OTU - 01/03/07 21:54:06
コメント:
イスラム教では、犬は「不浄の動物」らしいですね。
ただ豚とは違って「食べる」事はするみたいです。
でも、触ったら即、手を洗う程嫌ってはいるみたいですが。
だから、迂闊にイスラム教の人に「犬みたいな人」なんて言うと烈火のごとく怒るとか。
豚だけ、何故食べちゃいけないかについては、
一説によると寄生虫感染を避ける為という話もあるみたいです。
逆にヒンズー教では犬は大事にされてますね。特にネパールなんかでは。
月に関しては、やっぱり「太陽信仰」なども昔から多くありますし、
日ごとに姿を変える事、膨大な海水さえ影響を受ける事、
日食等の現象も起こす事を考えれば「神聖視」されるのも頷けます。
それに月面着陸も「必要」な事だったかと言われれば、先進国生まれでも「?」ですね。
イスラム教原理主義に関しては、同意見です。
もしかして、ロザリオとか身に付けてると、撃たれたりするんでしょうか?
私が思うに、アンコールワットのように、自然に押されて崩れていくのは、仕方ないかと思いますが、
人の手でどうこうって言うのは、ちょっと考えもんです。
別に、メジャーな、キリスト教や仏教の教えが優れてると思ってる訳でもないですが、
少なくとも、五感の一つを封じて教育するような教えは「愚か」ですね。
(最後の一行に、肉食封じてるじゃないか!等の書き込み、出ちゃいますかね?)
錯乱坊 - 01/03/07 21:11:19
コメント:
ときどきアクセスするだけで・・・なかなかカキコするまでの元気が・・・
いつの間にか宗教も入ってきていますね・・・。
そういや、イスラムのタリバンも、困ったもんですね。
宗教に傾倒する人は真面目な性格なんだろうとは思いますが、ふと、周りに
目をやり、心を真っ白にしてぼんやりと素直に観察する、といったことをすれば
少しは過激な考え方もしなくなるんじゃないかな・・・って思うときがありますよ。
私自身は、理解を超えたものがあるということは否定しませんが、それが神だとか
決めつけたりするような、いわゆる「宗教」というものは、感覚を麻痺させ、現実の
社会をありのままにみることを遠ざける麻薬だと思っています。
(確かマルクスは「宗教はアヘンだ」って名言をいったんだっけ?私はこの言葉が真実
だと思っています)
神がいるから、とか霊がいるから、というのは感性の一つで、私は見たことないので、
否定も肯定もしません。
内蔵や脳ミソを取り出した人体は見たことがありますが、なぜ、この死体は動かないんだろうと思ったぐらいで、死んでいるというのと生きているというのとは、細胞が機能しているかどうかの違いなのかなあ、と思ったこともあります。
しかし、そのときでも、空洞になった胴体をのぞいてみて、「霊は・・」、なんていう考えは起きませんでしたけどね。
ことさら宗教関係者は、霊だの神だの、不確定要素(つまり「落ちているリンゴ」というような、誰もが認識できうる状態にないもの)を持ち出して、聞く人の精神を引き入れようとしますが、そもそもそういったことをすること自体が、宗教本来の姿、意味からはずれているし、儀式化している証拠であると思います。
宗教が儀式を行うのは、自らの主張を視覚や聴覚に訴えて、権威化するだけのもので、仏教だって、最初に始めたシャカは「木魚をたたいて、念仏唱えて、布施を受け取れ」なんては
言ってはいないんですよね。それがいつの間にか、ボーズ集団が「なんまいだー」とやっているわけです。
キリスト教にしてもしかり。
中世末期なんて、教会で、司祭が自分の結婚式を挙げていたりして乱れに乱れていたし、
キリスト教がらみで、歴史上、何人の人間が命を落としているか・・・。
殉教者という言葉の興奮剤を与えられて命を無駄にした教義の犠牲者をカウントすれば、ちょっとした戦争の犠牲者並に死者を製造した宗教とも言えると思います。
ま。でも信じて救われるなら、それでいいんでしょうが・・・・・・。
nyatete - 01/03/07 01:41:54
コメント:
そうそう、あんまり有名じゃないけど、イスラム圏では犬もタブ
ーなんですよね。なぜか。
それから月が、割と神聖視されていて、アメリカが月着陸をした
時も「なんて事をするんだ」といった反応があったそうです。
聖地を汚されたといった感じなのかもしれません。とにかく、宗
教は対立をまねきやすくて難しいもんです。
でもイスラム原理主義者には、もう少し寛容になって欲しいと思
う。こんなこと言うのは、象に木に登れと言うようなものかもし
れないけど、世界的な文化遺産を破壊するなんてもってのほかで
すよ。ほんと。取り返しがつかないんだから。
OTU - 01/03/06 21:40:36
コメント:
そんな宗教って、まだあるんですね。
西部開拓時代とかなら、ヤバいのあったのは聞いた事ありますけど。
子供の頃から、「他の宗教を信じてるヤツは災いをもたらす」とか教えられてれば
「やられる前にやれ」みたいになるんでしょうかね。
信仰とか思想は、簡単には方向転換出来ない物ですから。
私自身も、こちらの掲示板の「動物の権利」賛成の方の意見でも
「個人的」にちょっと違うかな?という事もありますしね。
どっちにしても、日本人は宗教に関してはあんまり大きい事言えませんが。
信仰に関しては、自由なんだか、主義主張がないだけなんだかって感じですから。
何にしても、他所の国に行く時は、せめて宗教ぐらいは勉強しておけって事ですね。
住むにしても、イスラム教圏内では犬とかは絶対に飼えないですもんね。
nyatete - 01/03/06 02:15:18
コメント:
>Kaorinさん
こんにちは。
なんか、楽しい思い出というより、ひたすら暇だったなあという
感じです。
ねる(昼寝および夜寝)か、めし食う(及びビール飲む)か、本
読むか。。くらいしかしなかった様な。。あとはたまにちょっと
だけ泳ぐくらい。まあ、本をじっくり読むなら、それくらいの環
境の方がいいんですが。。
Kaorin - 01/03/05 21:55:58
ホームページアドレス:http://eclat.gaiax.com/home/mairo_kaorin
コメント:
わお!nyateteさんお帰りなさい 楽しい思い出沢山ですか?
御無事で何よりどす
nyatete - 01/03/05 03:39:26
コメント:
うーん、私の立場としては霊とか言い出すわけにはいかないんですが(^_^'
狂牛病などは「これはやっぱり、なんかの報いではないのか」などとは思いま
すね。まあ、人間の悪行のせいで、牛が病気になるとしたら理不尽な気がしま
すが。
今、発売されているニューズウイークの特集は「こうなったらベジタリアン」
というものだったので、「おお!」と思って買ったのですが、まあそれほどの
内容はありませんでした。狂牛病の話が中心で、動物の権利の話はほんの少し
しかでてこないし。。
狂牛病パニックで牛肉の消費量は、フランスで47%、ドイツで67%、イタリ
アに至っては、75%!も減ったけど、その分、他の肉(豚、鶏をはじめ、
ダチョウ、カンガルー、ワニ、さらにはヌートリア)の売り上げが急増してる
とのこと。ベジタリアンが増えてることも確かだが・・うんぬんといった感じ
でした。
>みけさん
ごぶさたしました。
今回の旅行はいつにもまして、だらけきった焦点のないもので、大した話も
ございませんが、(おまけに今日、現像してきた写真も撮影者の気合いのなさ
を反映して、大したものがない上に、カメラの不調で一部の写真がだめになっ
てましたが)、まあご期待下さい(これで誰が期待できるんだろう?)
>OTU様
なるほど。そういえば、バラナシでそこら中から粉をかけられて、大変だった
という話を読んだ様な気がします(バックパッカー・パラダイス。。だったかな)
クリシュナは、音楽と女性が好きということで、お気持ちは良く分かりますので
(笑)好きな、神様です。
しかし、好きな神様なんて言ってたら、イスラム教徒に怒られるだろうな。タ
リバンになんか言ったら、殺されるかもしれない。。
(>all タリバンとは、世界遺産にもなっている仏教遺跡を含め、異教徒の偶
像はすべて破壊すると宣言して今、問題となっている、アフガニスタンを支配
している超保守的イスラム原理主義者です 女性の教育に音楽まで禁止するら
しい。名前の響きはなんとなく可愛いけど、とんでもないやつらだ)
しかし、MTBで100km走るよりは、インドに行く方がよっぽど簡単な様な
気がしますが。
みけ - 01/03/05 00:02:25
ホームページアドレス:http://www23.freeweb.ne.jp/animal/nanakusa/
コメント:
わーnyateteさんお帰りなさい〜。
インドどうでしたか?旅行記楽しみにしてます。
OTU - 01/03/04 21:02:49
コメント:
nyateteさん、お帰りなさい。
ホーリー祭は、2月〜3月にかけての満月の日に、インド全土で3日間、
愛の神クリシュナを讃えるお祭りだと、聞いています。
五色の色の粉を、身分階級お構い無しにかけあうそうです。
最近思うのは、各国の宗教が関わる祭事や規制は、いろんな意味で興味深いなと。
動物の扱いもそうですが、学ぶ事が多いです。
nyateteさんの海外の話を読んでいると、旅してみたくなりますね。
私の場合、せいぜいMTBで100km圏内がいいとこなので、羨ましいです。
いっそ「永住」もいいかな。とも思いますね。(子供っぽい?)
mistycafe - 01/03/04 19:08:05
ホームページアドレス:http://izumo.cool.ne.jp/fairyrose/
コメント:
ねぇねぇ。下のお方ぁ。
あなたは、HPをもっているのですか?
もしあったら、みせてみせて!!!!!
わたしもそう思ってるんです。
りんごは肉じゃないかって。
すごくぴったりくるんですぅ。このカキコ。
動物霊はあると思います。
でも、あなたのカキコだとかなり、実体験ぽい。
もしかして、霊感者?
HPがあればいいのに。行きたいよぉ。
k.takata - 01/03/04 13:52:11
コメント:
人は動物を育てたとしても殺して、あるいは死んだ者を食べてよいか?
動物の産んだ卵なら、牛やヤギなどの乳なら食べたり飲んだりしてよいか?
人は報い(何らかの不幸現象)を受ける事なしにその様な事は出来なくなって来たと思う。動物達は死後も霊として生きている。殺したり、食べたりされるのを別に許してそうされて
来たのではない。それは動物達を見ているとよくわかる。食べられる方の気持ちになって考えてみればよくわかる。
人は万物の霊長と言われ、本来神の子である。動物と比べれば万能と言ってよいと思う。協力して野菜や果物をいっぱい作り、動物は食べず、食料は水・野菜・果物とするべきだと思う。動物達も水・野菜・果物を飲ませ、食べさせて育ててやればよい。お米だって稲の種だから、食べると種の命を奪い、本来よくない。ただ今はお米まで食べないとすると食料が不足しないだろうか。栄養については、野菜・果物だけを食べる事で、何ら問題はない。それは菜食主義の先輩達が証明してくれている。牛さん達だって水と草だけの食事であんなにりっぱな体格に育っている。キリスト教の聖書で人がりんごを食べて、楽園を追い出されて苦難を受ける様になったというのは、人が動物を食べ始め、それによる苦難・不幸現象を受けるようになったというたとえ話ではないかと思う。
k.takata - 01/03/04 11:24:16
コメント:
k.takata - 01/03/04 11:24:15
コメント:
k.takata - 01/03/04 11:24:10
コメント:
k.yakata - 01/03/04 09:48:45
コメント:
k.takata - 01/03/04 09:47:19
コメント:
mistycafe - 01/03/03 17:41:53
ホームページアドレス:http://izumo.cool.ne.jp/fairyrose/
コメント:
おかえりなさいませ。nyateteさま。
ご無事で何よりです。
nyatete - 01/03/03 15:25:42
コメント:
こんにちは。
昨日、無事、旅行から帰ってきました。
時間つぶしに行ったコロンボ(スリランカ)のバーを出てからほぼ24時間
かけて。。疲れた。大体、午前2時半なんかに飛行機とばすなよな。。ぶつ
ぶつ。
長い間、ほったらかしにして、すみませんでした。
いない間も、皆様にはずいぶん、ご面倒見て下さって(・・という言い方も変
かもしれないけれど)ありがとうございました。
一部に誤解が生じている様な気がしないでもないんですが、私の旅行は単に
「どっか、あったかいとこに行ってだらだらする」ためだけのものでして、
思想的背景(?)みたいなものは、ほとんど何もないです。まあ、「南インドの
ベジ料理を心ゆくまで食べる」という目的もありましたが、これも単に、お
いしいから食べたいというだけです。正直に言うと魚カレーもだいぶ、食べ
ました。はい。
あと、もうひとつの目的が『カラマーゾフの兄弟』を読むというもので、
再読でしたが、やっぱり良かったです。約9年前に読んだ時とはまた違った
感慨が色々とありました。
目的があろうがなかろうが、旅行してみるのは基本的にはいいことだと思い
ます。色んなものを見たら自然に色々と考えることもでてくるし。
ただ、ツーリズムのもつ弊害というのも深刻な問題ではあると思います。
開発によって自然を破壊したり、素朴に暮らしていた人たちに、お金のこと
ばかり考えさせる様にしてしまったり。
まあ良きにつけ悪きにつけ、ツーリズムは世界を大きく変えていっていると
思います。行く方の人間にとっても、来られる方の人間にとっても。
そのうち旅行の写真などもアップしたいと思います。スキャナーを持ってな
くて借りなければいけないので、ちょっと先になるかもしれませんが。
>OTU様
いえ、ホーリー祭めあてでは、ありません。単にケララで、だらだらしに行き
ました。ホーリー祭のこと(いつ、どこであるかとか)は、あまり知りません。
ただ、コーチンのシバ寺院ではお祭りをやっていました。奏者、観客ともに
もりあがりまくってる、宗教音楽の演奏などがあってなかなか面白かったです。
ケララは最近、白人旅行者の間ではずいぶん人気があるみたいで、白人旅行者
ご用足しのガイドブック;lonely planet からも "Kerala" というのがでてい
ます。
*****************************
きょんさんの言われる、『結局は「思いやり」がキーワードになる』という
ご意見に同感です。
道徳の問題に対して、色々と理屈を言う事はできますが、「なぜ? なぜ?」
と問い詰めていくと、最後には「思いやりが大切だから」ということになると
思います。この「思いやりが大切」というのは道徳上の公理の様なもんだと思
います。逆に言うと道徳というものは「思いやりが大切」という一点を土台に
して作られるものではないかと思うのです。
だからこの先に「なぜ、思いやりが大切なのか?」と聞かれても「それが道徳
というもんだから」という答え方しかないのかもしれません。
それでも、やっぱり「道徳は大切なものなのか?」と聞く人もいるかもしれま
せん。本心からそんな事を思っている人間はいない・・と思いたいところですが
最近の残虐な少年犯罪やら、動物の虐待やらを見るとやっぱりそういう人もい
るんだろうなとは思います。
そういう人たちが納得するかどうかは、分かりませんが、
「情けは人の為ならず」という言葉がもう一つの答えになるかもしれません。
『カラマーゾフの兄弟』に「この世の地獄とはなにものをも愛することができ
ないことだ」という言葉がでてきますが(はやくもどこにでてきたか忘れたの
で、文言は正確ではないかもしれませんが)、人間とは他もものを愛すること
によってのみ幸せになれるものなのです。(納得できない方もおられるとは思
いますが私はそう確信しております)
「情けは人の為ならず」という言葉の意味は--よく、笑い話になる「情けをか
けるとその人の為にならないから良くない」というのは問題外として--
「人に情けをかけることは、めぐりめぐって自分にもかえってくるから」と、
一般的には解釈されている様に思いますが、私は、「情けをかけるという行為
が、その瞬間にすでにその人を幸福にしている」と思うのです。めぐりめぐる
までもなく、その場で支払いは完了しているんじゃないかと。もちろん将来に
対する貯金にもなるでしょうが。
だから、納得してもらえるかどうかはともかく、
「なぜ、思いやりが大切なのか?」という質問には
「自分は大切だろ? だったら思いやりを大切にしろ」
という答え方もあるかもしれません。口じゃどう言っても自分が大切じゃない
人なんていないし。
帰って早々、長くなってしまいましたが、そんなことを思いました。
k.takata - 01/03/03 11:36:13
コメント:
mistycafe - 01/03/01 23:04:45
コメント:
でも、サクランボウさんは、(この字なんとかなんない?おもしろーいい♪)
いい人なのね。
錯乱坊 - 01/03/01 22:31:20
コメント:
なかなか忙しくて、HPをアクセスできませんでしたが・・・(^^;)
は〜。ぷりんさんのようなご意見の方もいるのですね。
ぷりんさんの目から見ると、私も「反ベジタリアン」の部類なのかな〜。
体質的には、卵、肉なんかはアレルギーありますけど、個人的には、
肉を食べるのは好きですし、ベジタリアンの生き方を否定するつもりもありませんが。
また、私もいろいろペット飼っていたことあり、ぷりんさんと同じように、ペットには、
かわいいというか、家族の一員的な感情はありましたが、
その一方で、
「食い物がなくなれば、(食料危機になれば)食うことになるんだろなー」
と、考えたこともありますよ。
飼ってたのは、犬とかインコとか、金魚とか、でしたけどね。
ちなみに、私の仕事は食肉業界とは全く関係ありません。
ま、いろんな人間がいるってことも知っておいてください。
ぷりん - 01/03/01 18:19:56
コメント:
はじめまして。ぷりんと申します。
一年前の私なら、肉を食べることに何の疑問も
感じていませんでしたが、猫を飼い始めて
言葉を話せない動物たちの優しい世界を知り、
単に空腹を満たす為にひとつの命を失わせている
人間のエゴに苦い気持ちを持つようになりました。
このゲストブックに反ベジタリアン的な意見を
書いておられる方々は、ペットを飼ったことのない
人か、食肉業界の方々なのではないかと思います。
私は完全なベジタリアンではありませんが、自分から
すすんで肉料理は食べず、もし、友達の家などで
出されたら、私たちに食べられるために死んでいった
動物に感謝して味わいながら食べるようになりました。
それからは無駄に残すようなことも少なくなり、
ごみとして捨てる食べ物も少なくなりました。
ダイエットする必要もなくなりました。
ごめんなさい。なんだかだらだらと自分のことばかり
書いてしまいました。
mistycafe - 01/02/28 20:05:51
コメント:
きょんさん。念てこわいよ。まじでさぁ。
わたし生霊みたことあるの。電話ももらったし。
わたしも飛ばしてるのかなぁ。こわい。
なんか、わたしって、地でしゃべると、きついらしいよ。
オブラードに包むと円満にいくんだけどね。
でも、時々面倒で、それをとるのね。したら、
えらいことになるのよぉお。笑)
shokoさんといえば、虹の橋と犬の十戒は
涙でたよ。ほんと。
きょん - 01/02/28 14:56:17
コメント:
mistycafe様。
伝わってたようでちょっと「ホッ」としてます。
>でも、わたしの場合、本気ではっきりと話すと、
>人を殺しかねないほど、きついらしいのよね。
凄い技ですね。「念」でも飛ばすんですか(笑)。
でもって、どうやって穏やかに話しを進めるかと。
もち多少反発させてでもグサッと心に入り込むという
やり方もoptionではあると思うんですが。
SHOKOさんとこに覗きに行って思い出したのですが、
濱井千恵なんか上手ですよね。
「ピーコの祈り」みたいに。
ミル - 01/02/28 01:03:47
ホームページアドレス:http://www6.plala.or.jp/mille/
電子メールアドレス:millfeui@mail.goo.ne.jp
コメント:
OTUさんやきょんさん、mistycafeさんの書き込みを見て、考えさせられました。
私はどちらかというと瞬間沸騰型で、その場でワーっと自分の言いたいことを書いて、はい、オワリ、みたいなことが多々あるな…と。
歩みより、というかOTUさんが前に書いてらした「一枚の布にて相手を包んで共に通る」ということは大事なのだと思いました。
もし、自分にもっと知識・言葉がつまっていてどんな事も論破できたとしても、それじゃ、何にも前に進まないのですね。
言葉を書くというのは難しけれど、字だけで語るのでなく、「もし、相手と多少なり面識があって、自分の目の前にいて話すとしたら」ということを念頭において書いてみるのもいいかもしれない、とも思いました。
う〜ん、書いていてだんだん何を伝えたいのかまたまたわからなくなってきてしまいましたが。自分だって穴だらけなのだから、それを取り繕ってガンガン進むのでなく一回立ち止まってみるのも一考、と感じた、ということだと思います。
はぁ、、「思います」だらけでスイマセン。
mistycafe - 01/02/27 07:16:06
電子メールアドレス:http://izumo.cool.ne.jp/fairyrose/
コメント:
OTUさんのおっしゃるとうり、それぞれが愛情をもって
表現すれば、伝わるはずですよね。
言葉とは、むずかしいものだけど、恐れすぎても表現できないし、
つねに、生き物ですから、言葉に決まった型があるわけもなく・・・
にゃあちゃん。ぺんぺん(ペンギンさんのことだよ。)が、
あんなにちょーべりきゅーとな、ペンペンさんが・・・涙)
ネット署名は完了しました。(ラジャー!!!→みんな使うから・・・)
わからないのは、あのよちよちした、きゃわゆいペンペンさんを見て
いじめる気持ちになるてのが、理解できないよ。まったく・・・卍)
いじめるなぁ〜〜〜〜〜!!!!
炎の叫びでした。
OTU - 01/02/26 21:38:12
コメント:
きょんさんは、いろんな方に細かくコメントされるし、
その度に「言葉を選んでるなあ」と私は感じてます。
一方的な文章ではなく、相手の意見を多角的に読み取ってるし。
本当「ご苦労様です」と思います。
それで、そのいろんな方との一歩間違うと喧嘩になりそうな状況ってのが、
この掲示板に限った事では無いんですが、ままありますよね。
私はそう言う時「情報」って言う物の弱点が浮き彫りになっている気がしています。
いわゆる「情報化社会」の現代では「最新」「未知」な事を知ってるのが
一種のステータスとなってる感があります。
当然「知識」として持ってるのは、良い事なんですけども、
それが「自分の価値」に直結してる人が、最近は多い気がするんですね。
だから、懇切丁寧に事実を元に「こんな方法があるんですよ」って提案や
疑問に答えてるのが「情報を自慢してる」と感じられてる事があるように思えます。
それで、本来伝えたい事からずれて「情報の応酬」になってしまう。
私は、何とか「自分で感じて考える」文章を、書こうと常々思うんですが、
結局、考えてる事をほとんど言ってしまうので、やっぱり難しいなと思ってます。
何かしら、自己主張があると「本人の気付いていない優しさ」が出てる物なので
そういう「きっかけ」があると、話しやすいんですけど。
「情報」一辺倒の方は「様子見」文章が多くなってしまいますね。
なんでもいいから「自分」を表現していただけると、個人的には有り難いです。
「色」とか「音」でも良いので。「ここに来て、私の気持ちは青色です」とか。
ですから、mistycafeさんの様に、うにゃむにゃでも良いと思います。
人間は様々な言葉を放つからこそ、それを慮る気持ちが必要なんですから。
前にも書きましたけど、「雰囲気を良くする」文章を良い所で入れてるんですよ。
「一息入ったよ!一回考えろ〜。考えろ〜。」っていつも思いますよ。
mistycafe - 01/02/26 19:56:45
コメント:
きょんさん。ご苦労さまです。
わたしからみると、きょんさんの優しさとか気遣いは感じられますが。
人それぞれ、個性があるから、もちろん、いろんな話し方はしますが、
みな、愛情をもって、カキコなさっているとおもいます。
そして、お相手の方も、それは感じておられると思うのですが。
もちろん、主義主張の違いはあるので同化できないにしても。
わたしみたいな、中立的な話し方をする場合、
それはそれで、うざい人もいるでしょうね。
どうであれ、はっきりした人と心から話したい人が多いはず。
でも、わたしの場合、本気ではっきりと話すと、
人を殺しかねないほど、きついらしいのよね。
だから、うにゃむにゃいってるくらいの方が足をひっぱらないかしらん。
と思うのであります。笑)
きょん - 01/02/26 19:12:18
コメント:
mistycafeさま。
>この辺であほあほのわたしが登場してしまおうかなぁ。
はい、登場して下さい、って(笑)。
因みに私の錯乱坊さんへの一連の「気遣い」第三者的に伝わりました??
っていうか、わかりにくかったように思うからで尋ねてたりするんですが…。
OTUさんからもなんとなくの援護射撃があったんで助かったんですが、
なんかこう如何に思いやり部分について相手の気分を害さずに伝えるかとか、
逆に、ちょっとこのままで挑戦的すぎてはここではともかく他では喧嘩に
なりかねないですよってな事をある程度間接的に、でもきつめに言ってでも
自覚して欲しいな〜とか。
いずれにせよ「守るものがある」側は大変ですね、ただ言い争って勝てば
良いってもんではないので。
きょん - 01/02/26 16:11:28
コメント:
Mugihoさま。
>自然と共に生きている人達にも動物を食べず毛皮で服を作らないのを求めておられるのか?
主流としては求めていないように思います。
FAQ内にこんな返答があります。
--------------------------------------------------------------
世界には家畜の放牧ならできても農業をする事は不可能な場所もあり
ます。そうした地域に住む人々が農作物を売る事ができないので、生き
ていくために家畜を飼育しなければならないという話であれば、その事
を問題にする人はほとんどいないでしょう。
-----------------------------------------------------------------
ということで、基本的には「動物の権利」は動物を利用するだけ利用しまくる現代社会、
特に先進国のように選択肢があるにも関わらずその選択肢を無視して行われている
動物に対する酷い扱いを対象にしているケースがほとんどかと思いますよ。
mugiho - 01/02/25 23:03:41
コメント:
動物を食べなければ生きていけない民族の
人達が動物を食べるのはいいと思われますか。
工場で物扱いで食肉を作ったり、飾りや何やで
金儲けのために必要ないのに殺したり
そういうのは反対です。でも動物を食べるのを
止めようといわれる方は、自然と共に生きている人達にも
動物を食べず毛皮で服を作らないのを求めておられるのか、
それがわかりません。
にゃあちゃん - 01/02/25 20:56:20
ホームページアドレス:http://nagoya.cool.ne.jp/penguins/
電子メールアドレス:neko@cocoa.plala.or.jp
コメント:
はじめまして。ペンギンを守る会のにゃあちゃんと申します。
動物たちの権利について、命の尊重については日々考えさせ
られています。野良猫や野良犬の殺処分の問題、虐待、
さまざまです。私は、1匹の命でも助けられればと思い、
先日、猫のボランティアさんから子猫を1匹ひきとってきました。
とても可愛いです。動物って本当に温かくて愛しいですね。
私は、今、ペンギンを守る会(http://nagoya.cool.ne.jp/penguins/)
というサイトで虐待されている動物(主にペンギン)のために
活動しています。
一度、来ていただけたら幸いです。
mistycafe - 01/02/23 07:02:44
ホームページアドレス:http://izumo.cool.ne.jp/fairyrose/
コメント:
やっほーーい!!!
この辺であほあほのわたしが登場してしまおうかなぁ。
それより、nateteさん。元気してますかぁ???
今はいずこへ??
OTU - 01/02/18 10:34:37
コメント:
きょんさんの、正論であれば〜の意見を読んで。
まず、最初に「夢想的」と言うのは、やっぱり私のような「気配的文法」は情報化社会の現代
「何、ソレ?」と思われる方や、合わない方もいらっしゃると思うんですね。
だから、最近の書き込みに関しても、きょんさん・渚さん・ミルさん・てつさんの様に事実を
元にして意見を述べておられる方と比べて、討議とか議論とかには向いてない気もしているので
付け足しておきました。当の本人は、酔狂でもなく本気で言っておりますが。
(前回書き忘れましたが、施設襲撃に関するもう一つの考え方は興味深く拝読しました。)
話がいきなりそれましたが、ここから本題です。
どんなに素晴らしい案でも、困った事に人間「嫉妬心」てな物がありまして、
素晴らしい案だからこそ、認めたくないという気持ちが出てくる事があります。
すると「欠点」や「矛盾」(比較対象を選ばず)を並べるだけになる事もあります。
そうされると、案を出した方もだんだん攻撃的になってきたりもします。
それで、堂々巡りの出来上がりって感じになりもします。
だから、肯定的に聞く姿勢と言うのは大事だと思うのです。(少しでも良いと思えるなら)
否定をするなら、それを覆すだけの自分の意見・提案といった物があると、いいなと。
当然、その提案に対しても、肯定的姿勢で返す事も大事です。
相手に花を持たせるのも、時には必要かなと思います。(媚びると言うのではなく)
但し、言葉を放つと言う事は、それが自分にも返ってくる事なので責任を持ってもらう必要はあります。
最後に、一つ気をつけなければいけないと思う事を一つ。
自分の意見を通す事に剥きになり過ぎて「路上での素人同士の喧嘩」にならないようにと思います。
所詮、素人の拳や蹴りでは、たいした事にはなりません。でも、よろけて転ぶ位はある訳です。
喧嘩してるんだから、地面がコンクリートやアスファルトなんて思いも付かず、
転んだ先で頭打って死んじゃうってな所に行き着いたりもする。
その、死んでしまったものが、相手の「心」だったら、
それはある意味、自分のそれが死んだ事よりも辛い時があると思います。
自分の傷は、自分が生きていれば癒せるし、思い出にもなるかも知れないけれど、
自分が付けた、他人の傷は思い出したくない物だと思います。
他者を傷つける物を持った時に、人は躊躇います。
その気持ちは、自分の優しさなのだと認められれば、
「傷つける」事が「傷つけられる」事より、怖くなると思うのですが。
どんなもんでしょう?
この道を、まかり通る。その為に皆さんは何を使われるでしょう?
立ちはだかる者に剣を振り、矢を放ち通りますか?
それとも、一枚の布にて相手を包んで共に通りますか?
(やっぱり、こんな文になっていくなあ)
きょん - 01/02/17 20:12:55
コメント:
すいません、出張で4日ぶりぐらいのアクセスだったものでちょい亀ですが。
ちょっと刺のある表現だったのですが、錯乱坊さんが一応冷静に受け取っていただけた
ようなので何よりでした。
実際の行動の大切さの部分はうまく伝わらなかったようですが、行動する前に考える
こと自体は全く否定していません。私もどちらかというとまず行動よりは考えてしまう
ほうで腰は重いほうかと思いますし。錯乱坊さんが日本の動物愛護運動を指して、もっと
したたかに戦略を練ったほうがいいんではという意味合いの示唆であれば同意します。
でもって、考えること自体は一年かけたっていいし、一生考えつづけられればそれは
それで素晴らしいのですが、どこかで実際のフィールドに行かないと見えてこないもの
っていうのがあって、そこを見落とすと、現実を理解していない空虚な思考につながり
がちになるっていうのはポイントかと思います。
ただ、先の発言の主な趣旨は、寧ろ、何をする気でも無い(真剣に考えていない)のに
単に外野の立場から「やじっている」だけの人を揶揄している表現ではありました。
ここから仕切り直して皆さんに向けて。
よく、動物愛護は変人の集まりだとか理屈がなってないとか言われます。
「正論であれば世の中に広まるのかな?」をちょっと。
例えば、大正生まれ以上(昭和一桁生まれの一部程度まであてはまるかな?)のお年寄り
世代が、「男女平等」を理屈で理解し実践するっていうのは一般的に結構受け入れ難い
ように、理屈云々だけでは動物愛護も現代社会において打開しにくい部分がどうしても
あるように思います。
というのも、食肉の話でもこれを環境問題の視点から「食肉は避けるべき」としたところ
で、いずれにせよそんな簡単に一般に受け入れられないでしょう、というか、実際、
受け入れられていないでしょう。
マスコミも大衆を敵にまわすような「食肉」なんてテーマは環境問題としてあまり取り
上げませんし、例え、希に取り上げても大衆は真摯に受け取らず「食欲」に負けちゃう。
誰も子供たちの世代への責任感が無いというか(っていいながら、私も平均寿命まで
生きたら、半世紀程度あるんで他人事ではないような気はしますが)、思いやりがないというか。
でもって、結局はこの「思いやり」がどの道Key wordなように思うんです。OUTさんが
自称「夢想的」表現にておっしゃられている事と重なるかと思いますが。
環境問題であろうと、動物愛護であろうと。
先のじーちゃん達だって、既に女性への思いやりがあれば、男女平等なんて理屈で説明
する必要はないわけだろうし。
環境問題も思いやりが無ければ解決策は必ずしも穏やかじゃ無くなるでしょう。
「ヒトを減らすのが特効薬だ。取り敢えずは環境負荷の高い黄色いのから」ってな方策
は適当な飾り文句のもとに施行されなくもないわけでして・・。
でもって、この「思いやり」が育まれる社会を目指すには?それは大人から子供へでも
その逆に子供から大人へでも。
Nyateteさんの旅行の意図は当然知りませんが、この動物への「思いやり」で有名な
スリランカがどんな人間社会からそれが育まれているのかを実感してみよう選ばれたの
かな?とか思ったりしてます。
ベジ料理は日本だって負けてませんから。今日の夕食は醤油とマーガリンで豆腐ステーキ
を食べましたが、胡椒でアクセントつけてみたらこれが美味しかった。そちらでは
味あえないおいしさでしょう。インドの味もおいおい紹介して下さい。
OTU - 01/02/15 23:10:24
コメント:
nyateteさんの書き込みを見て少し思った事を書いてみたいと思います。
(「人間なんだから〜以降の御意見を読んでです。)
人は自由に生きる事を望みます。
笑う事や、喜ぶ為の幸せを感じるのにも、ほんの少しの自由が必要です。
だから、人は自由に生きる事を愛します。
しかし、自由を奪われた命も多くあります。
泣く事や、怒る為の哀しみを感じる事さえ、許されない命があります。
だから、人は自由を奪う者を憎みます。
人は自分の自由を愛するから、他の命の自由を奪う事に憤りを感じます。
憤りを感じるから、人は自分の自由と同じ位、他者の命の自由を愛するのです。
ただの夢見がちな言葉と思われるでしょうが、私は思います。
理想だけでは人は納得しない、だけど、理屈だけでは人は動かない。
人が動くのは、命の自由を愛するからです。
その自由は、笑う事だったり、泣く事だったり、怒る事だったり。
そして、一緒に生きる事だったりするのだと思います。
昂った一方的な言葉と思われるでしょうが、私は思います。
自分だけの自由を愛する人に、真の自由など有り得ません。
己の自由のみを求める者は、己の器を知らず型ばかりの人生を送るでしょう。
他者の自由を征しようとする者は、策に溺れ孤独な人生を送るでしょう。
他者の奪われた自由に無関心な者は、操る人のいない木偶人形によく似ています。
他者の自由に刃を突き立てる者は、その刃が我が身の影をも貫き、その地に縛られた事に気付きません。
私が誰かに話をするなら、こう言うでしょう。
そして、何もかもを理解してくれとは言いません。
その人が、自分の自由を愛する事を認めてくれるだけで充分です。
それは、他者の自由を愛する事だからです。
相変わらずの、夢想的文章です。すいません。
ただ、行動を起こした時の、後始末を心配する前に私はそう考えます。
幸運な事に、自分の名前を示す位の、少しばかりの言葉は持ち合わせてますし。
横やり入れた感じになりました、失礼しました。
PS:nyateteさん、この時期にインドに行かれたので、ホーリー祭も目当てだと思ってたんですが。まだ、やってないですよね。なんか凄い祭りって聞いたんですが。
SHOKO - 01/02/15 18:28:37
ホームページアドレス:http://daizy-wan.hoops.ne.jp/
電子メールアドレス:s-hime@nyc.odn.ne.jp
コメント:
こんにちわ。
私のHPで動物実感をしていない化粧品を紹介したいのです。
リンクはらせていただきます。
私のHPもみに来て下さい。
相互リンクはっていただけたら・・・嬉しいです。
よろしくお願いします。
nyatete - 01/02/15 15:18:27
コメント:
今日は。
再び、コバランビーチ(インド、ケララ州)の「日本語でインターネットが使える」店に
来ております。本当は、もうスリランカに飛びたいんだけど、飛行機の予約がとれなくて
あと、一週間ほどインドにいなくてはなりません。スリランカの滞在が、一週間くらいに
なってしまう。。まあ、別に特に何をするわけでもないからいいんですが。
皆様も、機会があれば(なかなかないかもしれませんが)是非、南インドにベジ料理を
食べに来ていただければと思います。論より証拠、本当においしいので。
しばらく、みない間にずいぶん、たくさん書き込みを頂いてありがとうございます。
。。ちょっと、頭も南国ぼけしてますし、コメントは勘弁させて頂きますが。
・・と思ったけど、やっぱり一言だけ。
「人間なんだから、まず人間のことを考えるべき」というのは、違うと思います。
その意見はたとえば、
「日本人なんだから、まず日本人の事を・・」とか
「男性なんだから、まず男性の事を・・」とかいった言い方と本質的に同じではないか
と思うのです。差別を生み出すだけの発想ではないでしょうか。
執柴酌 - 01/02/14 10:06:18
コメント:
斜酌失写 柴酌宍捨酌篠叱酌 実酌軸漆執実酌鴫鴫鴫鴫鴫鴫鴫鴫鴫鴫鴫鴫鴫
執柴酌 - 01/02/14 10:03:10
コメント:
錯乱坊 - 01/02/14 02:10:58
コメント:
てつさんへ:
いろいろご意見ありがとうございます。
「ネコの去勢手術」については、よくは知らなかったので、関連HPを見ることも
でき、勉強になりました。(現段階では、深夜に見ているので、おおよそ法律関係
とか、概略しかみてはいないんですけどね。後でよく見ておきます)
動物愛護関係の法律については、おおよそ、動物管理者に対する規制という趣旨が
主となっている法律で、しかも、具体的実効性については、都道府県とかの公共団
体が主となっている法律構成のように思われます。
そして、罰則とかについてで規制するという訳ではなく、いわゆる勧告、指導が主
で、それに現状がふさわしくない場合には、いわゆる緊急避難的な措置が執れると
いう仕組みになっているようですね。(いわゆる条例を主とし、本法は総則的存在か?)
まあ・・なんか法律解釈を専門外の者がのべても、感想の域にしかでませんが、こういっ
た仕組みからすると、「去勢手術」の合法性は「野良猫の飼い主になること」が前提条件
となっているように思います。
てつさんのご意見を最初に読み、HPを検索するまでは、「かたっぱしから捕まえて
去勢手術をすることに法的問題は生じないのか?器物損壊にならないか?」
と思ったのですが、こういった、ネコの所有者となって、虚勢手術を行うという手法で
あるならば、可能なわけですね・・・。
しかし・・・去勢手術をし、これ以上増えないようにするという考え方については賛同
できますが、結局は、去勢手術のためにネコを飼いましょうということになり、実際に家で飼う意味ではないにしろ、野良猫の被害にたびたび遭い、ネコぎらいとなっている人からすれば、
「去勢するのは納得できるけど、なんであんなの生かすために、金かけねばいかんのだ。
ネコを飼っている、ネコ愛好家の責任の問題ではないのか」
という、気分的になじまない人もでてくるとは思います。
また、地方公共団体が、収容し、去勢したネコを大量に「動物愛護」の名の下に、税金をつかい飼っていくというのも、不況であえぐ現在の状況からすれば、「動物愛護」に燃えているような人でない限り、一般市民に賛意を得るのは難しいように思います。
いろいろ問題があるようですが、具体的行動の手法の一つとしては、考慮に値するものは
あるようですね。
岡 澪子 - 01/02/13 08:25:58
ホームページアドレス:http://www9.freeweb.ne.jp/family/okamioko/
コメント:
動物の権利宣言を書いておられると聞いてやってきました。大変感動しました。素晴らしいホームページだと思います。
てつ - 01/02/13 01:46:40
コメント:
錯乱坊 様
『・・・私の過失という考え方もできるわけですね。
でも、その後にかかれている「主と従」については、私がネコを袋にしたことの説明と
してなされている訳ではないので、つぎはぎ的な論調のようにも感じますが。 』
主と従の説明は、あなたがネコを袋にしたことの説明ではなく、
あなたがあなたご自身を袋にすべきだった、という結論にいたる正当性を示す根拠を
あなたご自身が提示なさった論拠に従って述べたものです。
『今後は家に侵入しないよう、庭に侵入すると、ただでは
すまないような防衛策を(まあ、どろぼう避けに塀に細工をすることも法的には問題ない
ことですし)考えることにします。 』
”ただではすまないような防衛策”という言葉にトゲがありますね。
攻撃は最大の防御なり、などという考え方でネコを傷つけたりしないように!
主である人間にはそれなりの知能が備わっているわけですから、あなたがその知能を
使って、ネコに危害を加えない方法を考えてくださることを祈っております。
これを機会に、あなたの地区の野良猫に去勢手術をする、などの運動に参加なさるっては
いかがでしょうか? お時間がないのであれば、例え少額でもそのようなことをしている
ボランティア団体に寄付をするとか、あなたにもできることがたくさんありますよ。
人間が主で、動物は従、というあなたのお考えに即した一貫性のある建設的な行動です。
ご自分の家にネコを入れないようにする、という消極的な対策より、野良猫問題を根本
から解決する、というほうが”主”としての人間の役割を主張なさるあなたの考え方に
即したものと言えるでしょう。
そもそも野良猫が存在するのは、主である人間の管理が悪いから、そして、主である人間
が無責任だから、なのですから。
あなたが住んでいる地域でどんな活動が可能かどうか、
http://www3.airnet.ne.jp/dora/cgi-bin/kyodonet.cgi
http://www02.so-net.ne.jp/~nekonet/
などで、調べてみてはいかがでしょうか?
錯乱坊 - 01/02/12 21:45:45
コメント:
いろいろご意見ありがとうございます。
意見をいろいろ読んでみて思ったのですが、まあ、私のような意見のタイプは、
このHPでは「場違い」であったのだろうな・・と思った次第です。
自分としては、動物愛護なるものを主張する団体について、かなり批判的に受け
止めている分、果たしてそういった人たちに自分の意見を投げてみて、その意見
について、どのような受け止め方をされるのだろうか、意見交換により自分の主
張にも深みがでることも、ある一面、期待はしていたのですが。
(人間、いろいろな人と意見を交わし、その考え方にふれることによって、成長
し、考えに深みがでるものですしね。)
きょんさんへ:
ご意見を読ませていただいた感触としては、「様子を見る」「意見の真意をはかる」
といった趣旨で、前回のような意見をかかれたということがわかりました。
ある一面、意見をかかれる人たちについて、分類をして、私のことを「ステレオタ
イプではないか」とお考えの様子はわかりました。
これについては私が、分析することではないし、個々の評価の問題ですから、そういう
タイプにあたはまるというなら、そういうことなんでしょうかね??
ただ・・そうですね・・。頭でっかちで行動しない人云々ということがちょっとかかれて
おりましたが、確かに行動することの大切さは大事です。
でも、場合によっては、後から考えて取り返しのつかないことをしていたと、独善的な
自分の行動に、反省をするときもありますし、人間いろいろなタイプがあって、行動して
から考える人もいれば、よくよく考えてから行動する人もいるわけで、なにが良い、悪い
と考えてしまうのは、性急すぎる気もします。
てつさんへ:
私の過失云々については、なかなか新鮮味の感じるご意見でした。
(なんか感情的な雰囲気も感じないではないですが)
そうですね・・・私の過失という考え方もできるわけですね。
でも、その後にかかれている「主と従」については、私がネコを袋にしたことの説明と
してなされている訳ではないので、つぎはぎ的な論調のようにも感じますが。
しかし、てつさんの言われる「ネコを家に入れた」という過失については、確かにその
面があるとは思いますので、今後は家に侵入しないよう、庭に侵入すると、ただでは
すまないような防衛策を(まあ、どろぼう避けに塀に細工をすることも法的には問題ない
ことですし)考えることにします。
ご意見ありがとうございました。
きょん - 01/02/12 16:54:37
コメント:
えーと、
錯乱坊さん、あまり私の意味合いを読み取っていただけなかったようなのでちょっと補足をば。
(私の説明のせいではあるのですが、直接的に申し上げると角があるもので、難しくて)
単に考え方が違うという次元から私は「パス」とか「身が無い」なんて失礼な表現を
用いてはいません。
結構一般的でよくいらっしゃるんですが、世の中斜に構えて実際自分では何もしないから
独善的になってしまっている頭でっかちな人、そういった人はここを覗いても中身など
熟読するわけもなくケチだけつけて、「自分はどうすべきと思う」とかいう提案は示せず、
逆に誤解を指摘されたりして風向きが悪くなると「勉強になった」というような謙虚な
態度を「示すことなく」頃合いをみて消え去る、こういった方ってほんと少なくないんで
すね(過去ログでもやまほどいますよね、どなたかは嵐とか表現されてたっけ)。
「えっ、独善的なのは動物愛護の人達の方じゃないの?」って思われているでしょうが、
一般の人達よりはこの問題を真剣に考えているぶんだけ「浅はかなんだから」ってな
ところがやっぱ多少は出てしまうもので(これは人権問題なんか社会問題に真剣に取り
組んでいる方でも当然同様な傾向になわけで)、多少独善的にうつるってこともあるで
しょうが、考え方自体が独善的との区分けは必要なわけです。更に言うならば、上記の人
は無意識であるにしろ相手に喧嘩をふっかけているような面があるわけですから、結果的
にこちらの対応も感情的になるって事もあってもおかしくなく、それを独善的といって
逃げ去る口実につながるという側面もあるんでしょう。
で、前に戻って、この上記のような建設的な会話はできずこちらの労力を浪費させるだけ
の人が多いこともあり、且つ、これまでの錯乱坊さんの発言がそういうステレオタイプの
welcomeでない人のそれと似ていることもあって、失礼ながら錯乱坊さんがそうではない
という確証みたいなものがないのが現状で、ちょっと牽制球を投げかけているというところです。このHPの賛同者にも「いつお決まりのものパターン(上記のような)で疲れる
だけだろうから避けとこ」ってな方もいると思うんですよ。
ってな感じで、牽制球の部分の説明は錯乱坊さんの対応をみさせていただいてからとします。
他の方でも私の遠回しな或は抽象的な表現から「意味不明」という部分がありましたら、
尋ねて下さいね。
てつ - 01/02/12 11:06:42
コメント:
錯乱坊 様
錯乱坊さんは、「生態系の維持とか、人間を中心とした環境保持という目的で、
いきすぎた開発を押さえる」とか、「人間あっての動物の権利ですし、
あくまでも主と従の関係ですし」とお書きになっ
ているので、人間が動物を管理すべき、というご意見と判断させていただきました。
だったら、「家に侵入してきた野良猫に、飼っていた鳥を目の前で食われたときは、
捕まえて死なない程度に袋にはしました」という行為は、あなたの主義主張に反する
のではないでしょうか?
野良猫を家に入れてしまったのは、あなたご自身の落ち度。
あなたご自身に管理能力が欠如していたからなので、
あなたが飼っていた鳥が死んだのは、あなたご自身の過失でしょう?
人間が主で動物が従と主張なさるのでしたら、あなたはあなたご自身のことを捕まえて
死なない程度に袋にすべきだったでしょうね。
せっかく「あくまでも主と従の関係です」と断言なさっているのですから、
今後は主である人間の自己責任を全うなさって、一貫性のある行動を取ってくださるる
よう、お願いいしたいです。
主である、ということには、権利と一緒に義務や責任も付随するものなのですから。
自分に都合のいいときだけ、猫が家に入ったのは猫が悪い、と、人間の”主”権を
放棄してしまうのは、偽善的で、あなたの主張の信憑性を疑わざるを得ません。
また、「猿は肉食をしないから、とか、ジャングルにいたころは、とかいう話題も、
過去のでちょっとみましたが(十分にみていないのでちょっと間違いがあるかもしれ
ませんが)猿は猿であって人間ではないし、ジャングルにいたころは、とかいう議論
は進化の問題であって、いずれにせよ、社会を営み、現実に生活している人間の話と
しては、全く別の問題だと、思います。」というご意見ですが、
過去ログを本当にしっかりとお読みになると、
こういう書き込みがなされた真の理由もお分かりになるはずですので、
もう一度ちゃんと目を通されてみてはいかがでしょうか?
菜食主義者が自ら率先して過去を引き合いに出しているわけではない、ということが
お分かりになるでしょう。
肉食者が菜食主義者を非難するときのお決まりの”理論”として、
人間は昔から肉食だったから、とか、 そもそも人間という動物は雑食性であって
肉を食べるのが当たり前、ということをおっしゃるので、
それに対する反論として人類学的に見た場合、人間や人間の祖先が今のように肉を
バカ食いしていたわけではない(つまり今の人間の肉食を正当化するために過去を
引き合いに出すのは的はずれである)ということを示すために、過去に遡った議論に
発展してしまう、という流れなのです。
つまり、肉食者がお決まりの「昔から人間は肉を食べていた」ということをおっしゃ
らなければこのような現代とはかけ離れた話題を出す気は、菜食主義者にはない、
ということです。
OTU - 01/02/12 08:34:14
コメント:
独り言みたいなつもりで書いてたんですが、少しお返事を。
望ましい姿だったから、余計に疎ましいと思うのでしょう。
したい事は出来なくて、出来る事はしたくない。と言った所でしょうか。
思うに、錯乱坊さんの言われているのは
「必要なのは人間が生きられる環境を守る事で、綺麗事で飾ると危機感が薄れるんじゃないか?」
と言う事のような気がします。(違ってたらすいません)
ただ飼っていた鳥を殺された時、猫に怒りをぶつけたのは、大事に思ってたからだと思うんですが
大事に思うと言う事は、自分も大事に思って欲しい事の裏返しな気もします。
それは、人はどんなに力を尽くしても、好きなように生きられない事を示している気もします。
でも、その事がきっかけで、
自分は人に縛られて生きて、こんな風になるのは嫌だ。
自分の身は自分で守るしか無い。
そう思われたのなら、それはそれで納得できます。
それも「自己家畜化」された現代人の、回帰願望かもしれませんが。
皆様へ:後半の文、私が意見を返すべきで無い事。
掲示板の主題には合わない話題であった事。お詫びします
ミル - 01/02/12 03:19:14
ホームページアドレス:http://cgi16.plala.or.jp/mille/
電子メールアドレス:millfeui@mail.goo.ne.jp
コメント:
>錯乱坊さん
錯乱坊さんのようなお考えの方もいらっしゃるという点で勉強になりました。
ただ、菜食主義というスタイルが動物愛護だけからきたものであれば・・・・というご意見でしたが「だけ」だと何かおかしいのでしょうかねぇ?自分の健康、環境、とか動物愛護でなく他をいろいろと考えていればOKということなんですね。
自分にされたら嫌なことは完璧とはいかないまでもなるべく他の動物にもしたくないという考えというのは「だけ」ですまされることではないと私は思っているんですけど。
「独善的」という言葉を使うならば、肉を食うも食わないも全てにおいてあてはまってしまうことだと思うのでそれは菜食主義だけに向けられる言葉ではないですよね。私もそうであり、錯乱坊さんもそうなってしまいます。
あと、人工肉を肉食動物に与えれば・・・・というご意見はあまりに論点がかけ離れていると思いました。(土台無理な話を例にとられてもキツイです)
肉食動物を特別扱いしているのでなく、錯乱坊さんのジャングルで動物に人間が捕食されてもその動物は何も考えていないだろう、というご発言があったので、肉食動物の話が出てきたにすぎません。動物は何にも考えないで肉を食うのだから、人間も考える必要はない、ととれたので。
菜食主義になるにも人それぞれいろいろな理由があるので、こう考えたから正しい。こう考えたからおかしい(または独善的)みたいなご意見が私にとっては一番の疑問だったんですが、まぁ、それも人それぞれの考え方なので、そういうご意見もある、ということで自己完結いたしました。
渚 - 01/02/12 02:37:15
コメント:
**錯乱坊さん**
>確かに、ことしの新聞で、穀物を飼料として使った場合の得られるタンパク質
>の生産量という議論で、畜産は効率が悪いので、効率の良い魚の養殖を主と
>すべきだという意見がありました。
養殖魚のエサが問題ですね。
それが、いわしとか普通に食べれる魚なら、それは効率が悪いし、
人が食べれない魚とかがエサなら効率いいでしょうし。
ただ、普通ベジタリアンは魚を食べないので、あんまりここのHPでは関係
ないかも。
>ただ・・・そうですね・・・。私はそのような大型の動物を殺した経験は
>ないので、断言はできませんが、食料として食べたいということで、そう
>いった機会と必要性があるとすれば私はいくら対象が大きかろうと、人間に
>似ていようと、食用であるということなら、とくに特別な感情はなく、平気
>で殺して食べることができるでしょうね。
かわいそうとか気持悪いという感情は、非常に主観的で、慣れれば屠殺も
どうということはなくなるのかもしれないし、生きた動物とめったに会わない
都会人には、屠殺・解体なんて、普通無理なことでしょう。
飢餓になれば私も、食べてしまうかもしれませんが、今は、食べなくても
替わりのものがあれば、肉を食べる必要はない訳です。
まあ、替わりのもの(植物性食品や乳製品・卵など)では、栄養が足りない、
味覚的に満足できないのであれば問題ですが、味に関していえば
菜食だけでも(ましてや乳製品・卵もあれば)かなり満足できますよ。
菜食指向になるかならないかの違いは、まずは、食べる(殺す)にしても
なんとか苦痛を減らそうと思うかどうか、また、肉なしでも食事が満足
出来るかがポイントだと思います。
>まあ、それは、自分としては、殺して食べるという行為が、生物としての人間の性
>であるとは思っているからですが。
確かに人は食べ物を生物から得てる以上、「殺すして食べる」という行為は
動植物に関わらず避けることは出来ません。
ところが、人の場合は、他の動物と違って、心や文化が進化(或いは変化)
しているので、食べるものも、「食べていいもの(殺していいもの)」
「悪いもの(殺してはいけないもの)」という概念が出てきました。
まず、太古はかなり人食いもあったようですが、それはいけないことになり
ましたし、犬猫のようなペットも食べないことが多くなってきました。
牛・豚を食べないのも、その延長上にあります(少なくとも多くの
菜食主義者はこれが食文化の進歩だと思っている)。
ただ、そうはいっても、モンゴルとか農業が出来ないところの人は菜食主義
なんて出来ないし、菜食主義にもいろいろと課題が多いのも確かです。
錯乱坊 - 01/02/11 21:38:45
コメント:
OTUさんへ:
「自然の一部になりたい」ですか・・・。
はからずも、食物連鎖のサイクルからはずれた人間の存在という立場からすれば、一種の
過去への回帰願望ともいえなくもないですが、でも、生物としての人間として考えてみると、そういった姿はあこがれであるかもしれませんね。
思うに、動物の餌となっていた我々の先祖が、いろいろ努力し、生活を向上させ、周りの人間すべてを食物連鎖の犠牲者とならないように努力してきた結果が、いまのような食物連鎖からはずれた生物としての人間の姿であると考えたならば、それはそれで、過去の先人たちが望んだ望ましい姿ともいえなくもないですが。
でも、それが幸福かどうかは、個々の人間の受ける気持ちの違いで個人の数だけ、その考え方はでてくるでしょうから、哲学的な問題でもありますね・・・。
きょんさんへ;
私が書いた回答について、一応お答えしていただいて、感謝いたします。
まあ、これ以上意見がかみ合わないと言う点では、私も一致していますので、これ以上きょんさんと意見を交わす実益はないかもしれませんね。
ふーむ、まあ、でもきょんさんがいうような解釈の仕方を、私が持っているかということについては、すこし違いますので、訂正しておきたいと思います。
正確には、「自分は好きなように生きるし、また他人がどう生きていこうとしったことじゃない。他人から自分が迫害を受ければ、他人がどういう人であろうと、事の当否に関わらず、自分のために、全力でどんな手段を使ってでも妨害を排除する」ということですね。
(まあ、でも、そうは言っても、社会的ルール、法律には従い、犯罪行為や自分のエゴを押しつけるといった傲慢さを肯定しているわけではありませんが。)
でも・・・「反動物愛護運動のお相手よりも実のある・・・」というくだりについては、私のイメージする動物愛護者によくある言動なので、やはり。という気がしないでもないですが。(きょんさん、ごめんなさいね)
OTU - 01/02/11 19:44:14
コメント:
「動物は人間に気を使わない」って意見や「主従」って言葉が出てるので、それに関して感想を。
動物が人間に気を使わないのは当たり前だと思います。彼等は自然を主にして、自然に従ってるんだから。
余計な横やりを入れなければ、自然の出した条件に耐えられない者は絶滅して、自然に喰われます。
そして、自然の出す条件に耐えられる者は、必死で生きていきます。
従の立場をわきまえ、主に喰われる事を考える必要無く、為しながら生きていける天賦の才が、彼等にはあります。
でも、人間は従の立場にありながら、主を喰おうとするから、天賦の才を失ったし天与もなくなった。
それは、やっぱり食物連鎖から外れた事だったりするのだと思います。
生き物も自然の一部という意見もあると思う。それはそうです。死ねば土に返るし、そこから花も咲くだろうし。
でも、それを人間は言えるんだろうか?
主を喰らおうとする人間に、そんな恩恵を授かる資格なんてあるんだろうか?
従の分をわきまえた命を利用していいのだろうか?
彼等の天賦の才に嫉妬しながらも、私は「自然の一部」になりたいと思います。
この書き込みに対して、植物はどうなんだ?って話がまた出てくるような気もしますが。
幸運にも、植物は種を落としたり、残った分でもう一度、芽も出してくれるので細々と頂きます。
「都合良すぎる」そう言われればその通りです。
でも、自然の全ての領域に存在する矛盾を自由に出来るなら、私はここに存在してません。
本筋からずれるのを承知で、自分が思った事をただ書いてみました。失礼しました。
きょん - 01/02/11 19:37:10
コメント:
散乱坊さん。
やはり大事なものは存在しませんでしたか。予想はしていましたが….。
そして、おっしゃることも心外でしょうが「自分は好きなように生きる、但し他人から
如何なる迫害・虐待を受けようと文句ない」という考えに通じているもののように
うけとれてしまっているもので、錯乱坊さんの各論に対してのコメントは現段階ではパス
させていただいて、他の方が気になさっている外国の「過激な動物愛護運動」に関して
寧ろここのHPに賛同する方に向けてちょっと。
確かに日本ではほとんどない過激行為なのになぜか動物愛護運動は過激*というレッテル
を貼って「逃げ逃げモード」に入る日本の動物利用者(一部の一般人含)は多いですね。
*実際、ざっくり言えばGlobalでもALFだけなんでしょうが、まぁそのあたりはちょっとおいといて。
でもって、海外のごく一部の過激な行為ですけど、私も当初は「こんな事するから、動物
愛護のイメージがさがるやんか」という反発を覚えていたものです。但し、自分がいろ
いろ経験するうち、実は彼らの熟考した上での「One of their Strategy」のように感じて
きましたのでそのあたりをゆっくり説明させて下さい。
「他人の考えを認める」「画一化しない」点では欧米の方が日本よりは先進的ですが、
基本的に「人間第一」、「(人間社会における)弱肉強食」が一方でかなり浸透している
事実もあるかと思います。まぁ、日本でもかわりないといえばないのでしょうが、
どんなに動物愛護を唱えても、権力に守られヒトの強い欲望に直接つながるものというの
は一朝一夕にくつがえらないという状況は存在しているでしょう。
そして、そのくつがえらない典型が「肉食」であり「動物実験」なわけです。
先の肉食に関しては、話し合いの土俵に立てないほどの幼稚な感情的な反発を受けるのは、
Globalに日常茶飯事でしてここのHPではまだ少ないほうでしょう*。
*残念ながら一般常識でもある「思慮浅い動物愛護蔑視」ってへこまされがちですからね。
って私もへこますOne of themか(笑)。
でもって、後者にしても金儲けしたい医療業界が「医学の発展の為に行う動物実験」と
唱えれば、「そりゃ自分は健康に長生きしたいから仕方ないでしょ」ってな安易な「動物
実験放任」につながるわけです。一般人の多くは健康なわけでして、さすればそんなに
真剣に医療のことなんて考えていないもんで、「動物実験を放任しているようなところで
医療の発展は望めない」なんて逆にピンと来る人が少なくなるわけです。
その結果、「白い巨党」で揶揄されるほどの閉鎖性という壁は、外野の一部の正論なんて
屁でもないほど堅牢になり、この厚い壁の打破に結果をだすのが時に「実力行使」しか
なかったりするんではと思うわけです。
ちょっと堅苦しく言ってきましたけど、PeTAやIFAWといった正攻法だけじゃ
今一つ力不足だからALFは計算ずくでちょっと派手だけど動物を救う実践を行っている
んではなかろうかって事です。しかも自分達がアウトローであることも認識した上で。
もう少しわかりやすい例で示すと、おいしいものを奪わす事は容易であり、時にそれを
持ってる人の顔を踏みつけるような行為はおろか殺しも厭わず奪ってしまう。
逆においしいものを奪われた人の気持ちを考えさせ踏みとどませることの困難さ。
そんなヒトの醜い性(サガ)を十分に認識した上での対処の一つとして正攻法+αの
実力行使に及んでいるのではないかと。
確かに盗みや建造物破壊なんかもするけどそんな程度といえばそんな程度で、所謂、殺し
を厭わない一般的なテロリストとは完全に一線を画しているし、マスコミはそんな行為を
騒ぎ立てがちで(そりゃマスコミの広告主の利益に反する行為ですから)「過激」という
修飾語を使い非難めく記事にしがちなものだから我々も知らぬ間にそう思わさせられて
いるだけのことで。
勿論、彼らもこの悪評による動物愛護運動への弊害と自分達の実践性を天秤に掛けていて、
今のところ弊害より実際に救いだせる効果の方が高いと評価している状況なんではなかろうかと。
であるからして、ALFもARがもっともっと市民権を得て広まれば、自らその存在を
消しそうな、そしてそんな日を一番望んでいるのがALF自身のようなそんな気がして
ます。
こう考えてくると、私は個人的にはALFの行動を全面的に支持はできませんが(なんせ
正統派のつもりなんで(笑))、私なんかより遥かに動物達の事を考え、且つ行動も出来る
勇気ある人々なんではないかと、そう思う今日この頃です。
結構、このHP賛同者の方にも新鮮な意見・ものの見方だったかと思いますし、人に
よっては??でしょうが、まぁ、恒例の反動物愛護の方のお相手よりは、身のある話に
なるでしょうから、まずはこちらを優先させてみました。
錯乱坊 - 01/02/11 19:25:47
コメント:
いろいろご意見ありがとうございます。
私の方は、ちょっとPCのモニタ修理に出していたので、カキコが遅れてしまい
申し訳ありません。
さて。
渚さんへ:
ご意見いろいろありがとうございます。
大筋において、ご意見はそれほど私とは隔絶はしてはいないと感じました。
前回書き込みをした後に、ふと思い出した事項に、渚さんが言われている
「家畜を育成するのに穀物が大量に必要となる」
ということが、意見に盛り込んでいなかったなあ・・・と思いました。
確かに、ことしの新聞で、穀物を飼料として使った場合の得られるタンパク質の生産量
という議論で、畜産は効率が悪いので、効率の良い魚の養殖を主とすべきだという意見が
ありました。
菜食主義か否かという問題のほかに、将来的な食料増産という点では、畜産より魚の養殖
といったものに移行していくべき必要性がでてくるのかもしれないとは、私も感じています。
あと・・・そうですね・・。
まあ、肉食の問題について、渚さんは、自分より大型の動物は殺せないということですが、
たしかに、気分というか、感情というか、そういった面では、そういった気持ちをもたれるのは私も理解できますね。
ただ・・・そうですね・・・。私はそのような大型の動物を殺した経験はないので、断言はできませんが、食料として食べたいということで、そういった機会と必要性があるとすれば
私はいくら対象が大きかろうと、人間に似ていようと、食用であるということなら、とくに
特別な感情はなく、平気で殺して食べることができるでしょうね。
まあ、それは、自分としては、殺して食べるという行為が、生物としての人間の性であるとは思っているからですが。
まあ、大体虫にしても、害をなす(たとえば刺されるとか。毒虫とか)ですと、自分の存在に対する脅威として、ためらいなく、つぶしたり、ひきちぎったり、頭もいだりは、大きさに関係なくできますし。
その対象に、自分を投影してしまうというか、そういったことがあると、ためらいもでるでしょうが、私としては、そういった感情はあまり持たないようにすることもできるとは思いますし。
しかし、こう書くと、なんか私が非常に残虐で、血も涙もないような人間に思われてしまうかもしれませんが、どっかの銀行員のようにネコを呼び寄せてボウガンで撃つなんてことは、できませんし、そういった行為をすることについては批判的です。
(でも、家に侵入してきた野良猫に、飼っていた鳥を目の前で食われたときは、捕まえて死なない程度に袋にはしましたけどね)
まあ・・・なんか過激な内容になってしまいましたが。(でもこんなこと書くと、ネコ愛好家は目をむくんだろうなあ。)
mistycafe - 01/02/11 12:13:49
ホームページアドレス:http://izumo.cool.ne.jp/fairyrose/
コメント:
熱い会話ですねぇ。勉強になります。
それにしても・・・3匹の子豚さまぁ。
ほんと、わたしからもひとこと。
あのぉ。わたし豚たべてないんですけどぉ。
みんなそうですけどぉ。ベジの人はぁ。
渚 - 01/02/10 12:18:53
ホームページアドレス:http://www.ivu.org/japanese/faq/
コメント:
**錯乱坊さん**
横レスですみませんが、ちょっと意見を。
>しかし、現行の日本の畜産をされている方々のシステムのように、牧場で家畜を
>飼い、それを食肉用として、提供するということについては、それが環境破壊
>だとは思えませんし、そこまで否定して、肉食をやめようとかいうのは行き過ぎ
>ではないかと思います。
現行の日本では、穀物飼料で育てることも多いので、当然、輸入しています。
世界人口の爆発による食糧不足が心配されている中、世界の穀物生産の約1/3
が穀物飼料用に使われてる現状からすれば、日本の牧畜も当然、環境に
負荷をかけてるし、牧草も国産は高いため、かなりの量を輸入してます。
>将来的には、細胞培養の技術が進んで、食肉用の、要するに「もも肉」とかの
>培養ができるようになれば「手足」には、意志がないわけですし、「肉の
>かまたり」にしかすぎないわけですから、そういった、「動物がかわいそう
>だから、肉食は必要ない」という、議論をする問題もなくなるとは思うん
>ですけどね。
いまのバイオテクノロジーの技術からすれば、組織培養で、牛のレバーだけとか
カツ肉だけを大量生産出来るようになるのは時間の問題です。
ただ、肉自体気持ち悪い人はそれでも食べないだろうし、問題は、コストで
しょうね。殺すのは嫌だけどどうしても食べた人はそれでもいいのでは。
>「猿は肉食をしないから、とか、ジャングルにいたころは、とかいう話題も、
>過去のでちょっとみましたが(十分にみていないのでちょっと間違いがある
>かもしれませんが)
サルでも、肉食を比較的行う種類もいまして、チンパンジーは狩りもするし、
獲物は、小動物や小型のサルです。ゴリラは、ほぼ菜食ですが、それでも、
ごくわずかではありますが、昆虫とか食べてます。
>そういった意味で、一部の動物愛護者が、実験動物を盗みだすような犯罪行為を
>したりするような、強硬な行動は、一般人から受け入れられないのだろうと、
>私は見ています。
日本の動物愛護運動をしている人でそこまでやる人は凄く少ないと思いますが。
>ただ、人間あっての動物の権利ですし、あくまでも「主」と「従」の関係ですし、
>「主」が危うくなれば、「従」には負担がかけられるのは当然の結論だと思います。
主従は、結局力関係で決まるものだから、当然でしょう。
ただ、負担をかけなくても済むのに、ひどく負担をかける必要もないと思うの
です。たとえば、最近、リアルファー(本物の毛皮)が流行っていますが(という
か流行らせようとしてる)、合成毛皮もあるのに、そこまで動物を犠牲にして
着飾りたいというのはおかしいと思います。
>動物愛護者(特に外国人)の方々の過激な方々は、「主」と「主」と考えている
>ようなので、そういった方々の行動を見ていると、「この人たちは、自分が人間
>だということを考えているのだろうか」と思う次第です。
なかには、そういう人もいるでしょうね。
結局、人は自分中心で生きてるし、それで当然と私も思います。
ただ、動物愛護といっても、「動物の権利」派と「動物の福祉」派があり、
菜食主義者の間でも意見は分かれるでしょうね。
(たとえば、動物といっても、権利があるとみなされるは哺乳類だけか?
他の動物はどの程度権利があるのか?その辺とか私は疑問に感じる)
渚 - 01/02/10 11:41:36
ホームページアドレス:http://www.ivu.org/japanese/faq/
コメント:
**錯乱坊さん**
>ただ、菜食主義というスタイルが、動物愛護という視点からきた行為であり、
>それだけの理由だけでやっているとしたら、やはり私は肉食ということに
>対する前回書いた意見から鑑みれば、独善的なのにおいを感じざるを得ません。
人の食べ物は、進化や環境の変化、技術の発達でどんどん変わっていくものです。
動物愛護から肉を食べなくなるのは、極端で偽善的なのでは?ということを
おっしゃりたいのだと思いますが、錯乱坊さんは、牛とか豚とか自分で屠殺解体
して、食べることが出来ますか?
腹が減っていたら、仕方なく食べることもあろうかと思いますが、大型哺乳類くらい
の動物になれば、普通の人は、ちょっと屠殺とか解体なんて出来ないのではないで
しょうか?ある程度感情がある動物なら情が移ってしまうとか、
かわいそうとか、血とか内臓を見るのが気持悪いとか感じると思います。
もっとも、それは主観的な側面もあり、個人、民族、時代で相当変わってきますが、
血を見る恐怖感とか嫌悪感というのは本能的だと思うし、だからこそ、嫌な気持を
起こさないように、焼いたり、ミンチにしたり、罪悪感が起こりにくいような方法
で料理するのです(食べてうまいのと矛盾するが)。
今時の肉は、もとの形が分からない状態で販売されてるし、ハンバーグのように
ミンチになってしまったら、もっと分かりません。このような状態では、食肉が
作られる現実は分からないしし、菜食主義者は単に偽善でやってるんじゃないの?
というふうに肉食者は思うことも多いでしょう。
それと、菜食主義でも、動物愛護ではなく、単に健康のために実践している人
も多いし、動物愛護主義者でも、肉を食べる人も多いです。卵や牛乳もOK
な人、魚も食べる人、さまざまです。栄養的に問題なければ、どんなスタイル
でもいいと思うし、それに偽善とかで菜食を続けてもそんなに長続きしないと
思いますよ。
私自身の基準としては、自分の体より大きい生き物は殺したくないと思って
いますので、牛・豚は食べません。逆に小魚とかは、基準内なので食べてます
(自分で、殺して料理しても、さほど嫌悪感を感じない)が、このスタイルで
14年くらい無理なく続けてるし、別にステーキとかハンバーグを食べたいとも
感じませんね。
錯乱坊 - 01/02/10 11:24:11
コメント:
いろいろご意見ありがとうございます。(書き込みが早いと意見のテンポも新鮮でいいですね)
さて。前回の意見に関して書き込みをいただいたので、また意見を書きます。
(なんか独占しているようで気が引けますが)
ミルさんへ:
「家畜を必要以上に飼育し、環境破壊する現状」ということについては、以前私も環境破壊を取り上げた番組を見ていて、南米の地域で、あるハンバーガーメーカーの牛肉をやすい値段で維持するために、ジャングルを切り開いて牛を飼い、結果、砂漠化しているという問題を見ており、この点については、私も批判的な意見を持っています。
また、どこだったか定かでないのですが、あれた土地にも関わらず、農耕とか森林保護という方向ではなく、昔ながらの放牧を続けるために、砂漠化が進んでいる地域があることも、聞いてしっているので、「必要以上」というか「ふさわしくない地域で飼育」することによって、環境破壊になるという現実については、私も批判的意見を持っています。
しかし、現行の日本の畜産をされている方々のシステムのように、牧場で家畜を飼い、それを食肉用として、提供するということについては、それが環境破壊だとは思えませんし、そこまで否定して、肉食をやめようとかいうのは行き過ぎではないかと思います。
もちろん、畜産の方法として、狭い不衛生な厩舎に詰め込んで、工業的に畜産を行うということについても、衛生面で生産された食肉に疑問はありますから、私としては、あまり肯定できません。
結局、畜産で食肉を生産し、それを食用にするというのを否定的に考えるのは、「動物に意志」があり、「人道的に」それは苦痛である、ということでしょうから、将来的には、細胞培養の技術が進んで、食肉用の、要するに「もも肉」とかの培養ができるようになれば
「手足」には、意志がないわけですし、「肉のかまたり」にしかすぎないわけですから、そういった、「動物がかわいそうだから、肉食は必要ない」という、議論をする問題もなくなるとは思うんですけどね。
「肉食動物」については、特別扱いをしているようですが、考え方によっては、肉と同じ組成をもった人工肉は石油で合成できるわけですし、豆類のタンパク質を加工して、肉食獣に与えれば、かれらは結局はほかの動物を補食する必要もなくなるわけですから、やりようによっては、「特別扱い」して議論からはずすこともないと、おもうんですけどね。
猿は肉食をしないから、とか、ジャングルにいたころは、とかいう話題も、過去のでちょっとみましたが(十分にみていないのでちょっと間違いがあるかもしれませんが)猿は猿であって人間ではないし、ジャングルにいたころは、とかいう議論は進化の問題であって、いずれにせよ、社会を営み、現実に生活している人間の話としては、全く別の問題だと、思います。
動物愛護というのは、結局、動物に対する人間の目から見た、人間の定規ではかった基準を元に主張している一方的な考えであり、発端は、「同情」「哀れみ」からきているものではないのかな・・・と思います。
動物は、人間がどうなろうと、日々の生活だけで精一杯で、人間のことにはなんの興味も意見も持っていないはずです。そして、私たち人間も、人間である以上、人間を一番に考えるべきであり、人間社会の維持調和、環境の維持という点で動物を見て、どのように管理し、人間社会の維持に貢献させ、役割を持たせるべきか、ということ視点で考えていくべきだと、私は思います。
そういった意味で、一部の動物愛護者が、実験動物を盗みだすような犯罪行為をしたりするような、強硬な行動は、一般人から受け入れられないのだろうと、私は見ています。
長々と書いてしまいましたが、私としても、生態系の維持とか、人間を中心とした環境保持という目的で、いきすぎた開発を押さえる一手法として「動物の権利」(特に野生動物)
を求めるというのはいいことだと思います。
ですから、動物の権利を否定するつもりはありません。
ただ、人間あっての動物の権利ですし、あくまでも「主」と「従」の関係ですし、「主」が危うくなれば、「従」には負担がかけられるのは当然の結論だと思います。
動物愛護者(特に外国人)の方々の過激な方々は、「主」と「主」と考えているようなので、そういった方々の行動を見ていると、「この人たちは、自分が人間だということを考えているのだろうか」と思う次第です。
・・・なんか、偏った意見になってしまったかもしれませんが、個人的見解を述べただけですので、そこのところをご理解いただけると幸いです。
ミル - 01/02/10 01:02:01
ホームページアドレス:http://cgi16.plala.or.jp/mille/
電子メールアドレス:millfeui@mail.goo.ne.jp
コメント:
あのぉ、
>三匹の子豚さん
このページの過去のログとか読まれた上のそのようなことをおっしゃっているのでしょうか?
それともただのイタズラ???
>錯乱坊さん
肉食が当たり前というのは、よくある菜食主義に対する反論でしかありません。
動物をひきあいに出すのであれば、肉食もあり、菜食もあり、「当たり前」というご意見はどうかと思います。
食物の困らない環境にいるからそういう意見が言えるというご指摘がありましたが、困らないどころか必要以上に家畜を飼育し、環境を破壊する現状がある、ということはどうお考えですか?
なんかですねぇ、前にも、というかいつもそういう意見があるんですが、なんで肉食動物のことを出してくるんですかねぇ。(もう「お決まり」なんですけどー)
肉食動物は肉を食べなければ死んでしまうんですよ。狩に失敗したら即自分の命、子どもの命が危なくなるという状況で生きてるわけですよ。人間もそうなんですか?(違うと思うからそう言ってるんですけど)もちろん地域によっては野菜が摂れずそういうところもあると思いますけどね。まあ、僕は肉意外食えない体質だから肉食動物のように自分で狩して食わないと死んじゃうんだよ、っていう人がいたらまだ納得するんですがね。
でも、錯乱坊さんはそうじゃないんですよね?(タンパク質アレルギーみたいですし)
恵まれない人達の方が先決というご意見もよく聞きますけど、家畜を育てるために貧しい国(土地も安い、人件費も安い)の土地を経済大国が買い占め、年々その土地を不毛地帯にしている現状、家畜に与える穀物のほんの10%で全世界の食べるものに困っている人々を救えることを(なんでそうなるかはネットなどでお調べ下さい)考えたらそんなこと言えないと思うんですがねぇ。なにもチャリティーってのは募金したり、いらない毛布を寄付したりすることだけじゃない、ってことですよ。
なんで「動物の権利」とか「動物愛護」とか言うとそんな神経質に反応なさるのか不思議です。そういう人にかぎって「嫌いだから」とか「体質の問題」とか言うと受け流すくせに「動物がかわいそう」とか言おうもんなら反発をするんですよねぇ。
3匹の子豚 - 01/02/09 20:54:42
コメント:
とんかつ食べた、そのお口で 「いのしし殺すな」ってよく言えるね。
ぶたなら、殺していいってか?
錯乱坊 - 01/02/09 20:42:46
コメント:
このHPのアクセス歴は浅いので、私が書いた意見に対してこんなに早く意見がかえってきていることは、まじめな方が参加されているなーと感じつつも、ちょっとうれしい気もします。
わたしの意見について、菜食主義の視点で意見をかかれた方、そして、具体的に説明というか議論というか、そういった内容の書き込みを頂きありがとうございます。
ちょっと前回は、長々と書いて、後で読んでみて、一回の投稿にしては、長くて読めづらい用にも感じたので、十分ではないかもしれませんが、簡潔に意見を書きたいと思います。
(これでもちょっと長々してしまいましたが ^^;)
菜食主義の方へ:
菜食主義については、私もできるなら健康の維持という点で、私もそれに近い生活をしたいとは思っておりますので(ちょっとタンパク質アレルギーの気があるため)、特にそれがどうという意見はありません。
健康にもいいとは思います。
ただ、菜食主義というスタイルが、動物愛護という視点からきた行為であり、それだけの理由だけでやっているとしたら、やはり私は肉食ということに対する前回書いた意見から鑑みれば、独善的なのにおいを感じざるを得ません。
まあ、でも、個人的生活スタイルの範囲内で行われているのであれば、個人の自由ですし、問題になることではないとは思いますが。
きょんさんへ:
うーーん。「自分を犠牲にできる大切な人」ですか。
申し訳ありません。正直にいいますと、自分が一番大事だと考えていますので、犠牲にしてまで大切にする存在はありませんね。
自分のことを一番わかるのは、やはり自分ですし、どんな状況におかれたとしても、自分を弁護し、守っていけるのは、自分しかないと考えております。
また、生まれるときは、母親と共同作業で生まれるかもしれませんが、人生の終わりの瞬間は、自分が一人でその終末を迎えるのだと考えておりますし、また、身近にいる人、友人、身内にしても、それは所詮、その生きてる瞬間に一緒にいるだけの存在だと考えているからです。
たとえていうなら、人生とは、川の流れを下流(人生の終末)に向かって流れていく笹舟(自分)だということです。そして、周りにいる友人や、身内はたまたま流れが同じになって寄り添いながら流れていくほかの笹舟だということです。
そのようなイメージで、私は、人生というもの、生きていくということ、そして自分の終末(死の瞬間)というものをとらえているので、「自分を犠牲にできる大切な存在」は「ない」のですし、また、大切なのは自分ということになるのです。
こうかくと、「なんという独善的な考えだ」と憤慨されるかもしれませんが、これも一つの考えだとご理解していただけると幸いです。(無理に理解を求めるつもりもありませんが)
なんか、期待に添える回答ができなくてすみません。また、ご意見を書き込みいただければ、少しづつ、意見を深めていきたいです。
きょん - 01/02/09 12:32:09
コメント:
錯乱坊さん。
あなたの自分を犠牲にできるような何か大切な人(もの)は何でしょうか?
失礼ながら動物愛護(少なくともここのHPの主な主張)を正確に把握しているようには
思えませんので、あなたの大切なものを例にあげて説明するが最もわかりやすいかな?っということで
PS:皆様へ。
そう言えば追加の捕鯨の話も書きこんでないや〜ですね。ってのも、読んで欲しい人が
あんまし掲示板をきちんと読んでる感じがしないもんだからってなところもあるんですよね。
渚 - 01/02/08 22:18:53
コメント:
はじめまして!
管理人ではないのですが、菜食主義について私見を述べさせて戴きます。
>さて、このHPのかかげる動物愛護についてですが、わたしの個人的見解からすれば、
>生物の生きていくという、宿命からすれば、肉食もあたりまえのことですし、かれら
>の主張する動物愛護というのには、同意できない点が多くあると思っています。
ヒトの歴史からすれば、肉食は必然であったと私は考えますが、
条件さえ整えば、菜食でも十分生きていけます(特別体によいかは私は
分からないけど、少なくとも普通に生活は出来る)。
>そもそも、生物として生命を維持していくためには、すくなからず、ほかの生命を
>犠牲にしていかなくてはいけないわけで、地球上の食物連鎖はそのようなシステムに
>乗っ取って調和がとれている訳ですし、
ヒトの祖先は、植物性食品を主体として、一部、昆虫などの動物性
食品も食べていたようです。ヒトは霊長類の中でもずば抜けて肉を食べる種です
が、これは、熱帯のジャングルのような恵まれたところ以外にも住むようになって
(氷河期で熱帯ジャングルの面積が小さくなったりした)からのことです。
農業技術の発達していなかったころは、肉もかなり必要だったはずですが、
その進化の過程からすれば、基本は菜食だと思います(ただ適応力が非常に
あるので、肉が主食でも生きてはいられるが)。
>動物愛護を主張する人たちは、まるで動物と人間は同列であるかのような主張を
>していますが、たとえば、人間は、肉を口にするとき、その犠牲になった動物の
>ことを考えるかもしれませんが、たとえばジャングルで人間が食物として動物に
>襲われたとき、その動物は、食物としての人間に対して特別な感情や考えをもつ
>でしょうか?
少なくとも、生物の種類によって、貴賎の差はなくても、取扱いに(というか
人と生物との付合い方)おいては、「区別」されるべきだと思います。
同列といっても全く同列ではないでしょう。しかし、現在のヒト以外の生物は
原則何をやっても許されるような状況がいいとは思いません。
>動物愛護だのと主張する人は、その人がおかれている環境が、食物に困らない環境
>におかれているからこそ、そんな主張ができるのだという認識をもっと持つべきです。
確かに、低緯度や乾燥地域のような自然環境の厳しいところでは、
農業が成り立たず、放牧や狩猟を中心とした生活しか出来ない場合もあります。
そういう意味では、菜食主義が全人類普遍の食事方法として、普及するのは難しい
のかもしれません。しかし、農業技術の発達によって、菜食も多くの国で
可能になってきたのです。
>そして・・・これはまた私の個人的見解で申し訳ありませんが、動物愛護うんぬんを
>いうなら、そういった動物が食物とならないように、経済的にめぐまれない国に
>対する援助をまず始めるべきではないか・・・と思います。
動物愛護は、まずは、身近なところで出来ることから始めることが重要です。
経済援助が具体的にどのような結びつきで動物愛護に繋がるのかは、よく分かりません
が、それはまた別問題だと思います。
菜食は動物愛護で始めた方も多いですが、単に食べ物として気持ち悪いので、
食べたくないという側面も強いです。おいしいのに我慢して食べてないとは限らない
のです。
錯乱坊 - 01/02/08 21:19:30
コメント:
銀行員がボウガンでネコを撃っていたというニュースをみて検索していたら、このページにたどりつきました。
この手の内容については、いろいろ意見が分かれ、突き詰めるとなかば争いに近い論争となりがちな話題ですので、こういった意見の書き込める掲示板を運営されている管理人の方には尊敬の念を感じます。
さて、このHPのかかげる動物愛護についてですが、わたしの個人的見解からすれば、生物の生きていくという、宿命からすれば、肉食もあたりまえのことですし、かれらの主張する動物愛護というのには、同意できない点が多くあると思っています。
そもそも、生物として生命を維持していくためには、すくなからず、ほかの生命を犠牲にしていかなくてはいけないわけで、地球上の食物連鎖はそのようなシステムに乗っ取って調和がとれている訳ですし、動物愛護を主張する人たちは、まるで動物と人間は同列であるかのような主張をしていますが、たとえば、人間は、肉を口にするとき、その犠牲になった動物のことを考えるかもしれませんが、たとえばジャングルで人間が食物として動物に襲われたとき、その動物は、食物としての人間に対して特別な感情や考えをもつでしょうか?
動物愛護だのと主張する人は、その人がおかれている環境が、食物に困らない環境におかれているからこそ、そんな主張ができるのだという認識をもっと持つべきです。
そして・・・これはまた私の個人的見解で申し訳ありませんが、動物愛護うんぬんをいうなら、そういった動物が食物とならないように、経済的にめぐまれない国に対する援助をまず始めるべきではないか・・・と思います。
spiffy - 01/02/07 23:26:14
電子メールアドレス:my nameis andrea ...and my friend is anise
コメント:
樹里 - 01/02/06 13:56:01
ホームページアドレス:http://www05.u-page.so-net.ne.jp/ga2/holyike/mama.htm
電子メールアドレス:jiyuri@goo.ne.jp
コメント:
あなたのHPが気に入ったので
リンクを張らせてください。出きれば相互リンクおねがいします。
これからもよろしくお願いします。
mistycafe - 01/02/05 20:33:23
ホームページアドレス:http://izumo.cool.ne.jp/fairyrose/
コメント:
mailで市長様へお願いだけでもさせて頂きました。
微力ながら、少しでも、いのししさんたちが、守られる
手助けになることを、祈ります。
レイチェル - 01/02/04 17:45:11
ホームページアドレス:http://www2.tky.3web.ne.jp/~meme/index.html
コメント:
JAVAメンバーの方が、私に以下のメールを転送してきましたので、皆さんにもお知らせします。沢山抗議文がいったほうがいいと思うので、皆さんもご協力ください。
私は、長崎県 松浦市 市長宛に、以下の文章をオーストラリアからFAXで送りました。
「被爆地としてオーストラリアでもよく知られている長崎県がどういうことをしているのかオーストラリア、アメリカ、イギリス、カナダなど英語圏の人々に広く知らせたいので、いのししの処分法に関して詳しくお知らせ下さい。オーストラリアやヨーロッパでは、野生動物が増えすぎたり、人間に害を与える場合は、人道的な処置をとり、別の場所に移住させたり、避妊措置を施すなどしているので、日本の”すぐ殺す”という方法は、とても興味深いものです」
皆さんも緊急に抗議してください。
以下は、JAVAのメールより抜粋。
「緊急!イノシシのしっぽに報奨金命をモノ扱いした長崎・松浦市に即時、抗議してください!狩猟期間が2001年2月15日までです。どうか、緊急にご協力お願いいたします。長崎県の松浦市では、捕ったイノシシの尻尾を証拠として市役所に持ってくれば、1
本につき、1万円支払っていることがが明らかとなりました。
・すでに当初の予定の50頭を駆除したが、現在も尻尾を受け取っている。ただし、予算が50万円だったため、その後の支払いは止めてある。
・イノシシの生態調査などは行なっておらず、当初の予定であった50頭という数も、何の根拠もなく、決めた。
・今年も7月以降、稲の被害がひどければ、再度有害駆除を行なう可能性がある。
・イノシシを殺さないで農業被害を防ぐ対策としては、電気柵設置を試したのみで、他の工夫・努力をしていない。
<抗議・要望例>
「イノシシの命を何だと思っているのか。イノシシは賞品じゃない。」
「お金がもらえるとなれば、むやみな駆除につながる。すぐに止めろ。」
「狩猟者のお金儲けに税金を使うとは何事だ!」
「どんどん、駆除をしてイノシシが絶滅したら、どう責任を取るのか。」
「自治体は動物愛護を推進すべきなのに、何を考えているんだ。」
「駆除に報奨金を出しているなんて、他の自治体では聞いたことがない。 松浦市の感覚を疑う。」
「子供がお小遣い欲しさに、罠を仕掛けると言っている。大人の反倫理的な行為をどう説明するのか。親としても困る。すぐに止めて欲しい。」
「駆除を決める前に、生息数等の調査をきちんとしたのか。何も調査していないとなれば、職務怠慢も甚だしい。」
「イノシシを殺さないで、農作物被害を減らす方法を何か試したのか。動物の命がかかっているのだから、あらゆる方法を考え、努力するのが当然。少々の努力であきらめ、駆除に踏み切ったとしたら、松浦市が命を軽視している証拠 。」
「人間がイノシシの住み処にどんどん近づいて、農地にしているのに、イノシシを殺すのはかわいそうすぎる。」
抗議は「松浦市 市長殿」宛にされても良いでしょう。担当課名や市長名を聞くために市役所にお電話されて「イノシシ駆除の件で、意見を言いたいので教えて欲しい」と言うと、市民の関心の高さが伝わりますので、この方法も良いでしょう。
<抗議先> 長崎県 松浦市役所
〒859-4598 長崎県松浦市志佐町里免365番地
TEL:0956-72-1111(代表) FAX:0956-72-1115(代表)
E−mail:matsuura@try-net.or.jp
農家の方は「被害を無くして欲しい」と言っているのであって、「イノシシを殺して欲しい」と言っているのではありません。ですから皆さんから「イノシシを殺さないで」という声が農家の苦情を上回るぐらい多く届けば、市は「被害を無くし、かつイノシシを殺さない」施策に力を注ぐことになります。そのため、何度でも抗議してください。」
以上、JAVAのメールより抜粋。
nyatete - 01/02/01 14:57:45
コメント:
>ひろ様
はい、私のいるところはほとんど南の端なので直接の影響は全くありません。
新聞では連日、大きく報道されていますが。
地震としてはそれほど大規模なものではなかったみたいですが、地震なんて全然、
予想されない地域で起こっただけに建物がひとたまりもなかったみたいですね。
それでなくても、インドでは建物が(作りがあまりにちゃちなために)自然崩壊して
多数の死者が出るなんてことが、時々おきてますし。恐ろしいことです。
>mistycafe様
ほんま、えらい時代でございますわ。
明日、ここを離れるので次、いつ見られるかわかりませんが、どうぞお元気で。
バイト、がんばって下さい(。。とぷらぷら遊んでいる者が言うのも失礼かもしれま
せんが)
ひろ - 01/01/30 04:47:17
コメント:
nyateteさん
お元気でインド旅行されてますか?
インドで大きな地震がありましたが、大丈夫ですか?
たしか南部へ行かれるとの事だったので場所が違うようで良かったですし、投稿もあったので多分混乱もなく無事なのでしょうね。
どうぞ気をつけて、ご旅行なさってくださいね。お土産話、楽しみにしています。
mistycafe - 01/01/29 22:13:23
コメント:
すごいリアルタイムですね。えらい時代ですね。
nyateteさん。道中安全第一で楽しんでくださいねー。
ふぅ。わたしは、バイトで、へまばかり。しゅーん。
nyatete - 01/01/29 18:38:04
コメント:
今日、インドに入りました。
今、いるのはコバランビーチというところで、インドの最南端近くです。
こんなところに、日本語でインターネットができる店がありました。
便利になったというか、おそろしいというか。
ここに、くる前は香港で3日過ごし、飛行機を待つ間、スリランカに2泊しました。
何も知らずに行ったんですが香港にいた3日はちょうど旧正月の三賀日(?)でした。
香港(および中国圏?)では西暦の正月より旧正月を盛大に祝うみたいで、雰囲気も
日本の正月とにてました。。
つまり、店や博物館などはほとんどみんな閉まってしまい、開いてる店も正月料金で
高かったりということで、旅行者にとって、いいことはほとんどないんですが、正月
の花火がみられたのは幸運でした。さすが、というべきか、なかなかの迫力でした。
nyatete - 01/01/22 23:58:15
コメント:
>Kaorinさん、mistycafeさん
ありがとうございます。
これが、ほんと出発前の最後の書き込みです(はよ、寝んと・・
でも、ふだん夜更かししてるので眠れない。。)
気をつけて行ってまいります。
皆様も、寒い折、お体にお気をつけ下さいませ。
カウンタですが、うちのとこは大ざっぱ(?)みたいです。
再読み込みすると、カウンタは上がっていく様です。
まあ、多い方がよろしい・・って、ええんかな、そんなことで。。
Kaorin - 01/01/22 23:34:04
ホームページアドレス:http://eclat.gaiax.com/home/mairo_kaorin
コメント:
明日からですね暮れぐれも気を付けて下さいね
無事お帰りになるのをお待ちしています
mistycafe - 01/01/22 18:05:08
ホームページアドレス:http://izumo.cool.ne.jp/fairyrose
コメント:
nyateteさん。くれぐれもお気をつけて〜。
楽しい旅行を〜〜♪
でも、カウンターのことだけど、それって、一IPにつき1カウンター
と聞いたんだけど、どうなのかな。同じIPで何度来ても
その日はカウントは1回限りだと聞いてるよ。
だからnyateteさんとこのは知らないけど、多分、
一人でそんなにカウンターを変えることはできないと思うのだけどなぁ。
nyatete - 01/01/22 13:40:11
コメント:
>apple様
続けてキリ番を踏んで下さってありがとうございます。
最初のころは、よく自分でキリ番を踏んでましたが、なんか寂しい。
人様に踏んでもらえるのが何よりです。
**************
勝手ですが、しばらく旅行に行かして頂きます。
行先は、香港に3日よってから、スリランカとインドです。
3月の始めに戻る予定です。インドはケララという南の方の州だけに
なると思います。
たいして、目的らしきものもないのですが、インドのベジ料理を食べ、
のんびり本を読みたいと思っております(「カラマーゾフの兄弟」を
再読したい)
という次第で、しばらく返事が書けませんが(今までだって、あまり
ちゃんと書いてませんでしたが・・すみません)、このゲストブックは
引き続き、皆様の情報交換等に使用して下されば幸いです。
下記がひとつ前へのリンクです。
◆過去のゲストブック その12