではありませんよ。何もやっていないで大きな口はたたけないですしね(笑)  日本人はグレーゾーンが好きと海外からよく批判されています。私の考え方は確かにオールオアナッシングかもしれませんが、ある一部分だけの権利を認めて、その他はごめんなさいねっていう考えがどうしても許せないんです。すべての命は平等でそのすべての命に権利を与えてあげたいっていうのが私の考えなんです。実際どういう風なことをするべきか、解決案はなかなか考えつかないですが、自分なりの解決法を見出していきたいと思います。

nyatete - 00/06/10 09:46:20

コメント:

>わたしは私様
 発表、がんばって下さい。あちこちから、こういう議論が広まっていくと
いいなと思います。私も学生時代にそういう有意義なことができたら良かった。
いまさら悔やんでも遅いですが。

>KEN様
 私も家畜にくらべれば、まだしも狩猟の方がましかという気はしますが、
人間は肉を食べなくても生きていけるのである以上、それを支持する気には
なれません。まあ、実際問題としても狩猟が家畜の替わりになることは不可
能でしょうが。
 
>みゅう様
 植物のことについては、このHPにも書かせてもらっていますが。。
もし、植物に対するあつかいが、不当なものだとしてもそのことが動物に対する
不当な扱いを正当化する理由とはならないのではないでしょうか。動物に対する
不当な扱いをやめることが犠牲となる植物をふやすのならともかくも、実際には
そんなことはありません。たとえば、みんながベジタリアンになったとすれば、
植物を食べて育つ家畜を食べるよりもはるかに効率は良く、消費される植物の量
はへります。
 あなたが言われることに「オール・オア・ナッシング」的なものを私は感じま
す。たしかに人間による動物の犠牲を完全になくすことは不可能でしょうが、そ
れを減らす努力はするべきではないでしょうか。ましてや、現在の様に無反省に
動物を消費している現状では減らせるものはずいぶんあるのではないかと思いま
す。

>渡辺 晶子様
 そうです。ユッス・ンドールはホンダのCMで「オブラディ・オブラダ」を歌っ
ていた人です。この偉大なミュージシャンにそんな紹介の仕方をしていいのかとい
う気もしますが、まあとにかく。
 「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」はlife goes on (人生は続く)という意味
のヨブラ語だそうです。あのフレーズは同じ意味を違う言葉でくりかえしていたわ
けですね。ジミー・スコットというナイジェリア人のコンガ・プレーヤーが
"Ob la di ob la da, life goes on, bra"という言い回しをしていたのを、ポール
が気に入って、曲につかわせてもらった、という話がポール・マッカートニーの自
伝に出てきます。ということはヨブラ語というのは多分、ナイジェリアあたりの言
葉なんでしょうね。
「チェド」という映画は知りませんが、みつけたら観てみたいと思います。
 私は結構、あちこち行ってますが、そのせいか、いい年してフリーターのような
身分で働いています。まあ別にいいんだけど、本当に年とったらどうなるんでしょ
うね。


わたしは私 - 00/06/08 19:55:08

コメント:
学校の演習の授業で動物の権利について発表しようと思ってこちらに来てみました。 実際にまだ『動物に権利はあるか』という本を読んでいるところなんですけど、 それよりもここに書いてることのがいろいろな考え方や意識を知れて、本当に必要なのは 自分が生きること、生きていることについてもっと考えることなんですね。また来ます。

KEN - 00/06/08 18:43:47

コメント:
どうも。いろいろ読ませてもらいましたが、私としては、まず自分自身が変わらないことには、動物に関して、地球規模の問題に関してあまり物は言えないのではないかと思います。みんな、動物の肉を食べる食べないと言っていますが、最低限度は良いのではないでしょうか?魚や野生の動物を獲る事は、生きていく上で仕方のない事だけど、家畜は止めるべきだ。なぜなら、野生の動物と、家畜の両者の間には大きな違いがあると思う。戦うチャンスがあるものと、始めからチャンスすら与えられていないもの。私にはこの差は大きいと思う。野生の動物は捕まったとしても、それまで自由に暮らしてきた。捕まったのは、運と力が無かったからだと思う。誰だって敗れるなら、戦って敗れたいですよね。戦わずに敗れるなんて嫌でしょう。動物に関しても同じではないでしょうか?やはり、人間も動物の中の一種であることを自覚すべきである。そして、食物連鎖の頂点にある種として全体のバランスを考えなければいけない。だって、誰がどう言おうと、地球にとってみれば人間が寄生虫であり、生態のバランスを崩している事に間違いはない。やっぱり、人がどうだ、こうだと言う前に、みんなが、自分自身を変えるしかないように思うのですが?

みゅう - 00/06/08 12:45:54

コメント:
 こんにちは。初めてお邪魔いたします。動物の権利についてなるほどなあと思いなが ら読んでいたんですが、ご存知ですか?植物も話をしたり、情報交換をしたりする事 を。私は植物について研究しているものです。(決して怪しい宗教からいっているので はありません)ある植物が虫や病原菌に攻撃されるとそれに対して一生懸命自分を守ろ うと抗体を作ります。攻撃されていない近くの植物たちも同じような抗体をもち始めま すが、少し離れた植物はその抗体をもっていません。まるで植物たちが協力しあって自 分たちを守っているようにみえます。ベジタリアンの方に一言言いたいのは、動物もも ちろん大切ですが、それと同じくらい植物も大切にしてほしいのです。植物は自分から 何も言いません。だけど動物と同じ生き物です。枝を切れば、痛がるような信号を発します。近くでチェーンソーなどを使うと植物たちが嫌がるような信号を出します。脳み そも心もないように見える植物ですが、人間の常識を超え、別のどこかに心をもってい るのかもしれません。では、何を食べればいいのか?とお思いでしょうが、人間が生き ていれば、何かの命を犠牲にしています。たとえお肉を食べなくても、たとえば自分が 風邪を引いたとき飲む薬は動物実験によってできた商品です。それ以外にも電気を使 う、車を使う、人間が普通に暮らしていても傷つけてしまいます。歩いていたって虫を 踏んだりして殺してしまうんですから。確かに動物実験で犠牲になる生き物たちや食用 になる動物たちは自由に生きることなく、殺されます。でも、それ以外にも人間が生き ているせいで、たくさんの動植物が殺されているんです。それを理解してほしいんで す。ある県に熊がでて被害に困っている林業経営者の人が熊を殺しました。そのとき 「熊を殺すのはかわいそう」という声が出ました。確かに殺された熊はかわいそうで す。しかし、そこに着目しているだけでは何にもならないのです。自分たちが生き抜か ねばならないために林業経営者は林業を経営しているんです。作業中にくまに襲われる かもしれないし、被害が拡大して生活していけないかもしれない。「熊を殺すのはかわ いそう」といった人は、林業経営者の立場にたっていないにもかかわらず、豊かな生活 の中でいっています。自分がそういう状態に置かれたらどうなるのかを考えていないん です。また、今の医療は残念な事ですが、動物実験が行われた結果に成り立っているも のです。もし、動物実験を反対されているならば、病院にも行かず、薬を飲まないでく ださい。彼らの死の上に成り立っているからです。こんな事をいっていますが、私は動 植物が大好きです。でも、お肉も野菜も魚たちの食べますし、病院にも行きます。人間 は何かを殺していかなくては生きられない生き物です。それは人間だけではなく、地球 上の生きとしいけるものすべてがそうです。地球で生きている限りそれから逃れる事は できません。だから私は、自分が生きていくために死んでいったほかの命に感謝をして います。食べ物は残さず食べ、死んでいった動物の分まで自分が生きてゆこうと思いま す。何の解決にもなっていないとおっしゃる方は、すべてを殺さず自分は生きていけま すか?それは無理です。自分が死ねば別ですが・・・。(それが一番の解決法だと思います)いろんな活動をなさっている方には、水を差すようで申し訳ないですが、そうい う考え方の人間がいるという事をわかってください。

渡辺 晶子 - 00/06/05 16:01:46

コメント:
ユッス・ンドールって、たしか3年ぐらい前に車のコマーシャルの曲歌っていた人ですよね。「オブラディ・オブラダ」のカバーでしたっけ。 セネガルの人だったんですか。 セネガルって国は私はあまりよく知らないんですけど、そういえば先日「チェド」(CHEDDO?綴りは忘れました。)というセネガル映画をビデオで観ました。すごく映像がきれいで良い映画でした。ところで他のページ見せていただきましたが、Nyateteさんはいろいろな国を旅行されているのですね。いいですね。

nyatete - 00/06/02 22:59:48

コメント:

>渡辺晶子様
  こんにちは。
 nyatete にはろくな意味はないので、特にどこにも書いてないです。
 ユッス・ンドゥールというセネガルのミュージシャンが好きなのですが、この人
がよく歌の中で「ニャテテー」と歌っているようにきこえて(そうきこえるだけで
実際には違うかもしれない)ひびきが、かわいらしいので使っているだけです。
あとで知ったことですが、中島らも氏の『ガダラの豚』の挿し絵でも「ニャテテ」
というアフリカの楽器が紹介されていました。でもスペルは分かりません。
nyateteは単なるローマ字書きです。響きは確かにアフリカっぽいと思いますが。

・・っちゅうような、どうでもいいような由来しかありません。そもそも、
yahoo掲示板の投稿用に適当につけたコードネームにすぎず、このHPはその
投稿を、編集、掲載するところからはじめたのでそのまま使っているだけなの
です。

Googleというサーチエンジンで探してもnyateteではこのHPしか出てきません。
まあ、でてくるだけすごいと思いますが。
http://www.google.com/

このサーチエンジンはまだ英語版しかありませんが、ロボット型検索ながら
リンクされてる数で重要度を判定しているとかで、なかなかのすぐれものです。
最近のお気に入りです。よかったらおためしを。。
話が完全にそれてますが。


渡辺 晶子 - 00/06/02 14:59:01

コメント:
nyateteさん、どうも有り難うございました。 動物実験の実体を知ってから、何か行動しなければとあせる気持ちでいっぱいです。 少しでも早く、少しでもたくさんの動物達が救われれば! まだ知識不足で周りにうまく説明することができないので、紹介されている本など読んで勉強してみようと思います。やはりいろいろな知識をもったうえで、なぜ今動物実験に反対しなければならないのかをきちんと周りに説明して、理解・賛同してもらえるようになりたいです。 ところでnyateteさんの nyatete というお名前はどこからきているのでしょうか? 他のページに書いてあるのかな。 このホームページ仕事中見ているので、なかなか他のページを見られないのです。

nyatete - 00/06/02 02:15:33

コメント:

>渡辺晶子様

情報をありがとうございました。さっそく行って署名してまいりました。
このHPの動物の権利関係リンクにも追加させていただきました。

なるほど、きょうびはネット上で簡単に署名ができるんですね。
便利ですね。そんな事に今更、感心しているのは私ぐらいかもしれませんが。


渡辺 晶子 - 00/06/01 11:40:18

コメント:
Body Shopという化粧品会社(イギリスのメーカーで、この会社ではいっ さい動物実験はおこなっていない。)が、動物実験(うさぎ)反対の署名 を集めています! 目標は5000通で、現在私がアクセスした時にはまだ1600通足らず でした。 10月に厚生省に提出するそうです。 ページに氏名と住所を入力して送信するだけの簡単な署名ですので、もし 賛同されたら是非是非署名お願いします! 詳細はBody Shopのホームページを見ていただければわかると思います。 周りのみなさんにもどうか呼びかけてください。 よろしくお願いします!

   このアドレスの左上の署名というところをクリックしてください。
           ↓
   http://www.the-body-shop.co.jp/event/AAT/

渡辺晶子 - 00/05/30 16:48:28

コメント:
仕事中にインターネットを見ていて、このホームページに行き着きましたが、このページにくるまでに様々な動物実験の写真を見てとてもつらく、心が痛くなりました。 でも、動物のことを真剣に考えている人もこんなにたくさんいるのだと知って、少しほっとしました。 この気持ち忘れないように、自分ができることを今日から少しずつ始めていきたいです・・・ 早く動物実験、動物虐待が法律的に罪になる日がくるといいな、と思います。

nyatete - 00/05/26 07:37:40

コメント:

>皆様へ
 このHPも1周年を迎えました。最初は掲示板への投稿を編集して掲載する
目的ではじめたのですが、FAQを中心にコンテンツもだいぶ増えてきました。
 日頃のご愛顧を深く感謝いたします。今後ともよろしくお願いします。

>ぴかりぃ様
 HP、拝見して参りました。日記をこまめに(ほぼ毎日)更新されていて、
すごいですね。私のとこの日記なんて、今年に入ってまだ一件です。これじゃ
日記じゃないですね。季記(変換してくれなかった..こんな言葉はない?)
の座もあやうい!? 今後もよろしくお願いいたします。


ぴかりぃ - 00/05/24 23:01:40
ホームページアドレス:http://www2.neweb.ne.jp/wd/mouse/

コメント:
こんにちは。 「さよなら、じっけんしつ」というホームページを開いている、ぴかりぃと 申します。 「じっけんしつ」とタイトルに付いているからといっても、単なるマウスの親バカ サイトなので、動物の権利を真剣に考えて活動していらっしゃる方のご期待に添える 内容ではないかもしれません(^ ^;;。 でもこのページ、ブックマークしました。よろしく。

小林 順 - 00/05/20 21:39:04
電子メールアドレス:ib24420@ha.bekkoame.ne.jp

コメント:
D?и?m

nyatete - 00/05/11 01:17:00

コメント:

>樹里様
 はじめまして。
 本については、はなはだ不十分ですが 動物の権利関係のおすすめ本
として少しご紹介してますので、ご参照ください。
こちらの方にも書き足したのですが、ベジタリアンに関する本は鶴田静さんという
方が何冊か書いておられます。ベジタリアン料理の本なども大きな本屋に行けば、
いくつかあると思います。

ベジタリアンを栄養学的見地からみた本としては
「ベジタリアンの健康学」(蒲原聖可著/丸善ライブラリー#284)
というのがあります。

ベジタリアンは基本的には健康のためにも良いのですが(でしょうが)
ベーガン(卵や牛乳なども含めて動物性たんぱくは一切とらない)になるのであれば
ビタミンB12などは、どうしても足りなくなるそうです。ただしそれはサプリメント
でおぎなうことができます。サプリメント自体は(例外はあるでしょうが)微生物から
作られるそうです。

「公平」とはなにかというのは、なかなか難しい問題だと思います。たとえば
一日おきに肉を食べるのなら「公平」かというとそんなことはないですよね。

いずれにせよ、こうした方面の本は数がかなり限られてますので、とりあえず
あるものにあたってみてから自分で判断するしかないんじゃないでしょうか。
それは本の数が多い場合でも基本的には同じことじゃないかと思いますが。


樹里 - 00/05/08 08:39:20
ホームページアドレス:http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Himawari/8049

コメント:

初めまして。
ふと、屠畜の方法に興味を持ちましてYAhooの検索を利用しましたところ、
いつしかこちらへ辿り着いておりました。
大変興味深く、また勉強になる話題・情報が多く掲載されていて
時間を忘れて読み入ってしまいました。

自分は栄養学にも医学にも服飾学にも通じぬ無学な人間ですので、
はたして動物性蛋白質を一切接種せず健康を保てるのか、
動物実験は不可避なのか、
毛皮や牛皮の生産は本当に人間の享楽の所作でしかないのか、
などの、多方面な見識或いは専門家の分析や討論か必要な問題に対して、
ただの一読で自身の結論を導ける、ということは無かったのですが、
少なくとも畜産動物や実験動物の一部の現状を
知ることが出来たそのことを大変有益に感じています。

自分は取り敢えず現在の生活に混乱を来さない程度の、
つまりは今までの日常と同じ程度の肉食をたしなみ
どういう過程で完成されたかわからない化粧品も使用するでしょうが、
暮らしの中で確実に動物の生命を消費していっている事について
今までよりもよりリアルに
意識的・自覚的でいられるだろうと思いました。

明日ハンバーグが食べられないかも知れないし
何十年か後、毛皮の温もりを好む老人になっているかも知れませんが
いずれにせよこちらで知ったことは
決して忘れないでおきたい、というのがこちにに伺った感想です。

あと、図々しくも管理人様にお願いなのですが
菜食主義の実践について、
あらゆる立場から「極力」公平な研究機関と出版社によって著された
書籍など、ご存じでしたら
是非タイトルと出版社(者)名などご教授願いたく存じます。

それではまた伺いと思います。今後ともどうぞ宜しくお願いします。



nyatete - 00/04/28 08:00:50

コメント:

>nao様
 こんにちは。
 動物実験に反対するにはボイコットが広がることがなにより重要だ
と思います。さらには「動物実験をしない商品を作った方がもうかる」
という状況ができればいいんですが。なかなか道は遠いですね。

 リンク、どうぞなさって下さい。このHPは100%リンクフリーで
す(反対派でもなんでもリンクしてもらっても構わないと思っています)
  HP作り、是非がんばって下さい。


>ピーカ様
 昔、人と動物のことで議論した時に
「でも人間なんだからまず人間の事を考えるのは当たり前でしょう?」
と言われたことがありました。
 私はその時、なにも言い返せませんでしたが、今から思うとそれは
やっぱり、ただの差別だよなあと思います。

「日本人なんだからまず日本人の事を考えるのは当たり前だ」
とかだったら、たいていの人がおかしいと思うでしょうが(でも実は
そうでもないのかなあ、東京都知事もあんなんだし)動物に対する差別
はあまりにも当たり前のことになっているため、なんとなくもっともら
しく聞こえてしまうんでしょうね。


nao - 00/04/25 12:44:39
ホームページアドレス:http://www.angel.ne.jp/~pippo
電子メールアドレス:pippo@angel.ne.jp

コメント:
こんにちは!時々ここのHPに来ていました。奥の深い難しいHPなので ちょっとずつ読んでます。 私はうさぎがこの上なく大好きで、THE BODY SHOPで JAVAの動物実験廃止キャンペーンを見て、こんなにも 苦痛を強いられているうさぎがいるのかと驚かされ 以来、できることから・・・と動物愛護をしようと思っています。 まだ、実験をしている化粧品会社の製品を買わない、JAVAに入会・・・ くらいの行動しか取っていませんが。やっぱり、動物愛護を唱えるのは かなり時間とお金とテンションが必要です。化粧品はなんとかしても かわいい靴があれば、それが皮製品でも買ってしまうのです。 いきなり今までの生活から動物製品を無くせと言われても無理で 自分に甘くなってしまいます。でも、少しずつ改善していきます。 その際にはいろいろ相談がてら書き込みます。 自分のHPでも動物実験反対のコンテンツを作ろうと思っています。 その際には、ここのページもリンクさせてください。お願いします。 (ただ、仕事がのろいのでいつ着手できるかはわかりませんが・・・^^;。)

ピーカ - 00/04/24 12:55:18

コメント:

(ユーシンさんのコメントについて)

Nyatteさんと重なる部分がありますが、ちょっとコメントを。
後半もう一つの結論として書かれている部分は非常に共感します。
ヒトと偉そうに名乗る限りは、せめてその最大の価値であろう他者への
感情移入をもっと大事にしてほしいという点ですね。
これから派生する「弱者へのいたわり」という基本が、あらゆる人間社会の
問題から動物の問題までリンクしているというところは非常に重みのある言葉
だと思います。

但し、このユーシンさんの意見、ガンジーも言っているような「その国の価値
はその国における動物の扱いを見れば判断できる」*という言葉の意味合いを
残念ながら多くの人は正確に認識できていません。*(注;概略です)
そういった世の中において、「人は犠牲無しでは生きられないから、肉食仕方
無し」という概念は、一般的に非常に短絡的な逃げ道になる点は注意が必要か
と思うのです。

実際、あらゆる人間社会の悪事の多くも「女房・子供のため」「収入をえるため」
「大なり小なり人は他者を犠牲にしている」で逃げ道を求めることが多々あるか
と思います。そんな時、「あなたは奴隷ですか?生きるすべはそれしかないので
すか」と問い掛けたいですよね。

これと同じことが言えませんでしょうか。Nyatteさんの言うように先進国において
肉食は絶対不可欠ではありません。同時に、少しでも肉食を減らせばその分だけ
動物達の犠牲も減らせます。ですから、肉食のことを安易に肯定し、そこで思考
停止させてしまうような逃げ道に対して市民権を与えたくないのです。
「0,1で割り切らず、且つ無理せず前進しつづけることの大切さ」これを
全面にだしていけたらいいものかな、っと。

この内容は、もうおわかりでしょうが、ユーシンさんへのメッセージというより、
ユーシンさんほど思考をすすめていない多くの人に対する際の表現方法の問題と
して書き残してみました。


nyatete - 00/04/15 15:52:36

コメント:

>miaou様
 はじめまして。動物の権利にご賛同いただけて、とても嬉しいです。

 すみません、改行ができないのはこちらの問題なんです。前からの
懸案事項なのです。JavaScriptの本を買ったり(買っただけでほとんど
勉強してませんが)色々悩んでるんですがこれといううまい方法が見つか
らず、まあいいかと今に至っています。とりあえず入力された文章はある
程度勝手に整形させていただきました。

肉を食べることについて真剣に考えたりする人は社会全体からみればまだ
まだ圧倒的少数派でしょうね。それでもそうした人どおしが、こうやって
意見交換できるのはなんといってもインターネットの魅力だと思います。


>「ベジタリアンになれば家畜をなくすことができる、つまり、動物を虐待
>しなくてすむようになる」これはとても明快で、多くの人にも受け容れら
>れる考えだと思います。

私も本当にそう思うのですが現実にはなかなかそう簡単には行かないんです
よねえ。

>また、完全にベジタリアンになれなくても、肉や卵や乳製品の消費を減ら
>すことができれば十分に意味がある、とは思うのですが、反面、どうにか
>徹底できないものか、という気持ちもあります。

そうなんです。たしかにそれも悩むところなんです。
「原発に反対するやつは電気を使うな」
とかいった話なら現実問題、不可能だし不当なものだと思いますが、この
問題に関しては微妙です。ただ私は徹底することより社会を変えていくこと
にエネルギーを使いその結果として徹底しやすくなる状況を作っていきたい
と漠然とは思っています。

私はケーキ類が好きでなるべく我慢したいとは思っていますが実際には時々
食べています。カレールーなどの肉エキスについても常に気にはしていますが
「気にしつつ食べる」ことが多いというのが現状です。魚介類も含めて動物性の
ものを一切食べないのは、すべて自炊しない限り日本ではほとんど不可能でしょ
うね。
こうした事に関し(少しずれますが)前にこの掲示板に ちょっと長い文を
書きました(自分のHPの特権でリンクをはりました)よろしければ読んで
みて下さい。もう読んで下さってるのかもしれませんが。
最終的にどうされるかはあなたがご自身で決める以外にはないのではないんじゃ
ないかと思います。
私自身は基本的に「ある程度適当にやる。そのかわりずっと続ける」といういう
方針でやっていこうと思っています。


miaou - 00/04/13 22:38:24

コメント:
投稿したのですが、改行ができなくてとっても読みづらいものになってしまいました。ゴメンナサイ。

miaou - 00/04/13 22:35:48

コメント:

はじめまして。

肉を食べることについて考えている人の多いことに、正直なところ、驚い
ています。わたしの知人の中で、動物がかわいそうだからという理由で肉
を食べない人なんて一人しかいないし、それどころか、肉が好きだと言っ
て進んで肉ばかり食べるような人が圧倒的に多いからです。わたしはどう
なのかというと、死んだものという感じで気持ち悪い、というような理由
から肉を食べることに嫌悪を感じてしばらく肉を食べなくなった後、一定
の期間が過ぎると再び気にせず食べるようになり・・・、ということを中
学生の頃から何度か繰り返してきました。去年の秋、家畜や動物実験に使
われる動物の扱われ方について少し知るきっかけがあり、それ以来、nyat
eteさんの訳されたFAQを読んだりして、わたしも動物の権利を支持するよ
うになってきました。

「ベジタリアンになれば家畜をなくすことができる、つまり、動物を虐待
しなくてすむようになる」これはとても明快で、多くの人にも受け容れら
れる考えだと思います。

だけど、実際に肉はもちろん卵やチーズや牛乳など家畜によって提供され
ている全ての食品をボイコットすることは、ちょっと簡単にはできないよ
うです。(だから、人間と動物は違う、また植物はどうだ、などと言って
動物の権利なんて考えたがらない人が多いのではないでしょうか。)
わたし自身、動物の権利を考えるようになってからは、目玉焼きかオムレ
ツを毎朝食べていたのをやめて肉もほとんど食べなくなりましたけれど、
挽肉の入ったワンタンを食べてしまったことや、フライの衣に卵を使って
しまうことがまだあります。それに、急に完全なベジタリアンになるのは
多分不可能なのでまず肉をやめてから魚をやめる作戦に出たのですが、肉
をやめた分だけ魚を食べる量が増えたような気がして、魚の虐待にますま
す一役買ってしまっているような気もします。

また、完全にベジタリアンになれなくても、肉や卵や乳製品の消費を減ら
すことができれば十分に意味がある、とは思うのですが、反面、どうにか
徹底できないものか、という気持ちもあります。

最近疑問に思っているのですが、ベジタリアン(特にVegan)の人たちは
どんな食生活を送っているのでしょう?

肉をやめよう! と単に呼びかけられるだけでは、どうすればいいのか分
からないわたしのような人も結構いるのではないかと思います。そこで、
欧米では卵を材料に使っていないパスタがその辺で売っているからベジタ
リアンになるのは簡単、みたいな話しはここではナシにして(このサイト
を見るのはほとんどが日本に住んでいる方だと思うので)、日本で暮らし
ているベジタリアンの人がどのように食生活を営んでいるか、どなたかに
教えていただきたいものです。

いくつかの疑問を挙げますので、回答をくださると嬉しいです。
その他ヒントになることがありましたら何でも結構です。

1.
卵やバターを使っていないパンやパスタなんて日本ではめったなところで
は売ってなさそうですが、ベジタリアンの人たちは米や蕎麦やうどんやそ
うめんなどしか食べないのでしょうか? それとも、そういうものはしょう
がない、と割り切ってパンもパスタも遠慮なく食べるのでしょうか?

2.
ケーキやクッキーやプリン、シュークリームなど卵やバターや牛乳が使わ
れている洋菓子をつい食べたくなることはないのでしょうか? もし食べ
たくなったとしても、動物のことを思って我慢するのでしょうか? また
は、思い切って食べているのでしょうか?

3.
カレーやシチューなど市販のルーにはもれなくラードが材料として使われ
ていますが、そういったものは利用しないで料理しているのでしょうか? 

4.
牛乳を飲みつづけていると視力が冴える、というような効果が期待できる
場合(わたしの場合、そういう効果があるようです)でも、家畜に反対す
るためには牛乳は飲むべきではないのでしょうか?

今村英成 - 00/04/13 18:02:26
ホームページアドレス:www1.webnik.ne.jp/~eimamura/
電子メールアドレス:eimamura@mail1.webnik.ne.jp

コメント:
動物実験の是非について真剣に考えておられる方の多いのに感銘しました。私は動物実験擁護の立場ですが、ぜひ拙著「へそ曲がり獣医さんの動物福祉論」も読んでみて下さい。

nyatete - 00/04/13 07:52:02

コメント:

>夏子様
はじめまして。今後ともよろしくお願いします。
動物実験の問題は本当に大きな問題だと思いますがなかなか表には出てこない
ですね。本当は学校の道徳の授業ででもとりあげるべきだと思いますが絶対に
そんなことはしないんでしょうね。
そもそも今でも「道徳」という科目はあるんでしょうか。もう学校に行ってた
のはずいぶん昔のことで最近の事情は分かりませんが・・


夏子 - 00/04/10 12:26:39
電子メールアドレス:pcw1506ni@hotmail.com

コメント:
最近、ある本を読んで動物実験について興味を持つようになりました。実験の無意味さと 残酷さに心を痛めています。 今、動物実験や動物に対する法律などについての本やインターネットを見ている毎日です。1日でも早く動物達に安息出来る日が来れば良いなぁと思っています。 まだまだ、勉強し始めたばかりなので、色々な事が知りたいです。

nyatete - 00/04/08 15:46:26

コメント:

 前にテレビでものすごい老犬(何歳だったか忘れましたが)の世話を
しているおばさんを見たことがあります。その犬はもう自分で歩くこと
も食べることもできません。おそってくる痛みに泣き声をあげていまし
た。私にはどうみても安楽死させてやった方が犬のためだと思えたので
すがそのおばさんは毎日つきっきりで看病し、その結果、その犬は命を
長らえているのでした。

 ピーター・シンガー氏の著書、『実践の倫理』の中で
『アンドリュー坊やの死への長い旅路』という本のことが紹介されてい
ました。

アメリカ、ペンシルバニア州の教員であったペギー・スティンソンは、
妊娠24週目であった1976年12月、早産で子供を産んだ。両親に
よりアンドリューと名付けられたその赤ん坊はほとんど息もたえだえの
状態だった。「大々的な処置はとらないで」という両親からのたっての
要望にもかかわらず、その子の担当の医師たちは現代医学のありとあら
ゆる技術を駆使して、ほぼ6ヶ月間その子を生かし続けた。アンドリュ
ーは断続的に病気の発作を起こした。この時期の終わり頃になると、も
し生き続けることがあるとすれば、その子が重度の障害を一生持つこと
になるだろうということは明らかだった。またアンドリューは非常な苦
痛を感じていた。ある時医師はスティンソン夫妻に、その子が呼吸する
ときは一回一回「地獄のような苦しみ」のはずだ、と告げたこともある。


こうした問題はたしかに微妙な問題ですが、私は「生命至上主義」とでも
呼ぶべき考え方には賛成できません。もっと苦しみという面を重視するべ
きだと思うしその基本は相手が人間であれ動物であれ「相手の立場に立っ
て考える」ことなんじゃないかと思っています。動物の権利に対して
「植物はどうなんだ」と反論する人が多いですがこれなんかも生命至上主
義のあらわれじゃないかという気もします。

もちろん、相手の身になってみると言っても、「自分は苦しみしか残って
いないとしても少しでも長く生きていたい」という人もいるかもしれませ
んし(私はさらさらごめんですけど)そのへんが難しいかもしれませんね。
元気な時にはその様に言う人でも実際にその立場におかれたら本当にそう
思うのかという問題もあります。

ただ、犬のことについて言うと、その様にして生かされ続ける犬がいる一
方でまだ元気でぴんぴんしているのに「不用犬」として殺される犬も大量
にいるという現状はなんと言ってもおかしな話だと思います。


パブロフ - 00/04/02 22:48:12

コメント:
 パブロフは,私の友達の名です。シベリアンハスキー10歳♂。2000年3月上旬にインシュリン依存型糖尿病に突然なりました。もう年だしチョットぐらいおしっこも漏れるかしらん。と、思いきや でも,突然年取るのも変だし 何時も私が帰宅するまで おしっこ我慢してるし 膀胱炎にでもなったかしら。でも、雪が消えたら 水のお変わりが ほしい?!じゃあ 糖尿?うそ!?10年間ドライのドッグフードを少なめにしか食べささなかったのに糖尿。びっくりもドッキリもしていられずに次の日から注射器と犬と見比べる日々がいきなり始まってしまった。しかし、なんと言っても くやしい。健康管理はばっちりのはずが。思わず 獣医に噛みついしまった。何で そんな病気になってしまったのです。医者いわく。分かりません。たぶん 遺伝か体質です。で、かたずけられてしまった犬と飼い主には、闘病生活が 待っていた。配偶者が聞く。何時直るの。何時まで注射するの? 死んでも直りません。注射は死ぬまで。そして毎日 飼主は犬のからだを穴だらけにして 拷問をしながら犬の命を永らえていく。

nyatete - 00/04/01 17:42:43

コメント:

>ユーシン様
 はじめまして。投稿ありがとうございました。
もちろん私はあなたの「肉食は仕方がない」という結論には同意できない
わけですが、あなたの言われることの中に共感できる部分は数多くありま
した。なによりもこうした問題を真剣に考えて下さっていることを嬉しく
思います。何度も書きましたがこの問題はその大きさにくらべてあまりに
も、ないがしろにされていると思います。たいていの人は肉を食べるとき
にその倫理的側面については考えてくれたりしません。

「他の肉食動物について嫌悪感を抱かないため」という意見ははじめてき
きました。動物というものは結構、残酷なこともするものですがたしかに
そこに私たちの持つ善悪の基準を当てはめるのは間違ったことでしょう。
しかし大事なのはそうした認識そのものであってそれが私たち自身が肉を
食べるかどうかという点とはあまり関係がないのではないかと思います。
1)私たちは倫理にしたがって行動を選択できる存在である。
2)私たちは動物の苦しみを認識できる。
3)私たちは肉を食べなくても十分、健康に生活できる。
といった点から肉を食べることやそのせいで家畜が受けている扱いは倫理
的面からの正当化は難しいと思います(そんな意見は日本では超少数派で
すが)

ただ、人間は倫理によってだけ生きているわけではありません。個人的に
肉が好きか嫌いかとか、その社会で肉にかわる(おいしい)食べ物はどれ
くらい入手しやすいかとか色んな要素がからんでくることとは思います。

是非の議論は議論でいいのですが(そもそも自分がはじめたことだし)私
はなによりも実質的な成果をあげたいと思っています。少数の人ががちが
ちのベジタリアンをやるよりも多数の人が1割でも2割でも食べる肉の量
をへらしてくれた方が実質的成果は大きいと思います。まあそれならこん
なことやってるよりも「肉の食べ過ぎは体に悪いでっせ」とか言ってた方
がいいのかもしれませんが。

もし動物に対する配慮から動物実験も肉食も廃止する様な社会が実現すれ
ばそこではもう戦争も虐殺も起こらないのではないかと思います。世界は
基本的にはそういう方向にむかっていると信じたいのですが道のりは遠そ
うです。まあ地道にやる以外にないんでしょうね。


ユーシン - 00/03/31 00:05:54
電子メールアドレス:kokichi@naxnet/or/jp

コメント:

突然ですが、私の意見を述べさせていただきます。私も、なぜか子供の頃
から動物が好きで、そうしたことから常に生と死について何度となく自分
のなかで考えをめぐらせてきました。最近、たどり着いた結論は(これは
あくまで現時点でということですが)、肉食と言うことについては人間は
雑食性という観点から考えても仕方がないということ。これは、他の肉食
動物について嫌悪感を抱かないためです。というのも、食べられる動物の
立場に立てば食べる動物は相手に多大な恐怖と苦痛を与える悪魔でしかな
からです。しかし、我々地球の生き物は必ず何かを犠牲にしてでも精一杯
命ある限り生きている。そう考えると、やはり肉食だけを否定はできませ
ん。それを否定すれば物質世界では生きては行けないと思います。私はど
んな生き物でも自然界で懸命に生き抜こうとする姿は美しいと考えていま
す。何を言いたいのかと思われているでしょうが・・・

そして、もう一つの結論があるのですが、人間の最大の特徴は知能や知識
ではなく非常に複雑な感情にあると考えます。つまり、我々は他の動物よ
りも遙かに複雑で深い感情を持っているのです。従って、普段からでも他
人事にも感情移入をし他人の苦しみ喜び悲しみを推し量り、それゆえ、様
々な権利を獲得してきたのだと考えています。想像力、これこそが人間最
大の能力。つまりここで私が言いたいのは、そうした能力を持ってして、
他者(他の生物)に対して少しでも人間勝手な考えや行動をなくし、思い
やることが大切だと考えます。あまりにもひどいと思われるような仕打ち
はなくすべきだし(どこまでがひどいことなのかという議論は個人により
差がありますが、あくまで自然界と人間の優しさの交わるところ)、とに
かく無益な殺生はやめるべきだとかんがえます。自然界には決して無駄は
ありません。すべてが命を支えるべくつながっています。そうしたことを
人間も自分個人の欲望だけにとらわれず考えるべきだと思います。欲求は
誰に出もあります。しかし際限のない欲望はさけるべきだと思います。こ
うした考えは、人間社会を平和にすることと同じ課程だと考えています。
今世界中で起こりうる犯罪や戦争なども、結局は他者に対する想像力(他
人の悲しみ苦しみを思いやること)がかけているからだと思います。

人は、家族や親戚友人などに対しては愛情をもてるのに何も知らない他人
にはその能力を働かせることをおこたります。そうすると、戦争や犯罪が
起こるとかんがえます。もし、見ず知らずの人に対しても少し想像力を働
かせ自分がこういうことをされてはいやだなとか考えられれば犯罪や戦争
は起こらないのではないでしょうか。動物に対する扱いも同じことだと思
います。相手が、認知能力があるとかないとか、また感情があるとかない
とかの議論ではなく、自分が相手だったらという気持ちになることができ
ればひどいことはできなくなると思います。私は、肉食自体には反対では
ありませんが、殺された動物に感謝し、粗末にしては行けないと思います
し、動物実験や薬殺処分にには大反対です。そして、皆が相手の気持ちに
なって、人間でも、動物でもその権利を確保するために様々な法的整備が
整い、またこうした教育が広まっていくことを望んでいます。ごめんなさ
い、長々と勝手な意見(それもとりとめもない)を書かせてもらいました。
でも、あなたの本当に優しい気持ちに触れたとき書かずに入られなくなり
ました。自然保護や、環境問題、飢餓、権力争いこの世界には本当に難し
い問題があり、動物の権利問題も知名度は低いですがこうした問題の一つ
だと思います。しかし、現在の理想は未来の現実だと信じて生きていこう
と思います。失礼いたします。

nyatete - 00/03/18 12:47:01

コメント:

>長尾様
 こんにちは。ごぶさたいたしました。

ご指摘ありがとうございます。リンクは、はりなおさせて頂きました。
geocities仲間になりましたね。今後ともよろしくお願いします。


長尾亜紀 - 00/03/16 17:07:09
ホームページアドレス:http://www.geocities.co.jp/WallStreet/5045/

コメント:
お久しぶりです。 リンクを貼ってくださっている頁が、サーバーダウンのため 見ることができなくなっています。そこで、Geoにもミラーを作りました。 よろしければこちらにご訂正をお願いいたします。 動物の権利のトップは http://www.geocities.co.jp/WallStreet/5045/JP/index.html です。 今後ともよろしくお願いいたします。

- 00/03/07 11:30:01

コメント:


nyatete - 00/02/26 11:01:56

コメント:

まいどごひいきいただき、ありがとうございます。
再び一旦、クリアさせてもらいます。下記は過去のログへのリンクです。
◆過去のゲストブック その1
◆過去のゲストブック その2
◆過去のゲストブック その3



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