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過去のゲストブック その6

2000年7月15日〜8月26日


nyatete - 00/08/26 07:09:42

コメント:

>まり様
 インターネットというものは、こうした輪を広げるのには何よりの手段だと
思ってます。考えてみればすごい時代になったものです。今後ともよろしく
お願いします。


まり - 00/08/24 15:33:20

コメント:
以前から動物実験や虐待に関してはそういう事がある、ということは知っていましたが、なすすべもなく苦痛の中にいる動物たち、死んでいく罪もない動物たちの実態をホームページで最近知り、現実のものとして理解し何とかしなくては!という気持ちになりました。。…と同時に動物の権利に関して活動している人や、団体があることも知りほんのわずかなことでも自分にも何か動物たちを救う手助けをしていこうと決意しました。こうした輪がうんと広がってほしい! 同じ思いの人が一人でも多く…と願っています。

nyatete - 00/08/24 07:36:03

コメント:

>あんどう様
>ゲストブックの設定を「タグ不可」にすると、改行が反映される様になります。

おおっ。それは知りませんでした。今はタグが使える分、逆に改行が反映され
ない設定になっているんですね。情報をありがとうございました。今度、ぜひ
試してみます。HPの方も今度、ゆっくり見にいかせて頂きます。


>大貫様
 このHPは誰に見てもらっても、リンクしてもらっても投稿してもらっても
歓迎という方針でやっております。ご了承下さい。
 お怒りになるお気持ちは良く分かります。私も世の中を変えたいと思ってい
ますし、色々な事に怒ってもいます。ただ、開かれた情報や開かれた議論が、
世の中を変える最も有効な手段だと信じてやっています。

>へそ曲がり獣医さん
 ちょっと書きすぎたかとも思ってましたが、大人の対応(というのも
変な表現ですが)をして頂いて恐れ入ります。
 情報公開はとても大事だと思います。期待しております。


あんどう - 00/08/23 22:56:12
ホームページアドレス:http://www.os.rim.or.jp/~nature/
電子メールアドレス:nature@os.rim.or.jp

コメント:
nyateteさま 私もジオシティーのスペースを利用しています。 改行についての記事がありましたが、ゲストブックの設定を「タグ不可」にすると、改行が反映される様になります。(ご存じでしたらよけいなお世話ですね) ただし、掲示板の再設定ではなく、新規作成となるはずですので、過去ログ作成時になさると宜しいかと思います。 --------------- 私は、「自然環境に配慮する事は、ヒトの健康を守る事につながり、また、野生動物保護もつながります」と主張しています。  逆説的ですが、「動物の犠牲と苦しみを減らすため」に、あえて、「人のため」を唱えています。 反発の少ない主張をする事により、より多くの人の関心や、賛同を得られ、結果的により多くの動物の犠牲と苦しみを減らせるのではないかと思うからです。 いろいろ、やり方はありますが、「目的を見失わない」のが一番難しいですね。

あんどう - 00/08/23 21:07:38
ホームページアドレス:http://www.os.rim.or.jp/~nature/
電子メールアドレス:nature@os.rim.or.jp

コメント:
はじめまして。 へそ曲がり獣医さまのHPのリンクから、こちらを知りました。 この掲示板の1ページだけご参加の方々を拝見いたしましたところ、存じ上げておりますお名前が数名…  管理人様、またゆっくりコンテンツを拝見指せていただいた後、お便りさせていただきます。 私、動物と自然を考えるHP<NATURAL LIFE LOVER>の管理人をしています。 今後とも宜しくお願いいたします。 (ぴかりぃさま、MSN内の旧・実験等掲示板)をご紹介いただきありがとうございました)

大貫 麻理 - 00/08/23 18:40:18
電子メールアドレス:onuki.m@nifty.com

コメント:
ホーム・ページをみました。異論をとなえる方々のコメントを読んで、申し訳ない ですけど、その方たちの知能レベルを疑ってしまいました。はっきり言って、食用 の動物達も可哀想なのは事実です。でも、この場合は、生きて行く上で、百歩譲っ て許される範囲でしょう。でも、動物実験なんて、本当に必要に迫られてやってい るものなんてごくわずかですよね、、、。どれもこれも無意味なものばっかり で、、、。大学病院では、せっかくおりた研究費、使わなくっては、、、と言わん ばかりに、取り憑かれた様にやっていたり、又はどこかの「サド・マゾ」がご趣味 の悪趣味な「サド」の方だか、なんだかしらないですけど、御自分の欲望を満たす ために動物を拷問にかけて遊んでる、、、としか思えませんよね!!だってそんな 無意味な研究、、、おっとごめんなさい、ここで研究なんて言葉を使ってしまった ら、本当の研究をしてる方々に対して失礼ですので、お遊び、と言っておきます。 無意味なお遊びして、時間の無駄じゃないですか。動物実験がいかに無意味なの かって言う事は、Aboaboの「動物じっけん室でなにが」と言う所を読んでよ く分かりました。そしてその悪趣味なサド系の医学生に対して言いたいですけど、 将来、医者になってもそんな方に診てもらいたくないです。ぞっとします。ですか ら、いったい、どうしたら「食用動物」と「実験用動物」と、いっしょくたに考え られてしまうんでしょうか?前者は百歩譲って仕方が無い事、後者は、人間のする 事じゃない!!こんな知能レベルの低い人達が言ってる事を取り上げるこのホーム ページを作った方もどうかしてますよ。

へそ曲がり獣医さん - 00/08/23 14:26:52
ホームページアドレス:http://www1.webnik.ne.jp/~eimamura/
電子メールアドレス:eimamura@mail1.webnik.ne.jp

コメント:
Nyatete 様へ おっしゃるとおり、自称「動物福祉」論者にちがいありません。所詮、このページの門外漢であることは、最初から自覚していました。しかし、へそ曲がりな性分から、おかしいぞと思うことには、つい反応してしまいます。ご迷惑かもしれませんが。 私のHPのことですが、在職中に同僚のための情報源として研究所内限定で開いていたものを、退職後は業界仲間を対象に秘密部分を削除して公開しました。したがって動物実験を廃止しようなどという意図は当初からありません(実験がなくなるのを願っているというのは、病気がなくなるのを願っているというのと同義語で、その時期は遠くないと信じています)。Yahooなど検索エンジンに登録後は一般の方からのアクセスが増えて関心の大きさにびっくりしています。現在では「反対する人にも、実験する人にも、そして何もしない人にも」お役に立つ情報集として、編集方針を変えています。一般の人々が一方的な情報に惑わされることなく、両方の意見あるいは正しい事実を知って判断してほしいと思っています。したがって、「動物の権利」の情報も流しますし、それに対する反論も掲載します。(このゲストブックも面白いのでリンクをはらせていただきました。ご了解ください。)

nyatete - 00/08/23 10:59:29

コメント:

>へそ曲がり獣医さんへ
 私は医薬品のための動物実験だったら仕方がないとは思っていません。私はすべての
動物実験に反対しています。

 私が化粧品の例をあげたのは(ほぼ、appleさんの言って下さったとおりですが)すぐ
にでもなくすことが可能な動物実験の例としてです。あなたが仮にも「動物の福祉」を
かかげておられるのなら、どうしてまず、なくしていける動物実験はなくしていこうと
いう程度のことさえ、おっしゃろうとしないのか私には分からないのです。

 化粧品のための動物実験を禁止できないはずがありません。現にEUでは禁止されて
います。安全性の確認されている原料のみを使えばいいだけの話です。

 その他にもすぐになくせる動物実験はいくらでもあると思います。心理学のための
動物実験なんて馬鹿げたことはすぐに禁止してもらいたいし、兵器の殺傷力のテスト
のために動物を犠牲にすることは倫理的に正当化できる余地は無いように思います。
製薬メーカーのもうけのために医学的には特に新しい意味のない薬のためにされる
動物実験もひどい話だと思います。

 私は動物の権利論者ではありますが、「完全になくさないことには意味がない」
とは思っていません。少しでもなくせるものからなくしていければ良いと思っていま
す。その限りにおいては、動物の福祉の立場に立つ人に(現状においては)積極的に
反対するつもりはありません。

 ただ、繰り返しになりますが私にはあなたが本当に動物の福祉を訴えている様には
どうしても思えないのです。たしかにあなたは代替法のことなどは書いておられますが
不必要な実験のことや残虐な実験のことにはふれられておりません。
「動物実験が必要でなくなる日の遠くないことを信じたいと思います」といったことは
しょっちゅう書かれておられますが、そのくせその中身は「動物実験の必要性」に
比重がおかれている様に思います。化粧品に対する動物実験もその必要性を説かれまし
た。動物実験擁護のHPを、翻訳して紹介することまでされています。

FAQ#02にこういう話がでてきます。

     その後、動物の福祉運動の改革論に代わるものとして廃止論をかかげた動物の
    権利運動が登場しました。動物の権利運動が勢力を拡大し影響力を強める様にな
  ると動物を搾取している人々も対抗措置を取らざるを得なくなりました。
     おそらくトム・リーガンが動物の権利を動物の福祉と区別しようとした事に影響
    されたのでしょうが現状を維持したいと願う産業界の人々は「動物の福祉」という
    言葉を進んで受け入れる様になりました。動物実験や狩猟やわな猟やアグリビジネ
    スや動物を利用する興行などの関係者や支持者が自らを動物の福祉の擁護者だと称
  する様になったのです。動物を搾取するそうした慣行を守るための外郭団体もいく
    つか設立されました。

もちろん、日本じゃ動物の権利運動など今のところまるで無力です。
あなたのやっておられることも純粋に個人的な活動だと思います。
でもあなたの言われることは私にはどうしてもこうした、自称「動物の福祉」論者の
言葉に思われるのです。


- 00/08/23 03:29:54
電子メールアドレス:yossy118@fancy.ocn.ne.jp

コメント:
わたしは、『地球動物園』(多分こんな題だったのですが。内容は動物保護全般です。)という本を読んでからいろんなことを考えるようになりました。  なるべく動物が犠牲になったりしているものは、買ったりしないようにしているのですがやっぱり肉は食べたりしています。ベジタリアンになる気はないのですが、やっぱ意志が弱いです(←これは、わたしがベジタリアンでないことではなくて、他のいろんなことに対して)  私の主張は『命の差別をするな』ってことです。哺乳類だから、昆虫だから、見た目とか、知能で差別して欲しくないんです。これも境界線は難しいのですが、とりあえず自分の意思を持っている生物を含めています。  自分の主張を紹介してしまいましたが、何を書いていいのかよく分かりません。  とりあえずこういう活動はとにかく多くの人に伝えることが大切だと思います。(特に家畜のこととかは、事実を知らない人がほとんどだと思うし。)

へそ曲がり獣医さん - 00/08/20 14:14:44
ホームページアドレス:http://www1.webnik.ne.jp/~eimamura/
電子メールアドレス:eimamura@mail1.webnik.ne.jp

コメント:
みけ 様へ AVA-netが目的としている免許制は英国を模範としていると思われます。しかし、英国では法的手続きさえ踏みさえすれば、落ちついて研究できるという状況ではないようです。政府の関与によって、動物実験反対派のフラストレーションがかえって高まっているような気がします。私も免許制は好きではありません。お上からとやかく言われたくない。私は、アメリカのIACUC(所内動物実験委員会)方式のほうが好きです。獣医師や所外の一般人を加えた委員会が実験の審査や査察を自主的に行っています。日本の多くの研究機関もこれを見習おうとしています。

みけ - 00/08/20 00:53:08
ホームページアドレス:http://www.eva.hi-ho.ne.jp/mikeneko/

コメント:

うーん、厳密に言うと、AVA-netは、動物実験の全廃が目的ではなく、許可制が目的なので
「医薬品の動物実験は必要です」と取るのは、あながち間違ってはいないような。
法的手続きを踏みさえすればいいんだから、製薬会社はそりゃもう落ち着いて研究できるできるでしょうね〜。
まあ動物保護団体もいろいろですからね。
あっ、でも主に化粧品の動物実験反対を掲げてるのはJAVAですね。

AVA-net;http://www.ava-net.net/
JAVA:http://www.enviroweb.org/java/indexJ.html



apple - 00/08/19 17:50:00

コメント:
へそ曲がり獣医さんへ つたない文章の中から、伝えたい部分を読み取っていただきありがとうございました。確かに、へそ曲がりさんのように問題意識を持ち合わせる方にとっては、愛護団体の呼びかけは、そう受け取らざるを得ないものだと今、改めて感じました。もちろん、そういう方は多いとは思いますし、そのような方々と出会う機会はとても多いです。皆お互いに自分の物の見方というのを持っており、それが前提で意見の交換ができます(もちろんそれはこの場でも言えることです。)。そして、なおかつ自分の意見を主張しつつ、相手の意見を理解できないまでも聞いて消化しようとする、そういう意思が交わりあって討論なり、話し合いなりが成り立ちますよね。そういう意味では、「化粧品の動物実験は不要です」というフレーズは、とてもギリギリの線であり、だからこそ人々を批判させたり、おやまてよと思わせたり、かわいそうと思わせたり、そういう感情的な思いを呼び起こさせたりするのだと思います。(だから、逆に鵜呑みにしたり、真っ向から受け入れなかったりということが起こり易く、それ故に賛否両論が多いのだと思います。)自分の意見を押し付けられたと感じるかもしれません。(まあ、事実動物愛護者の意見ともいえますが・・)うーん、受け取り手と運動側の(あるいは対人にも繋がる)課題といえるかもしれませんね。。そのご意見、心に留めておきます。。「へそ曲がり」というネーミング、とても奥深いものを感じます。「へそ曲がり」を経て自分の意見を持つって大事だし、そういう意味ではここのサイトを訪れる「へそ曲がり」人口の割合は、かなり多そうですね。 肉食と動物実験というのは、どこかで繋がっているものですね。 なんか、論点がずれてしまっていたらすみません・・・。では・・

へそ曲がり獣医さん - 00/08/19 15:22:21
ホームページアドレス:http://www1.webnik.ne.jp/~eimamura/
電子メールアドレス:eimamura@mail1.webnik.ne.jp

コメント:
apple 様。 日本のJAVAやAVA、アメリカのPETAなどが、なぜ化粧品をメインターゲットにしているかが理解できました。ありがとうございました。化粧品会社は迷惑でしょうが、製薬会社は落ちついて研究できるでしょう。しかし、たとえばAVAのキャッチフレーズ「化粧品の動物実験は不要です」が、「医薬品の動物実験は必要です」と読めてしまうのは「へそ曲がり」な私だけではないと思います。

apple - 00/08/18 16:07:14

コメント:
へそ曲がり獣医さんへ おっしゃっていることは、HPで述べられていたことと同じだったように思いましたので、改めてへそ曲がりさんの意見として拝見させて頂きました。 へそ曲がりさんは、わたくしやnyateteさんが「化粧品」と「医薬品」の動物実験を分けて考えていると捉えられたようですが・・・動物の権利を主張す者は、種差別というものが一つの考えの基盤としてあることは、貴HPを見る限りはご存知であると思います。そして、化粧品用の動物はだめ、医薬品は仕方ないだとかいう動物の「差別」もしていませんし、nyateteさんが化粧品の例を挙げたのも、動物実験の実態が化粧品は実験を減らすことの可能な一番の分野だからという部分も念頭において(もちろん残酷性も兼ねて)、敢えて、へそ曲がりさんにたいしてはそのような例示を挙げただけで、医薬品は仕方ないというようなことを言っていたようには思えなかったのですが・・・少なくとも私はそう思いましたが・・・・(nyateteさんに聞いてみないとわかりません。) ただ、こういうのもあるということで知っていただきたいのは・・・・動物の権利擁護の哲学者としては、有名なピーター・シンガー氏と、トム・リーガン氏がいます。どちらも、動物実験は全廃するべきであるという主張です。ただ、リーガン氏は「絶対全廃主義」に対し、シンガー氏は「【究極】の場合においては、倫理的で人道的な実験は認めざるをえない」としています。(この究極の意味が、医薬品はOK!とかじゃないことは判っていただけますよね)そういう意味では、シンガー氏の意見は、リーガン氏に比べると、若干動物福祉的な要素が入っているといえるかもしれません。しかし基本的には、どちらも動物の権利を絶対主張しているのは変わりありません。 どうして化粧品の例を挙げるのかといえば、身近であると同時に、化粧品は実験しなくても作れるからです。どうして実験をするか・・天然の人体に無害なものを作っていれば、実験の必要はないし、現に実験していない化粧品会社は増えています。安いコストで抑える為に、人体にも環境にも有害な化学物質を利用し、動物実験をしたから安心という「証明」をしているのです。(言わば商品でいうブランド(信用)に近いものではないでしょうか。全てがそうではないとは思いますが、多くは。)その結果はどうでしょうか??洗い流した化学物質で水質は汚染され、化粧品のせいで皮膚はかぶれ、またそれを化学物質を塗って治せという広告の数々。そういう会社が、果たして本当に人間の安全のために実験を行っているのかさえも、疑わしく感じてしまいます。へそ曲がりさんは、現場にいらっしゃった方ですし、だからこそ、本当に人間のために行われていたのか、それともそういう後ろ盾の下に(企業の信用、利益の下に)そういうスローガンを掲げることしかできない企業体質というのではなかったかというのを、見極められる一番の存在なのではないかと思うのですが、どうでしょうか。 勿論、めざすは実験が無くなることです。そしてそのための段階を踏んで、今は化粧品のことが前面に出ている形となっています。これは、分けて優劣や損得感情めいたやそういう善し悪しで分けているのではなく、そして、今は少しでも無くせるなら、無駄な実験を無くし、代替法を推進し(それでも実験が無くなるのは難しいとはいわれていますが)今のこの状況で、少しでも多くの動物が実験で亡くなることを止めたいと思っているのです。 それと、ご存知とは思いますが、英国や諸外国は実験に対して規制があるのに対し、日本は全くなく、言わば無法地帯です。実験者の倫理感に任せる、といったずさんさ、これだけでも日本と外国が同等に比べられない一つの要因ですし、現場にいらっしゃったことのあるへそ曲がりさんは、実験者全員が実験の動物に対する福祉の考えがあるかないか、知っておられるのではないかと思います(かといってその現場が全てでなく、10あったら10の実験施設と人間がいることは承知ですが。)。 少しこれを見直したところ、感情論寄りの意見ととられがちかなあとは思いつつも、テキカクにあらわせなく、もっとデータとかを出すべきだったかもしれません。医療のことにも触れられませんでしたが・・・あくまで主な意見として書き込ませていただきました。。一応今はこのへんで・・(なんか尻切れですいません)

へそ曲がり獣医さん - 00/08/18 10:02:36
ホームページアドレス:http://www1.webnik.ne.jp/~eimamura/
電子メールアドレス:eimamura@mail1.webnik.ne.jp

コメント:
apple 様、nyatete 様 化粧品に関する動物実験について ご指名により、化粧品のための動物実験について考えてみました。1)なぜ化 粧品を特別扱いするのですか。動物の側から見れば化粧品も医薬品も同じでは ありませんか。2)医薬品は尊厳な生命を扱い、化粧品は上っ面(?)の美の ためだからですか。目的によって動物実験が正当化されたり、されなかったり するのですか。(動物の権利の立場は目的が手段を正当化することはないはず です。)3)女性にとって、化粧品はそんなに重要度が低いのですか。化粧品 に限らず毎日使うものの安全性は医薬品に劣らず重要です。(頭髪が抜けても 癌が小さくなればよいといったものではないのです。)4)しかし、英国の例 ですが、化粧品に関する動物実験は全体の0.1%にすぎません。最終美容製品に 限れば0%。日本でも同じだと思います。ほとんど動物実験が行われていない領 域なのです。(英国では統計が取られている) 5)それにもかかわらず、皆 さんが問題にしているウサギを使った残酷な試験とはドレーズ法といって眼粘 膜に対する刺激を調べる方法のことだろうと思います。昔は、どこまで濃くす れば爛れるだろうかと、どんどん濃くしていったものですが、現在では目薬 (医薬品)などで最終製品を人間が使った場合の量を想定して点眼し安全性を 確認するだけです。ほとんどの場合にウサギに傷害は起きません。6)最近、 ウサギが首かせから首を出している写真をよく見かけます。「動けないように 固定され、目に薬品を注入されるウサギ」という説明まで付いていることもあ ります。ウソです。文章と写真を隣り合わせに置くことによって残酷性を訴え ようとしているのかもしれませんが、あれは単なる固定器の写真にすぎませ ん。ウサギが嫌がっているようには見えません。適切な固定は残酷どころか、 実験処置による動物の苦痛を確実に和らげます。7)私としては、動物実験は 医薬品のためにも化粧品のためにも、有効性と安全性を保証するために、必要 だと思います。8)そして化粧品だからといって、ずさんな飼育管理でよいわ けではありませんし、医薬品であるからといって必要以上に苦痛を伴う実験が 許されるべきではありません。9)そして、化粧品に限らずあらゆる動物実験 が必要でなくなる日の遠くないことを信じたいと思います。 (apple 様、nyatete 様、化粧品について考える機会を与えていただいてあり がとうございました。)

みけ - 00/08/17 01:53:52
ホームページアドレス:http://www.eva.hi-ho.ne.jp/mikeneko/

コメント:

yasuさん、詳しい説明をありがとうございました。
基本的に、わたしの考え方ははyasuさんの考え方とあまり変わらないと思います。
ただちょっと表現上の違いだけなのかなって思います。
肉を食べたい人が、自分の食べる分だけ、自分の手で殺して食べるのは賛成です。
それでもやっぱり授業でやるっていうのは、どうかな〜と思いますが。
だって、自分だったらその学校には行きたくないし、自分の子供も行かせたくない。
だけどyasuさんのおっしゃることも、よくわかるんですよ。
わたしはこれからも一生肉を食べるつもりはないのでこういう授業は必要ないと感じるけど、
これからもずっと肉食を続けていくつもりの人にとっては、意味のあることなのでしょう。

そういえば、普通「感謝して食べなさい」というと、食べるために殺された動植物に対してではなく、
お百姓さんとか漁師さんとか畜産家とかの食材を提供する人々や、料理を作った人に対して感謝しなさい、
という意味にとられるのが一般的かなあ、と感じます。
それもたしかにそうなんだけど、なにかが抜け落ちていますよね。


yasu - 00/08/16 19:05:23

コメント:
 みけさんへ。 理科(生物)の授業で、以前は、カエルやフナの解剖実験が普通に行われていました。無残な姿にされて、捨てられるだけのカエルやフナをかわいそうと感じた生徒もいたでしょう。わたしも解剖実験は虐殺にしか思われなくて、その必要性はほとんど感じませんでした。大学などの専門課程での研究では、実技の必要性も出てくるかもしれませんが、義務教育レベルでは、人体と同様に、動物の体の仕組みを知るためでも、現在では、ビデオや模型などを活用するだけで充分でしょう。               問題なのは、解剖実験のカエルやフナには同情しても、食用にするならば、マグロやサケなどの魚や、ニワトリやブタなどの家畜は平気で殺してもいいのかということです。トロの寿司やサケの塩焼き、チキン料理、トンカツはおいしく食べても、それが魚や動物たちのかけがえのない生命の犠牲であることが意識されていないのです。その料理は舌なめずりして食べても、魚をさばいたり、屠畜シーンなんか見たくもないと目を背けてしまう。これでは、本当に食物を感謝する気持ちは生まれにくいでしょう。不快だからと不可欠な現実を直視しなければ、正当な判断も下せないし、生命を軽視したりする、何らかの弊害が生じるかもしれません。                           鳥山さんは物質的には豊かになり、食物においても生産者と消費者が分離していくに従って、学校内でも、モノが大切にされない、給食が食べ残される実情から、単なる好き嫌いだけでなく、生命への配慮(思いやり)が失われていることを懸念されたのでしょう。食前食後に「いただきます」、「ごちそうさまでした」のお決まりの言葉は唱えても、何に対して感謝しているのかの実感がないから、実行が伴われない空しさがあります。    <引用1>                                   戦中・戦後を生きてきた多くの人がよく口にする「もったいない」は、わたしのからだにしみこんでいる。それは、わたしのなかでは、ただ、食べるものを捨てる、無駄にするという意味の「もったいない」だけではない。生きるということは、ほかの生きもののいのちをとりいれることである。自分が生きるために奪ったそのいのちは、自分が生きるためにぜんぶ使うのでなければならないということなのだ。奪いとったいのちは、自分のからだのなかで自分のいのちとしてよみがえっている−−自分の生がいま、こうして営みを続けるまでに、どれだけ多くのいのちを奪ってきたことか。どれだけたくさんの植物や動物たちのいのちを食べつづけてきたことか。                     小鳥や犬や猫をペットとしてかわいがったり、すぐ「かわいそう」を口にして、すぐ涙を流す子供たちが、他人が殺したものなら平気で食べ、食べきれないといって平気で食べものを捨てるということが、わたしには納得がいかないのだ。             <引用2>                                   いま、自分のからだが食べたがっているものや、食べたい量をいっさい無視して行われている給食という「教育」が、どんなに生命を軽視し、からだ感覚をにぶくしてしまう子を大量生産していることか。これは、たいへんな生命蔑視の思想教育だと歯ぎしりしているのだが、どうにもならない。あいかわらず、パンもおかずも捨てられているのだ。多くの無駄になったいのちは、いつかきっと人間に報復するだろう。                                                    肉食が肯定されている社会で、少なくとも、無益に奪われる家畜の犠牲をなくすにはどうすればよいのか。生命の尊さを実感として知ってもらうために、ニワトリなどを殺して食べる授業をなされたのでしょう。子どもたちの素直な気持ちが表現された作文も記されています。尚、鳥山さんの授業は強制ではなく自由参加で、児童だけでなく、その親も出席が認められて実施された課外授業です。食物に感謝しなければいけないとは説いたかもしれませんが、「きっと動物たちもわたしたちに食べられて喜んでいるはずです」なんて教えた授業では決してありません。部分紹介では、著者の意図に反した多分な誤解を招きますので、「いのちに触れる」(単行本、全270p)の全文を、各人でお読みいただければと思います。屠畜場で、牛が殺されるときに涙を流す話にも触れられています。                                           ここからは、わたしの意見です。小学校では食物として犠牲にされる米や野菜などの植物に感謝する授業、中学校ではニワトリ、高校ではウシやブタなどの動物に感謝する授業を採用して、確かに反対も予想されますが、必要や希望があれば、肉食者には生きたままの家畜を殺して食べる経験をさせるのは、肉食が許容される社会であり続けるなら、実感として動物の犠牲に感謝するためにも有意義でしょう。その過程を経なければ食材にならないのだから、家畜を殺して解体するという嫌な仕事は代理人に任せて、食べる人だけを演じているのは卑怯かもしれない。食肉処理場の見学だけでも、屠殺の家庭も含めて公開されるなら、それなりの意義はあるでしょう。せめて、ビデオや模型を活用した、生命を尊重して食物に感謝する、食物と人間について考える授業はなされてもいいのではないでしょうか。                                    一昔前の日本では、農家の庭先で日常的に、ニワトリは殺されて食べられていて、その犠牲に素直に感謝することができたのです。それが工業的畜産が発達するにつれて、殺すことへの後ろめたさがあるのか、家畜の屠殺は隠されてしまって、ウシやブタだけでなく、ニワトリの屠殺でさえも、一般の人々が目にする機会は全くなくなってしまいました。ナタを使って、一匹の野良ネコの首がはねられても、想像したくもない残虐な事件になりますが、毎日毎日、何千、何万のニワトリの首がはねられていても、誰も気にも止めなくて、それを材料に作られたチキンナゲットや照り焼きをほお張っているのです。ウシやブタも同様に生命を奪われているのです。そして、かけがえのない尊い生命の犠牲に感謝して、残さずにきれいに食べてくれるならまだしも、現実には、大量の食べ残しや無駄食いが平然となされているのです。                                 

apple - 00/08/15 11:39:12

コメント:
すいません、誤解を招くかもしれないので・・・「へそ曲がりさん世代」といいましたが、そこにへそ曲がりさんは入っていません。へそ曲がりさんは、そのような時代を経験した上で、動物問題について色んな角度から吟味しようとする意思のある方だと思っております。(化粧品の動物実験については、実験反対の団体のhpを1つの意見としてみてもらいたいと思います。(《医療については、ここでは提言もできないし敢えて避けます》化粧品やトイレタリーの実験は、倫理的にも実験自体においても不必要であると反対の声が多いです。)ぜひ、ご覧になってはいかがでしょうか。

apple - 00/08/15 11:25:24

コメント:
ムッチーさんの言う通り、教育、情報の力は絶大なるものと思います。「肉神話」は、もはや今の情報社会の主流であるテレビによって、大体的に報道されていますよね。(でも以前nyateteさんもいってたように、み もんたさんの番組なんかでも、食べ過ぎないようになどという報道も増え、以前よりはましなのではないかと思いますが・・・)ピーター・コックスの「ぼくが肉を食べないわけ」にはその、食肉産業と大企業、消費者の関係について書かれていると思います。(ただ、この本は菜食を理論的に納得したい方には、少し著者の動物への思い入れが強いことが感情的と受け取られ易いかもしれませんが、1つの告発として読んでみたらそんなに拒否反応もないと思います。) そして、今でも少し正直自分でも考えが消化不良気味なのが、へそ曲がりさん世代の、数々の混乱、苦境をくぐりぬけられた方々に、この贅沢放題の世代に育った私たちの意見を伝えることであり、意見の交換を持ちたいと思えば、少々困難を感じてしまいます。この、伝えるというのは、わかってほしいとか、無理強いさせるの類ではなく、一つの意見として捉えてもらうという意味合いでです。それは、当然かもしれません。へそ曲がりさんの戦後の話は、当時日本で当たり前に、どこでも行われていたと思います。人間が生きるのに、食べるのに精一杯だった時代に「動物にも権利がある」と肉食について考えることは難しかったでしょう。(戦時中は人権さえないに等しかったですものね)。最近近所でも、こんなことがありました。余りに飼っている鶏が早朝から鳴き、苦情がきたので、近所の人と鶏を絞めスープにした、と。私はその話を聞き、条件反射的に顔を顰めてしまった時に母親(ベジタリアン)が「昔の人やしな・・私らとはまた違う意識が植え付けられてると思うで」といっていました。確かに私もその時代だったら、手っ取り早い蛋白源として(それしかなかったとも思います)、そして自分、家族の為にありがたく頂いていたかもしれません。しかし、今の飽食の時代、もし栄養源の話からしたら、全く他に代わる栄養源もあるし、あとは『肉食の選択』といった個人の思想問題ですよね。戦後に育った方の状況を考えると(自分は体験してないのに「考え」ても追いつかないとは思い、自分の最大限の想像でしかない事をお許しください)、時代背景的にも「ありがたく」頂いている方を除いて、動物(鶏など)を食料のために殺すことは何も感じない、しかたないの域であるかもしれません。でももちろん、私たちが想像する以上にそう思わなければいけなかった根源は、深いものがあるとは思いますが(戦後の人たちには贅沢者の戯言と、反射的には感じられるかもしれないですが)、できるならそのトラウマ(?)を(難しいとは思いますが)受け入れつつ、せめて両方知って『選択』できる情報社会にはならないでしょうか?(そして、終戦記念日の今日にこのような事を考えさせていただき、感謝しています。)

へそ曲がり獣医さん - 00/08/15 09:43:15
ホームページアドレス:http://www1.webnik.ne.jp/~eimamura/
電子メールアドレス:eimamura@mail1.webnik.ne.jp

コメント:
Appleさんへ 私が幼い頃というか、終戦後というか、貴重な動物性タンパク源として、わが家の庭に鶏を飼っておりました。卵を生まなくなった鶏を食するときは、父と私は他の家族の見えないところで殺しました。私は殺しに参画できたことで他の家族とは違うのだという優越感を感じました。食べたい奴は殺してみろとか、見に来いという発想はありません。家族に見せずに殺すのが男の勤めだと思っていました。そんなことで、ついnyateteさんの掲示板に反応してしまいました。あなたのおっしゃるような難しいことを考えたわけではありません。屠殺場を見学に行かなくとも、自分で殺せなくても、肉を食べたければ食べればよいし、食べたくなければ食べなくともよいと考えているだけです。ただし、一部の人が肉食を拒否するだけでは畜産の現状が改善されるとは思いません。あなたのおっしゃる「現状を少しでもよくしよう」という態度に敬意を表します。(nyateteさんへ:門外漢がしゃしゃり出て申し訳ありません。)

へそ曲がり獣医さん - 00/08/15 09:40:26
ホームページアドレス:http://www1.webnik.ne.jp/~eimamura/
電子メールアドレス:eimamura@mail1.webnik.ne.jp

コメント:
Nyatete 様 私に「共感できない」の前に「あまり」をつけていただいて、ありがとうございます。「全面的に」じゃないのですね。「動物福祉」の看板に「偽り」ありとのご指摘ですが、あなたが 00/08/12 付けで解説されている定義によれば、看板どおりだと思うのですが。「化粧品」についてのご質問ですが、ご質問の意味がよくわかりません。私は化粧品のことはあまり知らないのですが、市販の化粧品について、なにか動物実験が行われているのですか?(私の勤めていた会社でも、化粧品を作っていましたが、動物実験が行われたということは知りません。最終製品では、人のボランティアによるパッチ・テストという皮膚刺激試験が行われていましたが。)化粧品に関するAR-FAQに反論するページをご紹介しておきます。日本語訳です。 「http://www1.webnik.ne.jp/~eimamura/ODonnell1.html#作り話 5 “動物実験のほとんどは」 「http://www1.webnik.ne.jp/~eimamura/discussion.html#5.“動物実験をしていない”製」 「http://www1.webnik.ne.jp/~eimamura/aps/quest7.htm」

ムッチー - 00/08/15 08:15:51

コメント:
動物に苦しみを与えざるを得ない立場のお仕事をお持ちの方が、非難されるべきではないと皆さんお考えでしょう。文化として仕事にいそしむ姿はどれも、尊いし、尊敬すべきです。だから、お肉屋さんのおばちゃんとかとても素敵な人だと思ったりしますし。 肉を食べなきゃ、健康に生きられないと思うような栄養学とかで、教育されれば、穀物だけで充分満足しているのに、肉を好きになろうと努力して結果好きになります。 肉は必要ないという教育があれば、誰も、肉肉といって、貧しい食費から奮発して買ったりしないと思います。結局、わたしの場合は、食べなきゃ健康に生きれないと勘違いして、高い食費を払っていました。でも、その知識が嘘だと知り、嘘の情報を教育する現実に怒りが出ました。貧しい国の人々も、おそらく、肉は高級品だ、健康に良いのだと、間違って、情報を入れて、それに憧れているはずです。もし、必要ないと知れば、きっと、 とうもろこしや、小麦、果物を充分に手に入れたいと思うだけになるでしょう。だから、 貧しい国の人が肉を食べれないと嘆くのは、間違った情報による憧れからくるものだと思います。あと、肉生産を止めれば、経済自信がよくなるわけではないです。しかし、 自然の回復(森林伐採が少なくなる)、水がきれいになる。とか、人が健康になる。とか、精神が穏やかになり、犯罪が減るとか、メンタルの根本が変わるでしょう。それが与える人類への影響は大きい。そこから、ベジタリアンの文化や社会のあり方、経済の構築を検討する、努力するのが人類の理想です。今の文化を足元からひっくり返すのだから、 革命です。でも、人間は高い理想を、無理な理想を持つことから始めます。そして、 無理だと思っていたことが可能になるのです。だから、無理だと、決めたら、それは無理になると思います。でも理想を持つことはすばらしいことだと思っています。 肉は必要はないというのは事実なのに、それを隠されているのは罪です。そのことがわかれば、人は違う生き方を模索するでしょう。人の叡智は計り知れない。 たとえ、家畜がこの世から消えても、野生の動物だけになっても、それはかまわないと思います。家畜さんたちは、かわいい我が子が肉にされるなら、生まれたいとは思わないでしょう。わたしがもし、食べられる運命なら、子孫を残すことなど考えないでしょう。 現に今の世の中ではわたしは子供を産みません。たとえ、そんな人がどれだけ増えても、かまわないと思っています。それも自然の摂理でしょう。 お医者様とか、頭脳明晰な方とかを尊敬します。そんな頭脳はわたしには逆立ちしてもないのだから。この頭脳をベジタリアン文化の追求や研究、に向ければ、わたしが1しかできなのに、きっと1億のことをされるんだろうな。と思ったりします。 わけわからないこと言ってるでしょうが、書いちゃいました。

apple - 00/08/14 02:42:35

コメント:
あーもう1時間以上も打っていたのに、手違いで消してしまいました(あーこれだから初心者は・・・) へそ曲がりさんのコメントですが・・・確かに人の嫌がる仕事を、プライドをもって行う彼らは、賞賛されるべきかもしれない。少なくとも、彼らが差別される事自体がおかしいです。以前、屠殺のドキュメンタリーの本を読みました。士農工商の時代は、「畜生」を殺すと言う、人々が嫌がる仕事は、非人間と勝手に位置付けられた人々に押し付けられました。そして今は、職人さんや、不法滞在または就職の困難な在日外国人の方が多く(この方たちも差別をうけています)、仕事されていると聞きました。彼らがいなければ、皆は肉を食べれない。そして皆が自分ではしないくせに、その尻拭い的(すいません、不適切ないいかたかもしれません)な仕事をしてもらっている、なのに差別をするのはおかしいし、でも心理は、自分の小さな罪悪感や嫌悪感を、彼らの行為に押し付けることによって、自分を弁護しているのでは・・とにかく、彼らが差別されるのはおかしいことである。けれど、仕事にプライドを持っているからといって、動物が苦痛に満ちた一生の末に、非人動的な、最小限の苦痛にもとどめられない殺され方で死んでいく・・そのことを正当化するりゆうにはならないと思います。(かといって、人道的だったらいいというわけではないです・・・・・・このことは、動物福祉と動物の権利の違いとして、nyateteさん、へそ曲がりさんhpにも幾度もでてくることのひとつでしょう。) 経済的に、肉食を止めても飢えている人々を満腹にはできないかもしれない。でも、このままかこれ以上肉食を増やすよりは、現状を良く出来る可能性は高いと思います。なにより、経済が変わらないと言って、肉食や飽食をすることよりは、途上国に思いをはせ節食をすることは意味のないこととは思えません。現状を良くしたいというメンタルな部分は、いりませんか?確かにメンタルだけで、彼らを満腹にすることは不可能です。でも、メンタルを行動に移して、現状をよくしようとすることで、何かの第一歩には出来ると思います。そして、フェアトレードや、先進国による、援助と称する途上国開発によるぼろ儲け政策なんかと一緒に目を向ける問題だと思います。 それと、権利を持った牛や豚は、今の不自然な人工受胎もなく、生命を作用されないから、彼らの本来の成長と寿命でいきることができます。今は、生命を人間によって作用されているから、不自然に多い数、短い寿命、恐ろしく早い成長なのです。それがなくなれば、だんだん数は減っていくのではないでしょうか。 ただ、へそ曲がりさんの討論の姿勢、物言い、見習うべき姿勢だといつも思っております。

nyatete - 00/08/14 01:05:12

コメント:

>へそ曲がり獣医さんへ
 私があなたにあまり共感できない最大の理由は、あなたが動物の権利ではなく、
動物の福祉の立場に立っているからではありません。あなたは基本的に動物実験
擁護の立場に立っているのに、「動物の福祉」をかかげているからです。これは
看板に偽りありってもんじゃないですか? たとえば、あなたは化粧品の為にさ
れる動物実験についてどう思われているのですか?

 もしも家畜がいなくなるとしたら、かつて家畜であった豚や鶏や牛は単に存在
しなくなるだけではないでしょうか。あなたは、今、現実に存在している豚や鶏
や牛の苦しみはしょうがないこととして片づける一方で存在していない豚や鶏や
牛に同情されるのですか?
 

へそ曲がり獣医さん - 00/08/13 15:13:22
ホームページアドレス:http://www1.webnik.ne.jp/~eimamura/
電子メールアドレス:eimamura@mail1.webnik.ne.jp

コメント:
「肉を食べたい人が屠殺場の見学に行くこと」も「自分で殺せるかどうかが基準」も納得 できません。人が嫌がることをかわりにしてくれている人たちがいます。その人たちはプ ロとしてのプライドを持っていますが、たぶん関係者以外から見られることを歓迎しない でしょう。私は獣医師ですが、動物を安楽死させるときに、人前では行いません。関係者 以外に不快な思いをさせたくないからです。拙著「へそ曲がり獣医さんの動物福祉論」の 「安楽死」の章でこの問題を扱っています。 また、「食べる人」という章で宗教や国民性のちがい、あるいは文化の程度によって、あ る種の動物を食べたり食べなかったりするということを書いておきました。nyateteさん の掲示板では、畜肉そのものを食べることを拒否している人たちがいることを知りました。 いっぽうでは、畜肉を食べたくても食べれない多くの貧しい人々がいることも知ってほし いと思います。畜肉は豊かな国の人たちが食べている贅沢な食べ物なのです。なぜなら、 鶏肉、豚肉1kgを生産するのに、貧しい人たちにとって貴重な穀類を2倍も3倍も必要 とするからです。 それでは、豊かな国の人々が畜肉を食べるのを止めれば、貧しい国の飢えた人々が満腹で きるのでしょうか。どうも、経済はそのようには動かないような気がします。そして、あ の豚や牛は、生きる権利や苦痛を受けない権利を獲得して、いったいどこへ行けばよいの でしょうか。私たちは、もはや牛や豚の姿を見かけなくなるのではないでしょうか。この 問題は「放生」という章で扱っています。私の立場は、「動物の権利」ではなく「動物の 福祉」ですから、ご異論もあろうかと思いますが、たまには別の考えも聞いてください。

みけ - 00/08/12 23:13:17
ホームページアドレス:http://www.eva.hi-ho.ne.jp/mikeneko/

コメント:

わたしは、肉を食べたい人が屠殺場の見学に行くことはとても意義のあることだと思いますが、
学校で有無をいわさず動物を殺す授業をするのはどうかと思います。
まず1つ目の理由は、授業のためにわざわざ元気な動物を殺さなくてもいいじゃないですか。
畜産の現状に触れたければ牧場や屠殺場の見学に行けばすむことではないですか。
(なんか、カエルの解剖の授業を彷彿させます。あれって意味ある?)

もうひとつの理由は、
赤信号、みんなで渡れば怖くないの心理じゃないけど、
みんなで残酷な作業をすることによって妙な連帯感が生まれ、
どうしても殺したくない、食べたくないっていう子供に対して
「みんなやってるんだから、ひとりだけやらないのは卑怯だ」という子供特有の変な理屈で
イジメが発生したりするんじゃないかと心配です。

鳥山敏子さんとやらが奨めている学校は、動物を殺したくない、食べたくないという子供の権利は
認められているのでしょうか?
それとも、これがこの世の掟なのです、しかたがないのです、だから感謝して食べましょうね、
きっと動物たちもわたしたちに食べられて喜んでいるはずです、なんて教えているんでしょうか(^^;。


yasu - 00/08/12 19:15:09

コメント:

ショウさんへ。 わたしの考えていた宗教という言葉の概念に照らし合わ
せて、宗教的という指摘に納得できなかっただけなので、悪く思わないで
ください。前にも書きましたが、わたしは宗教を教義を唱えて、信者の獲
得や集金活動をする団体であると理解しています。その集められた資金は、
一部は慈善事業に用いられることもありますが、公共の福祉とか、社会の
ためではなく、基本的には、教団の利益と維持のために使われます。わた
しの解釈からすれば、nyateteさんが、HP上で、「動物の権利を護ると
いう正義」を掲げて、何らかの系統立てられた教義を主張して、反対者は
排除して、賛同者だけを集めるとともに、募金のお願いをしたりしたら、
それは確かに宗教的と指摘されても致し方ないでしょう。実際には、そん
なことは絶対にありませんので、納得できなかったのです。
「動物愛護」や「環境保護」への関心を高めるために、「倫理至上主義」、
「自然至上主義」、「調和至上主義」などに分類して、正論を主張するの
も大切でしょうが、研究者の関心を引くことはできても、一般の大衆受け
はしないと思います。「直情に訴えるもの」、「かわいそうのゴリ押し」
の御指摘はごもっともかもしれませんが、取り敢えずは、より多くの人々
に問題意識をもってもらうために、「食物にするためでも、家畜を殺すの
はかわいそうではないですか」と問いかけることに、わたしは反対しませ
ん。生命があったことさえ頓着されないで、肉などの食物が大量に残飯と
して捨てられているのだから・・・
しかし、nyateteさんが私の理想として「家畜は基本的になくす。特に工
業的畜産は廃止する。みんな、最終的にはベジタリアンになる。」(投稿
集その5、#117)としているのは、非現実的な夢の理想でしょう。個
人的な目標であるなら、最後の、ベジタリアンになるは達成可能でしょう
が、家畜をなくしたり、畜産を廃止させるのは困難であるばかりか、公言
するだけでも、リスクを伴う関連業界の反発を招きかねません。内に秘め
た目標にしているだけなら無難でしょうが、このことは常に留意していな
いと、ショウさんの懸念される「それ以上に反感を持たれる危険性」に通
じて、思わぬ事態になりかねません。

このHPは、動物の権利について関心のある方々が、自由に参加して、気
軽に意見を述べ合う場所であると考えていますし、貴重な機会を個人で提
供されているnyateteさんには、本当に感謝しています。そして、議論し
ていく過程で、お互いの考え方を深めたり、動物の権利を確立していく方
策を見いだすことができれば理想的ではないかと、わたしは思っています。
もちろん、人それぞれの考え方や経験は違いますし、同じ言葉であっても
解釈や連想されるイメージ(心象)も異なったりしますので、相互理解は困
難かもしれませんが、議論する意義はあるでしょう。異論をもつ、色んな
人の意見を聞くことができるだけでも、視野が広がります。でも、注意し
なければいけないのは、この問題に関する関心が一般的には高くないこと
です。そして、この種のHPを見たり、更には書き込みしたりするのは、
限られた人間かもしれません。より多くの人々の関心を喚起できなければ、
主流(トレンド)にはならないでしょう。畜産や動物実験などの隠蔽され
ている、残酷とも思われる真実を伝えるのは、問題提起をして、その必要
性に公平な判断をするためにも欠かせないと考えています。

人間は何をどのように食べるべきか。多少の好き嫌いはあっても、肉でも
魚でも食物として認められている物は、何でも食べられるのが一般的です。
わたし自身は菜食主義的な食生活をしていますが、肉食を否定したり、反
対に菜食を賛美する気持ちもありません。ただし、食物がどのように生産
されているかを理解した上で、かけがえのない動植物の生命の犠牲に感謝
して、食事をするべきだと考えています。肉を食べる人は家畜がどのよう
に育てられて、無念にも屠殺されて肉にされているかを知って、それでも
肉を食べるなら正当な肉食者と認定されるでしょう。魚を食べる人は魚が
どのように捕獲や養殖されて、無念にも俎上(そじょう)でさばかれてい
るかを知って、それでも魚を食べるなら正当な魚食者と認定されるでしょ
う。しかし、大抵の消費者は焼肉やバーベキューにされる肉がどのように
生産されたかを考えたりしないし、トロの刺身に舌鼓を打ってもマグロの
生涯を思いやることはありません。そして、肉や魚料理が溢れている飽食
社会で、大量の食べ残しや無駄食いが平然となされています。食物が尊い
動植物のかけがえのない生命の犠牲であることに、心から感謝していると
は、とても思えないのです。

自給自足の時代ならともかく、今では分業化が進んで、食料の場合でも生
産者と消費者が異なるのが普通です。普段、口にしている食物がどのよう
に作られているのか、消費者に知らされていないことが問題なのです。そ
のために、食物として犠牲にされている動植物に、実感として感謝するこ
とができずに、大量の食べ残しや無駄食いが平然となされる飽食社会とな
り、自分の生命や他人の生命まで尊重できなくなり、更には、少年犯罪の
凶悪化や自殺の増加の一因となっていると言えなくもないかもしれません。
一人の人間の生命でも数知れない動植物の生命が食物として犠牲にされて
支えられていることを自覚するのが肝心です。ある小学校では稲を栽培し
て、米に感謝する授業をしたり、ある高校では生命の尊重について考える
ために、現場取材の写真なども資料にして牛の屠殺についての理解を深め
たりしているようです。鳥山敏子さんが小学校で教員をしていた時に、ニ
ワトリやブタを殺して食べる授業を先駆的に試みたことは、その著作「い
のちに触れる」(太郎次郎社、1985年)でも紹介されています。わた
しは教育関係者ではないので、断片的な情報しか得られず、詳細な現状は
分かりませんが、食物と人間について考える授業が実施されることを切望
します。

びぶりあ - 00/08/12 13:18:42

コメント:

きょんさん、こんにちは。

>「自分で殺せるかどうかが基準」ですが、皆さんと大きく違う基準だとは思いませんけど。
>表現方法は異なっても寧ろ主流と言えるかもしれないし大切なスタンスだと思いますよ。
>逆の「自分でxxするのは躊躇するけどおいしいとこ取りだけする」っていうのは、一般論としても
>適用可能な人間の欠点(エゴ)ですから、それをしないことってを大切だと思いません?

私の基準って主流なのですか。
ここのFAQを拝見させていただきましたが、私の視点だと結構考え方のギャップが
あるんです。その原因としては、nyateteさんが書いた「動物の福祉」の説明のほうが
「動物の権利」よりも私の考え方に近いからだと思うのです。

>ちょっとだけ気になるのは「自分で殺せる人」は確かに非難しにくいけれども(価値観や基本知識
>が違いすぎて会話の成立に手間取るから)、「非難できない」とまで諦めなくてもいいように捉えて
>います。つまり、動物に関する現状・問題をあるレベルで理解していれば、確かに上記のような
>「おいしいとこ取り」といった卑怯さもないので非難はできないかもしれませんが、現実は寧ろ
>そこまで理解していないことが多いように思いませんか。

確かに「おいしいとこ取り」の行動について、何も考えていない人は多いでしょうね。
残念です。しかしだからといって、考えていない人を非難するのも気が引けます。
非難するということは「考えるべきだ」と、価値観を押し付けることになるのでは
ないでしょうか。この場合、価値観の善悪は全く別問題です。

考えない事はエゴではないかと疑問を投げかける行為こそが、自分では気づかずに
いつの間にか自分のエゴを通すことになっていたりはしないでしょうか。

そんな事で考えてもらうより、私はそういう方々には自発的に食事の最中とかに疑問を
持ってくれるほうが、何万倍も価値のあることだと思います。
それは私がそうでしたからこう感じるのです。他の方はどう感じるかはよく解りません。

では何をすべきか、という問題になると困ってしまいますが(^^;
疑問を持った人がこのhpに来た時に、それに対して答えられるようにしておく事。
その点で、nyateteさんがこのhpで「動物の権利」を前面に出されているのは
非常に素晴らしいことだと思います。

あと、私は誰の心の中にも動物愛護の想いはあるでしょ?大きい小さいと個人差はあるものの。
だからその人の動物愛護の精神(サイコパスの方はどうなっているか知りませんが)
を最大限に見つけてあげて、それを最大限に誉める事とかどうでしょう。

ではまた。
あ、1,2週間程来れませんのであしからず。

nyatete - 00/08/12 09:03:39

コメント:

うーん、イエロー出したとか言われるとなんかずいぶん、偉そうな事したかな
とも思いますが、売り言葉に買い言葉でただのけんかになってしまって、議論
に中身がなくなるのは(まあひたらく言や、この場が「荒れて」しまうのは)
嫌だなと思ってるんです。忙しさにかまけて、あまり書き込みができませんが
今のところ荒れることもなく有意義な意見が続いていて嬉しいです。

動物の権利を支持して下さる方が多くて、世間の実情とはまるで逆の様相を
呈しており、その分、「反動物の権利」の立場の方は排除されてるとか、
閉鎖的だとか感じてしまうのかもしれません。まあそれはそれで仕方ないじゃ
ないかと思います。世の中に少しはこういう場があってもいいんではないかと。
もちろん、別に誰かを排除するつもりはないのですが。

****************
「動物の権利」を前面に出している意味についてですが・・

FAQ#2に「動物の権利」(Animal Rights)と「動物の福祉」(Animal Welfare)
の違いという話がでてきます。簡単に言うと動物の福祉の主張は、人間が
動物を利用したり搾取したり(殺して食べたり)する事自体は構わないが、
あまりひどい扱いはすべきではというもので、動物の権利の主張は、人間
が動物を利用したり搾取したりする事自体を否定するものです。

この両者の違いは大きなものです。日本のいわゆる「動物愛護」というものは、
おおむね「動物の福祉」に当たるものだと思います。「動物の権利」という概
念はまだほとんど知られていません。その意味でこのHPは動物の権利という
ものを前面に出したいと思っています。ささやかながらもまずこの思想の情報
源となりたいという気持ちもあります。

もちろん人それぞれの考え方があり、その考え方を人に伝えるのもそれぞれの
アプローチの方法があっていい・・というよりそれが当たり前だと思います。
その意味では単に「私はこうしたいからこうしている」だけの話と言えるかも
しれません。

******************
みけさんの言われる点はとても重要だと思います。
もし、みんなが家畜や実験動物のおかれている実態を本当に見たなら、今の
様に平然と肉を食べ続けられるのか、動物実験は仕方がないと言えるのか
疑問です。そんな実態を見ていないのも「植物だって生きているだろう」
とかいった方向に話が行く原因じゃないんでしょうか。でもこの「実態」は
細心の注意を払って隠されている(特にテレビから)んですよね:と私は思っ
ています。


きょん - 00/08/11 13:44:42

コメント:

「びぶりあ」さん。

「自分で殺せるかどうかが基準」ですが、皆さんと大きく違う基準だとは思いませんけど。
表現方法は異なっても寧ろ主流と言えるかもしれないし大切なスタンスだと思いますよ。
逆の「自分でxxするのは躊躇するけどおいしいとこ取りだけする」っていうのは、一般論としても
適用可能な人間の欠点(エゴ)ですから、それをしないことってを大切だと思いません?

ちょっとだけ気になるのは「自分で殺せる人」は確かに非難しにくいけれども(価値観や基本知識
が違いすぎて会話の成立に手間取るから)、「非難できない」とまで諦めなくてもいいように捉えて
います。つまり、動物に関する現状・問題をあるレベルで理解していれば、確かに上記のような
「おいしいとこ取り」といった卑怯さもないので非難はできないかもしれませんが、現実は寧ろ
そこまで理解していないことが多いように思いませんか。

この掲示板で例示してみれば、「anansi」さんの意見ってちょくちょく見かけるし、且つ明快な内容
なんだけど、やはりその根拠(裏付け)が知識不足(この場合Animal系における議論の経験も少
ないってことも含んで)ってな感はぬぐえなくないですか。それゆえGinさんから相当に辛辣なつっ
こみをされていますよね。(余談ですが、nyatteさんはイエロー出しましたが、反動物愛護を強く匂わ
す方は言いたい放題言ってどこかに消えるパターンが多く「それは私の知識・(認識)不足でした。
考え直されました」ってな潔さにめったにお目にかからないんで、たまにはGinさんの発言みた
いのもストレス発散にいいかなって思ったりもします(笑)*)

というように、知識不足からくる「自分で殺せる→食肉の正当化」ってな方に対しては、やはりまだ
説得できる余地はあるように思っています。

*Nyatte殿。勿論、Anyaさんのような懇切丁寧な低姿勢の応対がこういった公の場では基本であって、決して乱暴な表現を推奨しているわけではありませんのでご了承をば。


びぶりあ - 00/08/10 12:17:50
電子メールアドレス:biblia@moon.co.jp

コメント:

こんにちは。
今日はじめて、このHPを知りました。

みけさんの意見にちょっと賛成です。

>どうしても肉が食べたい人は、あれこれ理屈だけ言って肝心の屠殺・解体作業は
>人にやってもらうんじゃなくて、自分で殺して解体して食べてほしいなあって
>思います。それができるっていう人を非難することはできないような気がして
>来ました。ジェフリー・ダーマーも責められませんね(^^;。

私は鳥、豚、牛等は食べません。っていうか食べれません。
私の食べれる、食べれないの基準は「自らの手で殺せるかどうか」なのです。
ですから魚類は食べますが植物の一部は食べることができません。

ですからみけさんのおっしゃるように、それができる人を非難することは
出来ないように思っています。
だから私はこの基準により、動物が動物を食べることを非難していません。

皆さんとは異なった価値基準ですし、hpにそぐわない思想かもしれません。
気分を害されたら申し訳ありませんでした。
ただ、こういう人間がいるということを知ってほしくて書きました。

みけ - 00/08/09 00:06:45
ホームページアドレス:http://www.eva.hi-ho.ne.jp/mikeneko/

コメント:

>nyateteさん
わたしも、わかってくれる人のほうが、本当は大部分なんだと思ってるんです。
ただ、畜産の現状に対する知識不足や、それを補うイメージ力が足りないために、
肉食べたい > 動物かわいそう
になっちゃってるんだと思います。

肉食が続けられるか続けられないのかは、イメージ力の問題って気もしてます。
本やHPで、いくら工業的畜産の現状を説明しても、
実際に殺されていく動物たちの叫び声は聞けません。
動物たちの苦痛と恐怖と血の匂いを嗅ぐことはできません。
もちろんスプラッタな現場も見ることはできません。
だから現実味がないって言うか、それだけで肉食に対する生理的な拒否反応を
起こしたりすることは少なく、様々な理屈の入り込んでくる余地があるんだと
思います。

だけど実際にその光景を目の当たりにすれば、理屈抜きで、しばらくの間は
肉を食べる気はなくなる人が圧倒的大部分だと思います。
食肉関係で働いてる人にはベジタリアンが多いって話も聞いたことがあります。
(アメリカの話。日本では知らない)

やっぱり普段から動物に接していて、動物が好きな人は、動物の苦痛や恐怖に
対するイメージを、そうでない人より容易に持つことができます。
だから実際に屠殺や解体の現場を見なくても、肉食に抵抗を感じてしまう。
その辺の違いだけかもしれない。

どうしても肉が食べたい人は、あれこれ理屈だけ言って肝心の屠殺・解体作業は
人にやってもらうんじゃなくて、自分で殺して解体して食べてほしいなあって
思います。それができるっていう人を非難することはできないような気がして
来ました。ジェフリー・ダーマーも責められませんね(^^;。

とりあえず工業的畜産だけはなくなってほしいなあ。


むう - 00/08/09 00:00:59
ホームページアドレス:http://www.din.or.jp/~k_n/pis.html

コメント:
ムッチーさんに1票。 そーそー、そーなんですよね。動物実験、肉食、捨て動物の里親探し、法の改正と か、 それぞれの人が得に興味を持ったり、嫌悪感を抱くものも違うだろうし、いろんな アプローチの仕方がありますよねー。 日本人は得に何も知らないどっちつかずの人が多いから知ることによって1匹でも 多くの命が救われることになるでしょうねー。、と思いたいのですが。

ムッチー - 00/08/08 20:59:25

コメント:
でもさー。そんな完璧なHP作るのって難しいよ。こういう問題のページ作るのだけでも、すごい努力だよー。 でも、愛護反対的というか、無関心な人を、どう惹きつけるかは、ひとりの力じゃ無理だね。色んな人が、わたしもやるよと、それぞれの才能で振り絞って、ページ作り出したら、いろんなタイプの人が読むし、協力するようになるかもね。 まだ始まったばかり。わたしも作るつもりだけど、わたしは食事中心で作りたいんだな。

ショウ - 00/08/08 14:18:43

コメント:
久しぶりにのぞいてみたら、僕の発言が少しくすぶっているようですので発言を残させていただきます。
僕が宗教的だと感じたのは、(動物愛護に関して)このサイトの主張している内容が「ゴリ押し」に感じるからです。そういうものならばすべて宗教的なのかと言えば、そうではありませんが、グローバルな視点からの環境保護には耳を貸さない点、持論の矛盾をうやむやにしてしまう点、「動物の権利を護る」という正義を持つことで他人の価値判断の基準まで操作しようとしている点などから、無理があっても強硬に突破しようとする信仰的なものを感じてしまいました。「盲信的ではない」「意見を強要しようとしているわけではない」と言われても詭弁のように感じられます。言葉では「そういうものはない」と言っても、暗黙のウチに内諾されるような排他的な対応があるように思えます(賛同者が多いので仕方のないことでしょうけど)し、逆にそう解釈されないための工夫があるようにも思えません。
動物愛護への理解を得るために必要なのは、「直情に訴えるもの」や「ゴリ押し」なのでしょうか?nyateteさんのおっしゃっておられるとおり、「かわいそう」のゴリ押しで理解してくれる人はいると思います。しかし、それ以上に反感を持たれる危険性はありませんか?僕が、nyateteさんの問いに答えなかったのは、

> それに私は「動物愛護に反対」とも「動物愛護なんて言ってるヤツは偽善者だ」
> とも言ったおぼえはありませんが。

という発言があり、偏質的な解釈をされているのだなぁと思えましたので、議論の意味がないだろうと判断したからです。僕は「動物愛護」や「環境保護」がどれほど必要なものであるのかを、多くの人達に理解をしてもらうために必要なコトは、少なくとも「ゴリ押し」に感じるようなものや「直情に訴えるもの」ではないと思っています。宗教が多くの戦争を生んだのは、「ゴリ押し」や「直情に訴えるもの」を多く含んだからではないでしょうか。正しいコトを主張しているという慢心が、敵ができてしまうコトに頓着させなくなっているのではありませんか?そんな、敵をつくってしまうような呼びかけになっていても、その相手を「何をいってもしょうがない人」とののしって終わりのように感じてしまいますけど...。

きょん - 00/08/07 16:37:23

コメント:

呼びかけて共感を覚える人。逆に強い反感を覚える人。
どうしても「動物愛護」関係は後者の存在が大きくなり頭を悩ませますね。
彼らから見れば「お人形さんの権利」を主張しているようにみえるでしょうし、
その関連で生計を立てている人は感情的な抵抗を示して当たり前でしょうから。

そういう背景もあり、私も後者の人には、「「動物の権利」?そんなの真剣に議論したって
仕方ないよ。単に裁判用のツールだよ」って言って済ましちゃうこともってなことで。
(彼らの逃げ口実をふさぐという目的もあるのですが)。

例として「自然の権利」がしかりです。これも読む人が読めば感銘を受ける概念だと思い
ますし、他の人にも伝えられればとも思うのですが、容易なことではありません。基本的
な知識不足が原因だと思うのですが、概念のみに拘ったがゆえの全体像の欠落を伴う反感
ってのが不可避です。ってな、読みにくい表現はやめまして(笑)。

要は、「山がモノ言うんかいな」「自然に権利認めとったら人間生きてかれへんで」といっ
た誠にあっさりとした短絡的なお返事が多々あるでしょう。
で、現実問題どうかというと、開発問題での裁判においては原告適格なんてややこしい問
題もあるもんだけど、まぁ、ざっくり「開発による環境インパクト*と人間社会におけるそ
の開発の有用性」が争点となるわけで、そこにおいて「自然には権利がある」という概念
が主流にはなりえないわけです。「んじゃ、そんな概念なんて必要ないやんか」というこ
とになりかねませんが、一方で、何もしなければ「乱開発」という言葉があるように、現
代社会では基本的に自然は破壊され放題で何も自然を守るすべがありませんから、裁判を
により異議を唱えるにあたり「権利」を取りあえず掲げる必要がでてくると。
*経済インパクト(税金の無駄遣いかどうか)といった角度もあるでしょう。

このように実社会ではまず「動物の権利」の概念が云々であるからして・・なんて話に
なるわけでもなく、巷にあふれる「動物虐待」の人間社会に与える悪影響というあくまで
人間主体の展開が主流になるわけです。であれば、難癖付けるだけの土壌しかない人には
何も難癖付けやすいこと(動物の権利)を矢面にする必要はないのではないかということ
です。

「馬の耳に念仏」という表現はきついですが、「幼児にはヒヨコクラブから」ってなところ
でしょうか。(こっちのほうがよっぽどきついか)



apple - 00/08/07 12:49:43

コメント:
yasuさんが宗教について述べられており、大変興味深く拝見いたしました。確かに、動物愛護や菜食主義は宗教とむすびつけて言われることが多く、私も何度も経験があります。それに反感を覚えてしまうのは、日本での宗教のイメージが、余りにネガティブな物言いをされているからでしょう。(もちろん宗教を名乗る犯罪が相次いだのも、さらにそのことを助長したとは思います。)宗教は確かに、戦争の原因ともなるし、とても大きなある意味不気味ともいえる大きな影響力を持っています。でも、諸外国では宗教が、とても神聖な、しかし皆に欠かすことのできないものと為っているのに対し、日本では色眼鏡的な捉え方をされたものとなっています。それは、日本ではなじみが薄く、少数派の人々のためのものと思われているからではないでしょうか。そういう私は俗に言う「無宗教」ですが、これって宗教的と言われている考え方だなあ、と思うこともあるし皆さんもあると思います。そもそも、それって私達が宗教についての理解がなく、私達を宗教的という方々とさほど変わらない知識しかなくて、結局は世間の宗教イメージに引っ張られているからかもしれません。宗教とは・・・?と言われると、もちろん私も説明することはできません。ただ、私の中では精神的道しるべであり、ポリシーであり、大自然にのっとった法則めいたもの、というイメージです。(ほんとの宗教家の方からしたら、浅はかであるとお叱りを受けるかもしれません。)宗教とは、一思想であるけれども、かといって単なる個人の考えでもなく、人間の思想を導く意味では、絶対的責任のあるものです。大げさに言えば、魂を導くもの。だから、紙一重で戦争にもなり、殺人を妄信的に行え、あるいは、友のために命を捧げ(by塩狩峠)不殺生の愛に人々は、人生の道しるべをそこに見てしまうのではないでしょうか?・・なぜか宗教の話になってしまいました。個人的意見ばかりで、時に偏っていると思われるかもしれませんが・・宗教という道しるべを見つけた時に、それに寄りかかるのではなく、自分の思想と照らし合わせて自分を向上させることに焦点を定め、決して考えもせず鵜呑みにしたり、妄信的に為ったりしない・・・あくまで「自分の思想に責任を持つ」・・・数々の事件は、あまりに自分の思想を、他人に預け過ぎた結果とも言えるかもしれない・・なんて一人で自分勝手に考えています。それは、もちろん私たちも心掛ける点でもありますよね。・・そういった意味では、今の日本のファッションってすごく妄信的ですよね?私も一応今の若者と言われる位置にありながら、リアルタイムで考える機会が多いです。(かといって、私の思想とファッションがマッチしているかといえば・・やはりおまえも一緒じゃねーかと言われそうですが・・まあ動物が第一に変わりはなく、そのうえで自分を自分らしく、自己表現はしたいなと思っています・・服に着られない自分を作りながら!)長々と、しかもまとまりなくて申し訳ありませんが、私の日ごろ思っているけどなかなか言えない事、言えたので少し自己満足です。最後まで勝手でしたが、これにて・・・

nyatete - 00/08/07 08:08:26

コメント:

>みけ様
 世の中には確かに(そして大量に)「何をいってもしょうがない人」がいると
思います。でも、もちろん「言えばなんとかなる」かもしれない人も、いるんじゃ
ないでしょうか。そういう人にむかって呼びかけたいと思っています。もちろん、
みけさんの様に、「今さら私からは何を言う必要もない人」もおられますし、そう
いう方達と知りあえるのも大きな喜びではあります。


>yasu様
 そうなんです。preのタグを使う時は、ちゃんと改行キーで改行しないと果てしな
く右に行っちゃうのが問題なんですね。私は無意識で入れる様になっちゃいました
が。修正は簡単ですので、お気になさらないで下さい。

 書かれていた事については、本当にありがたく思いました。私がこのHPをやっ
ている気持ちはほぼ100%あなたのおっしゃっているとおりです。ちょっと、
ほめられすぎの様な気もしますが。


みけ - 00/08/07 02:55:42
ホームページアドレス:http://www.eva.hi-ho.ne.jp/mikeneko/

コメント:
人間に食べられるために殺される動物を可哀相だとは思わない人に、
どれだけ「可哀相でしょ、可哀相でしょ?」と説得してみても、可哀相だと思ってくれるようにはならないと思います。
返って、うっとうしくなるんじゃないでしょうか。
正義を振りかざし、こう思わなくてはいけない、と精神面のことを強制されているような気がして、
それが“宗教的”だと言われる原因なんじゃないかと。
なにを見てどう思うか、は人に強制されるべきものではないから。
(反・動物愛護派の気持ちになって考えてみました)

とは言っても、わたし自身はこのHPが宗教的だなんてちっとも思いませんが。動物の権利、大いに賛成。
nyateteさんのおっしゃるとおり、奴隷の解放、女性の解放と同じように、早く動物が解放される日が来るといいな。
いつかはきっとそうなるはずだとは確信してますが。
自分が生きてる間には・・・無理かなあ?

yasu - 00/08/06 18:49:50

コメント:
 nyateteさんへ。  <PRE>を試してみたのですが文章が画面の右方向へ出ていってしまって、改行なしよりも、さらに読みづらくなってしまいました。修正可能であれば、忙しい最中に、面倒をおかけしますが宜しくお願いします。パソコン操作に不慣れなものですみません。修正できなければ、この書き込みとともに削除してください。  

yasu - 00/08/06 18:11:31

コメント:

 しばらく前に、nyatete'sHPを「動物愛護について宗教的な教えを説
いている」との書き込みがあり、nyateteさんが納得できなくて、詳しい
説明を求めたにもかかわらず、回答されなっかったことがありました。
 宗教の辞書的意味は「神仏などの超自然的・超人間的なものを信仰・
畏怖・尊崇することによって、心のやすらぎを得ようとすること。また、
その信仰の体系的なまとまり」となっています。私は実際的な意味で、宗
教とは、さい銭も含めて、布施や献金を要求したり、信者以外には理解し
にくい儀式典礼をしたり、教義を声高に唱えて仲間を増やすべく、積極的
に布教活動をしたりする団体や組織ではないかと解釈しています。信仰の
自由は認められていますし、信じる者が本当に救われるのであれば異存は
ないのですが、多額の金品を要求したりする偽善的な宗教にはくれぐれも
注意しましょう。
 nyateteさんは、投稿集その1−5などで自分なりの意見を述べられる
一方で、FAQでは保護団体の立場からの見解を一例として紹介していま
す。動物愛護に関する一般的な疑問に、より愛護的な立場にある人はどの
ように考えているかを基礎知識として得てもらうために、Q&A方式が簡
便でありながら、国内に優れた資料がないので、単なる一つの手段として
FAQの翻訳をされて公開されているのでしょう。おそらく、私もそうで
すが、FAQの回答に盲信的に納得しているわけではないのです。また、
特定の団体の意見に偏重されないように、動物の権利関係のリンクも多く
紹介しています。知識や情報が乏しければ偏見的になり、誤った判断や結
論をしてしまう可能性が高くなります。このような考え方もありますが、
あなたならどう思いますかと皆で考えてみましょうと、分け隔てなく公平
に千差万別、賛否両論の意見をネット上で広く求めて、ゲストブックへの
気軽な書き込みを期待されているのでしょう。(違うかな?)
 勿論ですが、動物虐待を肯定するのではなく、愛護的な立場にはありま
すが、礼儀をわきまえた白熱した議論は求めても、意見を強要しようとし
ているわけではないし、このHPを宗教的だと評価された根拠が、私にも
全く分かりません。宗教的要素を微塵も感じないのは、私が鈍いのでしょ
うか。それとも、宗教の解釈自体が異なっているのでしょうか。「生命の
尊重」や「不殺生」を教義にする宗教はありますが、生物を殺すのは忍び
ないという、素朴で純粋な愛護心を宗教的だと考えているのなら、全くの
見当違いでしょう。・・・今更、ぶり返す問題でもないかと思いましたが、
賢明な某氏の結論としてはアンビリーバブルで、ちょっと気になっていた
ので・・・
 <追記>
 日本では、肉や魚を食べないだけで、精進料理から宗教を連想されるか、
同じ釜の飯を食う仲になれない、つまり、同一の食物を食べられない奇人
変人扱いされてしまう。確かに、肉や魚料理が溢れている飽食社会で、ベ
ジタリアンであるのは不便や不都合が多いかもしれない。旅館やホテルで
は、通常は肉や魚料理が出される。外食で、寿司屋や焼肉店だけでなく、
ファーストフード店でさえ、ほとんど利用できない。会食が多い職業は敬
遠されてしまう。
 動物愛護的意識だけでなく、健康面やエコロジーからも、肉食の弊害が
指摘されるようになってきたのに、遅々として、菜食主義者への偏見がな
くならないのは悲しくて残念です。「出家でもしたら。」とか、「山にこ
もって、仙人にでもなったら。」とは、冗談でも、決して言はないでくだ
さい。


nyatete - 00/08/06 07:43:06

コメント:

最近、仕事がしゃれにならず忙しくて、今日も日曜というのにこれから、お持ち帰りの
お仕事です。このHPの翻訳も最近まるでやる時間がありません。私にとっては、仕事
なんかより、このHPの方がはるかに大事なんですが(と書いてるのを職場の人にみら
れるとまずいかもしれないけど)なかなか、そうも言ってられないのが浮世に生きる身
のつらさではあります。


>ぶるー様
 友達はどうして「ドナドナだ〜♪」とはしゃげるんでしょうね。
私の今の職場のとなりには、ペットショップがあります。その店はペットショップとし
ては、ましな方みたいですが(犬は時々散歩に連れていっている様だ)動物が「商品」
として並べられているのを見るのは悲しいです。


>ムッチー様
 最近、学校の授業で解剖をする事を批判したFAQ(#84)を翻訳しましたが、給食とい
うのもやっかいな問題ですね。特に子供を持つベジタリアンの人にとって。日本というの
は他人と違う考え方を貫くのが極めて難しい国です。他人を違うことをするとすぐいじめ
にあったりします。想像するだけで暗くなってしまいます。


>apple様
 はじめまして。生まれて初めてのメール(というより書き込み?)を頂けるなんて光栄
です。このHPは作って一年ちょっとですが、10か月も前から見ていて下さったんです
ね。でも私はそこまでほめて頂けるほどの人間ではありませんので(そのことは自分が
一番よく知っている)恐縮してしまいます。

 私も肉を食べることには小さいころから疑問に感じていますた。でも大きくなるにつ
け、世間に流され30近くになるまで(今、37です)普通に肉を食べていました。
ピーター・シンガーさんの『動物の解放』を手にした時、読み終わる前にもう肉は食べる
まいときめました。世の中にはこの問題をこれほどきっちりと考えている人がいると言う
ことに感動しました。

 奴隷が当たり前だった時代のアメリカ南部に生まれた白人でも、きっと奴隷制度に
疑問を持っていた人はたくさんいただろうと思います。あるいは子供が親に聞いたかも
しれません。あれはひどい事じゃないなか? あれは間違ったことじゃないのか?・・と。
それに対して親は、なんと答えたのでしょう。「かわいそうだけど私たちのためには仕
方がない」とか「なんと言っても彼らは黒人だから」とか答えたのでしょうか。あるい
はただ、「変なことを言う子供だ」で片づけられたのでしょうか。いずれにせよその子
供が納得できる答えではなかったでしょう。
 将来の人が「動物にあんなにひどい事を平然といていたなんて信じられない」と言う
様になれば良いのですが。動物の権利の問題は間違いなく人権(人間の権利)や、女性
差別、人種差別などの問題と同一の線上にあると思います。

 動物の権利の卒論がんばって下さい。この前は自由研究のテーマが動物の権利だとい
う小学生の方から投稿を頂きました。そういう人が増えてくると将来が楽しみです。
私は学生時代を結構、無為にすごしてしまいましたが。


ぶるー - 00/08/05 02:56:02

コメント:
↓の↓の、appleさんの意見を読んで、とてもうれしく思いました。 小さい頃から今までのお話が、とても私と似ています。 牛がぎゅうぎゅうづめにトラックに乗せられて・・・という話。 私も小さい頃まったく同じ経験をしました。今でもそれがトラウマ(といったら大げさかもだけど)高速道路で牛やブタがぎゅうぎゅうづめにされたトラックを見ると、心臓がドキドキして運転する手が震えてしまいます。若葉マークなので、なおさら危険です。 高速道路でないとめったに遭遇しませんが、ちょっとでもそれっぽいトラックを目にするだけで緊張したりしています。 一緒に乗っている友達が、「ドナドナだ〜♪」とはしゃいでいたのも悲しかったです。 ドナドナの歌もそうとう私には悲しかったけど、やっぱりただ牛がトラックに積まれているのを見て、人間の食用のために殺され、解体されていくシーンまではなかなか想像でき ないものなのでしょうね。 私は難しいことは何も分からないけど、そういうシーンを想像することで、詳しく畜産動物の現状を知るにつれて、全く肉を食べられなくなりました。 偽善だという人も確かにいます。だけど、個人が個人の理由で肉を食べないことに、他人に文句は言われたくないなーと最近思います。だけど、ここではいろいろな意見が聞けるので、とても勉強になります。ちょっとうれしかったので、ついカキコミしちゃいました。

ムッチー - 00/08/04 22:01:03

コメント:
わたしは肉を食べません。魚も出された場合とか以外はあえて食べません。卵も牛乳も。 そのおかげで健康になりました。血も良くなりました。(献血) で、義務教育に怒りを。給食や学問を通じて間違った考えを植え付けられるからです。 わたしは子供を産んでもいかす学校に悩むし産まなくて案心。 人間は知性があるのだから、殺生をさけれる場合は避けてと通るべきです。 植物とて、むやみには殺してはいけません。でも、生きる分だけ感謝していただきましょう。 動物は赤い血を持ってるし、人間とかなり近い生き物です。痛みがどんなものかも、想像できる仲間たちです。感情も人間と似てます。同じようなものです。 だから、人間同士殺しあうに近い行為です。 植物よりは感情に訴える本能があります。 植物を食べるなら、動物も食べようという考えは、資質的に人間らしくないものです。 畜産業がなくなればどうなる。というのは意味のないことです。 植物で生きる文化の追求を、叡智を傾けるなら、すごいものができあがります。 向かう方向を間違ってます。 それは人間ならできる世界です。 こんな考えを持ってまーす。

apple - 00/08/04 02:42:27

コメント:
はじめまして。生まれて初めてのメールです。(すみません機械?が苦手で。でも学校で友達に教えてもらってインターネットできるようになり、このhpに出会えて10か月、やっと家で見れるようになりました。繋いだのは勿論、このような素晴らしいhpを見たいがためです。嬉しいです。)かなり打つのに時間掛かる・・(なのに内容はお粗末ですいません・・・)私はベジタリアンになってもうすぐ2年です。忘れもしない小学校4年生の時、高速道路が渋滞の時にふと前を見ると、牛がトラックにぎゅうぎゅう詰めで4頭乗っていました。不思議に思い母に「どうして?」と聞くと、「appleチャン達に食べて貰うために行くんだよ」と。その日はあんなに目の前にいた彼らが殺されてしまったと思うと、涙が止まりませんでした。そして4年位は肉は口にしませんでした。しかしなぜか子供ながらにも周りの反応を気にしていたのか、友達や友達の親に聞かれるたび「なんか気持ち悪いから」といい、周囲に勧められたり批判を受けるたび、牛肉を口にするようになり、高校にあがってからは全くそんなことも忘れ、マクドでパクついていました。それがある動物愛護団体から動物の苦境を知り、今までの自分の何かが繋がった気がしました。差別問題に怒りを覚え、女性であったことで、時に感じた納得いかなかった出来事。もちろん今、女性であることで感じることは21である日常茶飯事です(ここでは主に性差における不快な部分であり、もちろん嬉しいことやもろもろもいっぱいありますよ)。すいません・・なんか自分のことばかりで申し訳ないのですが・・・とにかく色んな意見も聞け、とても有意義な場です。(ボキャブラリーないな・・情けない)人の意見を何とか自分の持てる最大限の想像力を持って取込もううとする・・・一見簡単そうでできない大切なこと、すごく無意識にも心掛けてられているのが感じとられます。まあ、そういう私は、nyateteさんの意見に恐れ多くも共感させて頂いています。皆さんとても博識でらっしゃってすばらしい。何が言いたいのかわかりませんが・・自分の意見をもちつつ、色んな人の意見を聞ける素晴らしい場です、ここは。へそまがり獣医さんのhpもとても勉強になります。本は本屋では注文できないんですよね?天国へ旅立った愛猫Qや動物たち、そして私たちの幸せのために考えることいっぱいあります。宜しくお願いします!(卒論進まないー!!もちろんテーマは動物の権利関係です。)

nyatete - 00/08/03 08:12:47

コメント:

>anansi様
 すみません。これはgeocitiesが提供しているゲストブックなんですが、改行は
無視されてしまうみたいなんです。こちらで(多分、java scriptとかを使って)
改良すれば、なんとかなるのかもしれませんが、技術がないもんでこうなってし
まっています。すみません。とりあえず、投稿された分は直させていただ
きました。

ただ、HTMLのタグというものは使えるので、全体を<PRE>と</PRE>で・・

<PRE>
本文xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
xxxxxxxxxxx

xxxxxxxxxxxxxxxxxxx
</PRE>

・・こんなかんじで囲むと入力したとおりに、入ります。
<PRE>と</PRE>は本当は半角文字です。半角の<,> の中にPRE, /PRE
です(本当に半角で書くと、ここに出ないので全角で書きました)
こんなことを、投稿する人にお願いするのは、本当はおかしいのですが。。

内容についてコメントできなくてすみません。ちょっと今、時間がないもので。
ただこれは、Ginさんも含めてですが、議論は良いのですがなるべくけんか腰に
ならないようにお願いできませんでしょうか。

【後日付記】
教えて頂いて設定を変えたので今は改行がきく様になっています。
逆にこうした、<PRE></PRE>などのHTMLのタグ(と呼ばれるもの)
は今は使えません。


>yasu様
 はげましのお言葉をありがとうございます。あなたの感じられていることの
多くは、私が感じていることと共通する様に思いました。


Gin - 00/08/03 03:39:59

コメント:
anansiさんって、人間は肉を食べなくても生きていける、ってこと、知らないの?  『動物も 植物も、多細胞生物も単細胞生物も、ウイルスまで含めて普遍的な平等をうたわなければ、ご都合主義なだけだ。 どこかに 「霊長類と微生物の間の線引き」ということを、おっしゃっていたが、引いてみろよ、である。 』っていうのがanansiさんの意見なんだよね?じゃあ、anansiさんは、なんで人間を食べないの?ヒトという生き物は雑食で、霊長類と微生物の間に線引きなんかできないっていうなら(anansiさんは、そう言ってるんだよね?)人間にも動物や植物と同様の尊敬を払って人肉も食べるべきなんじゃないの?人間だけ食べないなんて、種差別でご都合主義ですっげぇ偽善的じゃん。それとも、太った人間を見ると、「おいしそう!自分の手で解体して食べたい!」って思っちゃって、心の中で「私って健康的でいい」とか思ったりするのかなあ。あ、それとさ、ストロマトライトは単なる化石で、ストロマトライトが酸素を作ったわけじゃないんだよね。今のところろ、最初に酸素を作ったとされてるのはprokaryotes(原核生物)で、それが化石になったものをストロマトライトと呼んでるわけなのよ。事実関係、ハッキリさせとこうね。anansiさんは、生態系を守りたいんだよね。じゃ、やっぱ今の畜産の方法 はやめないとヤバいと思わない?anansiさん、今の畜産がどれだけ森林や耕作地を破壊してるか知ってる?知らなかったら、これからでも遅くはないから勉強してね。それとさ、『西洋的人間至上主義』とか、 『アメリカを侵略した西洋人が「インディオは、猿か人間か?」という議論をしたのと同じだ。』とか、anansi さんって、なんでそんなに西洋にコンプレックス持ってんの?ひょっとして30とか40才以上の古い世代の人なのかなあ。 日本人だって731部隊のやつらは「中国人は人にあらず」って言ってたじゃん。悪いことしたのはみんな西洋人、っていう考え方、おじさん/おばさんっぽくてカワイイって見方もできるけどね。

anansi - 00/08/03 01:03:36

コメント:
下の投稿について、ごめんなさい!!改行が入ってない…。 この掲示板は、どうやって改行するんですか??

anansi - 00/08/03 01:00:58

コメント:

●ZOOさんの意見に、賛成。
 
ストロマトライトが酸素を作って、嫌気菌生態系が死滅したのが自然なら、
人間が二酸化炭素を作って、現生態系が死滅するのも自然。
人間がいなくても、いつかは、現生態系は変容して無くなってしまうだろう。
しかし、私は現生態系の一員であり、それを美しいと思うので、生態系を守り
たいと思う。


●このサイトの趣旨について。

私は、肉を食べる。
全ての生物は植物も含めて平等だと思うから、食べる。
ヒトという生き物は、雑食だから。
ちなみに、自分でと殺しなくてはならないとしても、食べるよ。インドネ
シアで、鶏、アヒル、豚は、殺して解体されていくのを見てから食べた。
(やらせてはもらえなかった、残念なことに。)
生きてる動物を見て、おいしそうと思えるのは健康的だと思う。

動物と植物の権利は、違うのか、ということで議論があったようだが、私
は同じだと思う。
なぜ、植物を軽んじる必要があるのか?
苦痛を感じるか否かが、主催者にとっての判断材料になっているようだが、
植物が苦痛を感じないから食べていいのか?相手が苦痛を感じているとし
ても、食べなければ生きていけないから食べるのではないのか?
他の生物を殺さなければ生きていけないのなら、動物にも植物にも同様の
尊敬を払って殺して食べるべきではないのか?

ところで、私は「動物の権利」を読んだこともある。動物実験や、畜産工
場の悲惨な状況は、改善するべきだと思う。
しかし、私なら「良心の呵責なしに食える肉を食わせろ!」と言う。「で
ないと、皆で買ってやらないぞ」と。
「かわいそうな畜産動物のために、肉食は止めましょう」というのは、畜
産工場を経営する企業に向かって、何も言っていない。
改善要求のための肉食拒否、ではなく、肉食忌避のための錦の御旗(動物
の権利)に聞こえる。それは、やはり偽善だと思う。

論点がずれるが、「動物の権利」を読んで、私が感じたのは「西洋的な、
人間至上主義」だった。(でなきゃ、知能至上主義)
昔のことなので曖昧で申し訳ないが、「他の生物の苦痛を思いやることが
できるのは、人間だけだから、思いやることをしなければならない」とい
うような論法ではなかっただろうか?
要するに、人間はベジタリアンにもなれるような偉い存在なのだ、という
ような選民思想が感じられた。
種差別を論じるなら、それは、動物も植物も、多細胞生物も単細胞生物も、
ウイルスまで含めて普遍的な平等をうたわなければ、ご都合主義なだけだ。

どこかに「霊長類と微生物の間の線引き」ということを、おっしゃってい
たが、引いてみろよ、である。
どの種は苦痛を感じ、どの種が苦痛を感じないのか?脳があるかどうか、
か?
これは、かつて、アメリカを侵略した西洋人が「インディオは、猿か人間
か?」という議論をしたのと同じだ。
本質的に平等であるものに、恣意的な線引きをしようとする。
線引きするってこと自体が、差別。

yasu - 00/08/02 17:20:43

コメント:
 はじめまして、nyatete様。わたしはパソコンもインターネットも初心者で、メールアドレスもありません。文字入力にも時間がかかります。それでも、生命の尊重について考えていて、関連したホームページを拝見させていただいています。特に、人間は何をどのように食べるべきかの問題に関心があります。肉食を否定したり、菜食を賛美する気持ちはありませんが、卵や牛乳、および、その加工品は口にしますが、自分は、食物にされる動物への同情心から発展して、肉や魚介類は食べられません。平気で何でも食べることができたらと思うこともありますが、致し方ありません。  管理者のnyateteさんをはじめとして、ここに書き込みされているあんやさんやショウさんたちの博識には圧倒されてしまいますが、これからの議論に期待しています。動物の権利などが確立されて、無益に悲惨に失われる生命が少しでも減ることを願っています。ページの運営、大変かと思いますが、がんばってください。

nyatete - 00/08/02 07:48:24

コメント:

>津波古様
こんにちは。
そんなに若い方が、こういう事を考えて下さるのはとても嬉しいです。
動物の権利に関する本は、私もいつも注意しているのですが、本当に
少ないです。分かる範囲でこのHPでも紹介させてもらっていますが
ご覧いただけましたでしょうか。

とりあえず、おすすめは

動物に権利はあるか
ローレンス・プリングル著 田邊治子訳/NHK出版

です。短く要領よくまとめられています。
絶版にはなっていないと思います。と言ってもなかなか本屋ではみかけ
ませんが。。


津波古 奈緒 - 00/08/01 09:36:25
電子メールアドレス:ryuu@unbounded.com

コメント:
私は、小学校6年生です。夏休みの自由研究で「動物の権利」にしました。でも図書館にいって本をさがしたけど、なくて、どうしようと思って、なにげに、ここを開いてみました。私は、イヌ(ダックスフンド)をかっているけど、動物の権利って立派なんだー。と考えさせられました。ありがとうございます。

へそ曲がり獣医さん - 00/07/28 21:58:49
ホームページアドレス:http://www1.webnik.ne.jp/~eimamura/

コメント:
広告 「へそ曲がり獣医さんの動物福祉論」を読んで見ませんか。 http://www1.webnik.ne.jp/~eimamura/

nyatete - 00/07/25 02:40:03

コメント:

>ZOO様
 人間とは倫理を持つ存在です。保険金かけて人を殺したり、子供を虐待した
りすることを「動物の特性だから仕方がない」とは普通、言わないわけです。
動物の扱いに関してだけ、倫理を適応しなくてもいいと言える理由はないと思
いますが。


zoo - 00/07/22 09:13:47

コメント:
結局、人間の欲望のために動物たちを殺しているのは事実だが、人間自身も自然の一部であり、動物の一種と考えるのであれば、<まあそのとおりだと思うが>人間が行っている全ての行為や、感じている全ての感覚も一種の動物の特性と認識できるのではなかろうか。そして、それによって動物が絶滅して、地球が滅びて、ほとんどの種が死んで、地球が死の惑星と化したとしても、それも自然の流れなのではないかと思うようになってきました。ちょっといいすぎだなこれは。まあ、それに近いものはあると思います。すんません、意見がばらばらで。

ぴかりぃ - 00/07/18 00:42:15
電子メールアドレス:veg@excite.co.jp

コメント:
先日紹介した動物実験をテーマにした掲示板(http://communities.jp.msn.com/NATURALLIFELOVER)、ネットスケープだと開かない場合があるので、その場合はエクスプローラで開けて下さい。すいません。(と、また濃い議論の合間に割り込んで、またまたすいません。私自身も関心の深いテーマなのですが・・・)

nyatete - 00/07/15 08:46:04

コメント:

>ショウ様
>サイト主催者の結論が宗教的なモノだとすると、
・・とのことですが、どうして、その様に言われるのか分かりません。
それに私は「動物愛護に反対」とも「動物愛護なんて言ってるヤツは偽善者だ」
とも言ったおぼえはありませんが。

「宗教的」とはどういう意味ですか?
具体的にどこかの文章を読んでそう思われたのですか?
もう少し説明していただけませんか。


>あんや様
 驚くほど博識でいらっしゃいますね。原稿料も払っていないのに、こんなに
たくさん書いてもらっていいのだろうかという感じです。特に7/14の投稿には、
深く共感いたしました。もっとも、私自身(そして、おそらく動物の権利
運動としても)は、これはまず第一に倫理の問題だと思ってますし、倫理を
前面に出すこと自体も構わないんじゃないかと思っていますが。


*******************************
最近、たくさん投稿いただいてますので、早いですがまた一度クリアさせても
らいます。下記が一つ前へのリンクです。
◆過去のゲストブック その5


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